移住してみて。
凄く久しぶりの更新になりました。
現状に何か不満があれば、それが執筆への原動力になりますし、何かを伝えたいという根源になります。
でも、恵まれた環境に落ち着けば、あえてそれを発信しようとはならないのです。
そういうわけで、なかなか投稿出来ていませんでした。
ここに簡潔に記しておくべきことは、同じ人間が同一軸上で生きていたとしても、置かれる環境次第では全然人生が違うということです。
そして、環境は変えられます。
「今の生活、自分に合ってないな」ということは、他ならぬ自分自身にしか分かりませんし、逆に言えば自分自身は敏感に気づくはずです。
楽しくない。将来が不安だ。人間関係が苦痛。・・・
悩みは色々ですが、何か勝手に自身を他の型に当てはめようとしてはいないでしょうか。
合わない環境に居続けることも、自分を無理に環境に合わせることも、自分に合う環境を探して彷徨うことも、等しくしんどいことです。
でも、未来があるのはおそらく一つだけで、自分に合う環境を探し続けることだけです。
努力したって、才能が無ければ報われません。
報われない努力はなく、報われないのであれば努力が足りていないなどという言説は話半分で聞いておきましょう。
あくまで才能という基礎がなければ、どんなに頑張っても砂の上に城を築くようなものなのです。
このことは、生まれつき能力が歪な発達障害を持つ方なら、きっとわかってもらえると思います。
才能とは、天才的な能力だけでなく、単純に「出来る」というその素地なのです。
だから、私は口が裂けても「今が辛くたって、頑張って努力しなさい」なんてことは言えません。辛さが終わる保証なんてどこにもありはしないので。
ただ、自分が好きなことというのは、多分追究する価値のあることです。
そして、そのアプローチだって、別に既存の方法に囚われる必要はありません。
とにかく、私たちの人生は一人一人の固有のものであって、無地のキャンバスのようなものです。使える色や道具は人によって様々でしょうし、元来一色しか持ち合わせていない人もいましょうが、色が多ければ良い作品ということは決してなく、どう描くか、何を描くか次第だと思います。
無地のキャンバスに白一色しかなくとも、その白を徹底的に均質に塗り上げることには病的なこだわりが必須でしょうし、色んな道具に恵まれていても、使い方を知らなければ何の役にも立たないでしょう。
配られたカードで勝負するしかないというのは、一面的には理不尽ではありますが、しかし人生の面白いところは、そのゲームにはある種の共通の規則すら無いということ。
本質的には勝ち負けすらなく、問題は楽しむか楽しまないかに過ぎないのです。
配られたカードがたとえどんなにゴミのように見えても、それがゴミに見えるのは、自分がゲームを支配していないから。まして手札を切らない限り、どうしようもありません。
手札を見て絶望して投げ出してしまう前に、自分が楽しめるテーブルに着くことを考えるのも、また手なのです。
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