【美術展2024#78】英一蝶 風流才子、浮き世を写す@サントリー美術館
会期:2024年9月18日(水)~11月10日(日)
先日まで行われていた出光美術館休館前のクロージング企画シリーズ最終回「ここから、さきへIV 物、ものを呼ぶ 伴大納言絵巻から若冲へ」展の、最後の作品は英一蝶だった。
ちょっと意外な感じもしたが、時を同じくしてここサントリー美術館にて「英一蝶 風流才子、浮き世を写す」展が行われている。
出光美術館の展示はすで会期終了したが、休館しているあいだは頼んだぞ、という出光美術館からのメッセージのようにも受け取れた。
実際にこの2館は相互割引もしていたようだ。
(※英一蝶展への割引は会期終了まで有効)
本展は一蝶の人生のターニングポイントごとに三章に分かれている。
生涯をなぞりながら時系列の構成なのでわかりやすい。
・第一章 多賀朝湖時代
1652年、京都に生まれる。
15歳で江戸に行き狩野派に入門。
後に破門されて独立し多賀朝湖を名乗り活躍。
20代の頃から松尾芭蕉らと交友し俳諧の世界に親しんでいた。
画人、俳人としてそれなりに認められていたようだ。
吉原にも出入りして時の有力者たちとも交流をしていた。
今でいうなら六本木やら麻布やらに夜な夜な繰り出して芸能人やヒルズ界隈の方々と繋がりを深める事情通、はたまた銀座赤坂あたりで政治家や権力者とのパイプを持つ文化人、といったところか?
いずれにせよ40代にして売れっ子画家だったようだ。
一蝶の絵はユーモラスな表現が特徴的だがこの時代の作品には特にそれが色濃く見受けられる。
ばかだねえ。じつにばかだね。
というドラえもんの声が聞こえてきそうだ。
江戸生活を大いに満喫していたようだが、調子に乗って色々やらかし、お上に目をつけられて、47歳の時に島流しされることになった。
この時代の流刑は死刑に次ぐ重い刑だったということで基本的に片道切符だったそうな。
・第二章 島一蝶時代
この時期の作風は2つに大別される。
1.江戸の知人からの発注
遊興を描いた風俗画が多く、江戸から送られてきた紙や絵の具を用いた華やかな作風。
2.島や島民のために書いたもの
神仏画、吉祥画等の信仰関係の作品で堅実で穏やかな作風。
島時代は上質の紙の調達が難しかったので劣化が進んだ作品が多い。
島生活も早12年。
年齢は58歳になった一蝶。
一時は島で一生を終えるかに思われたが、時の将軍綱吉死去に伴う将軍代替わりの恩赦によって奇跡の江戸リターンを果たす。
・第三章 英一蝶時代
江戸に戻った一蝶は画名を「英一蝶」として精力的に制作を行う。
風俗画を離れると宣言し仏画や風景画、花鳥画などに取り組むが、風俗画の依頼は途絶えずに結局多数の風俗画も残すことになる。
若い頃からコスり倒しているこの落書きネタはオハコの持ちネタだったに違いない。
吹き抜けを降りるとメトロポリタン美術館収蔵の《舞楽図屏風》が鎮座している。
サントリー美術館にしては珍しく、この作品は撮影可(裏面の《唐獅子図屏風》は撮影不可)
こちらは《舞楽図屏風》の裏面に描かれる《唐獅子図屏風》の一部。
江戸に復帰してから15年。
73歳にしてこの世を去る。
松尾芭蕉とも交流があったという一蝶の辞世の句。
紛らはす うき世のわざのいろどりも 有りとや月の 薄ずみのそら
しかし波瀾万丈な人生だ。
私だったら島流しにあった時点でいろいろ諦めてのんびり釣りとかしながら隠居生活を送るに違いない。
環境がどうだろうが、売れようが売れまいが、とにかく筆を置かずに生涯にわたって絵を描き続ける覚悟を決めることができるかどうか、そしてその覚悟を死ぬまで実践することができるかどうか。
それが私のような凡人との違いなのだろうな。
なんか、もっとしっかり生きろ!と一蝶パイセンに喝を入れられたような気がした。
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