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幸せは最小限にあり

【3036文字】

 子供のころ、我が家に限らず遊びに行った友人宅も、ばあちゃん家も、親せきの家も、ドラマで観た家も全部、昭和40年代ごろまでの家々のインテリアは非常にシンプルだったと記憶している。インテリアという言い方はちょっと違うかな。インテリアって言えば恣意的に作り込んだ感があるので、この頃のはそういうシンプルさではなく、必要に迫られた最小限のシンプルさという意味。昭和20年に戦争が終わり日本中が焼け野原になってから20年しか経ってないのだから、単に国と国民が貧乏だったと言えばそれまでなのだが