見出し画像

【美術展2024#78】英一蝶 風流才子、浮き世を写す@サントリー美術館

会期:2024年9月18日(水)~11月10日(日)

英一蝶(はなぶさいっちょう・1652~1724)は元禄年間(1688~1704)前後に、江戸を中心に活躍した絵師です。はじめは狩野探幽の弟・安信のもとでアカデミックな教育を受けますが、菱川師宣や岩佐又兵衛らに触発され、市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出しました。この新しい都市風俗画は広く愛され、一蝶の画風を慕う弟子たちにより、英(はなぶさ)派と呼ばれる一派が形成されます。他にも、浮世絵師・歌川国貞のように一蝶に私淑した絵師は多く、後世にも大きな影響を与え続けました。また、松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむなど、幅広いジャンルで才能を発揮しています。

加えて、その波乱万丈な生涯も人気に拍車をかけました。一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪になるという異色の経歴を持ちます。宝永6年(1709)、将軍代替わりの恩赦によって江戸へ戻りますが、島で描かれた作品は〈島一蝶(しまいっちょう)〉と呼ばれ、とくに高く評価されています。そして江戸再帰後は、「多賀朝湖(たがちょうこ)」などと名乗っていた画名を「英一蝶」と改めました。

2024年は一蝶の没後300年にあたります。この節目に際し、過去最大規模の回顧展を開催します。瑞々しい初期作、配流時代の貴重な〈島一蝶〉、江戸再帰後の晩年作など、国内外の優品を通して、風流才子・英一蝶の画業と魅力あふれる人物像に迫ります。

サントリー美術館


先日まで行われていた出光美術館休館前のクロージング企画シリーズ最終回「ここから、さきへIV 物、ものを呼ぶ 伴大納言絵巻から若冲へ」展の、最後の作品は英一蝶だった。
ちょっと意外な感じもしたが、時を同じくしてここサントリー美術館にて「英一蝶 風流才子、浮き世を写す」展が行われている。
出光美術館の展示はすで会期終了したが、休館しているあいだは頼んだぞ、という出光美術館からのメッセージのようにも受け取れた。

実際にこの2館は相互割引もしていたようだ。
(※英一蝶展への割引は会期終了まで有効)

\相互割引実施!/
「没後300年記念 英一蝶」と、出光美術館で開催中の「物、ものを呼ぶ—伴大納言絵巻から若冲へ」の、それぞれのチケット提示で当日入館料が100円割引となります。
詳細はこちら↓
ーーーーーーーーーーーーーーー
■「没後300年記念 英一蝶」入館料の割引
(「物、ものを呼ぶ—伴大納言絵巻から若冲へ」各種チケット提示)
割引期間:9/18(水)~11/10(日)
一般 1,700円→1,600円
大学・高校生 1,000円→900円
※中学生以下無料

サントリー美術館公式Instagram


本展は一蝶の人生のターニングポイントごとに三章に分かれている。
生涯をなぞりながら時系列の構成なのでわかりやすい。


・第一章 多賀朝湖時代

1652年、京都に生まれる。
15歳で江戸に行き狩野派に入門。
後に破門されて独立し多賀朝湖を名乗り活躍。
20代の頃から松尾芭蕉らと交友し俳諧の世界に親しんでいた。
画人、俳人としてそれなりに認められていたようだ。
吉原にも出入りして時の有力者たちとも交流をしていた。

今でいうなら六本木やら麻布やらに夜な夜な繰り出して芸能人やヒルズ界隈の方々と繋がりを深める事情通、はたまた銀座赤坂あたりで政治家や権力者とのパイプを持つ文化人、といったところか?

いずれにせよ40代にして売れっ子画家だったようだ。
一蝶の絵はユーモラスな表現が特徴的だがこの時代の作品には特にそれが色濃く見受けられる。

\より高く!/
巡礼中にも関わらず、仁王門の柱への落書きに夢中!ほかの落書きよりも目立ちたいのか、精一杯背伸びして頑張っています。ほけーっと見守っている右側の男の表情も面白い。

サントリー美術館公式Instagram


\う~~~~ん/
俳諧の会席の様子ですが、シブい顔だったりあらぬ方向を見つめたり、扇で頭を支えて考えこんでしまったり、みんな苦戦中。俳諧師として活躍していた一蝶もこんな感じだった?と想像しても楽しいかもしれません。

サントリー美術館公式Instagram


ばかだねえ。じつにばかだね。
というドラえもんの声が聞こえてきそうだ。

\今それ必要?/
ウケを狙って金属製の器をかぶったら抜けなくなった…!緊急事態で医者に行ったものの、脈を取ったり薬を挽いたり、たぶん必要なのはそれじゃない感が笑いを誘います。

サントリー美術館公式Instagram


江戸生活を大いに満喫していたようだが、調子に乗って色々やらかし、お上に目をつけられて、47歳の時に島流しされることになった。
この時代の流刑は死刑に次ぐ重い刑だったということで基本的に片道切符だったそうな。



・第二章 島一蝶時代

この時期の作風は2つに大別される。

1.江戸の知人からの発注
遊興を描いた風俗画が多く、江戸から送られてきた紙や絵の具を用いた華やかな作風。
2.島や島民のために書いたもの
神仏画、吉祥画等の信仰関係の作品で堅実で穏やかな作風。


島時代は上質の紙の調達が難しかったので劣化が進んだ作品が多い。

公式図録より


\島外初公開/
#英一蝶 は、数え47歳で三宅島へ流罪になり、その後江戸に帰還を果たすという波乱万丈の生涯を過ごしました。島で描かれた作品は<島一蝶>とよばれ、特に高く評価されています。
こちらは島一蝶時代に描かれた絵馬で、御蔵島の島外では初公開です!

サントリー美術館公式Instagram


島生活も早12年。
年齢は58歳になった一蝶。
一時は島で一生を終えるかに思われたが、時の将軍綱吉死去に伴う将軍代替わりの恩赦によって奇跡の江戸リターンを果たす。



・第三章 英一蝶時代

江戸に戻った一蝶は画名を「英一蝶」として精力的に制作を行う。
風俗画を離れると宣言し仏画や風景画、花鳥画などに取り組むが、風俗画の依頼は途絶えずに結局多数の風俗画も残すことになる。


\それも着脱可能!?/

滝行する不動さま。宝剣や羂索(縄)が濡れないように置いておくだけでなく、体から出ているはずの迦楼羅炎も取り外してしまいます…!一蝶のユーモアセンスが光る作品です。

サントリー美術館公式Instagram


若い頃からコスり倒しているこの落書きネタはオハコの持ちネタだったに違いない。

公式図録より


吹き抜けを降りるとメトロポリタン美術館収蔵の《舞楽図屏風》が鎮座している。
サントリー美術館にしては珍しく、この作品は撮影可(裏面の《唐獅子図屏風》は撮影不可)

右隻
左隻
部分拡大
部分拡大
落款


こちらは《舞楽図屏風》の裏面に描かれる《唐獅子図屏風》の一部。

\ニヤッ(前歯チラッ)/
表面に舞楽、裏面に唐獅子を描いた両面屛風。本展では両面が隅々まで鑑賞いただけるように展示しています。
唐獅子図は一気に描き上げたような勢いのある水墨画。不敵な笑みを浮かべるなど、一蝶ならではの表情豊かな獅子たちの姿をご覧ください。

サントリー美術館公式Instagram


江戸に復帰してから15年。
73歳にしてこの世を去る。

松尾芭蕉とも交流があったという一蝶の辞世の句。

紛らはす うき世のわざのいろどりも 有りとや月の 薄ずみのそら



しかし波瀾万丈な人生だ。
私だったら島流しにあった時点でいろいろ諦めてのんびり釣りとかしながら隠居生活を送るに違いない。

環境がどうだろうが、売れようが売れまいが、とにかく筆を置かずに生涯にわたって絵を描き続ける覚悟を決めることができるかどうか、そしてその覚悟を死ぬまで実践することができるかどうか。
それが私のような凡人との違いなのだろうな。

なんか、もっとしっかり生きろ!と一蝶パイセンに喝を入れられたような気がした。



【美術展2024】まとめマガジン ↓




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?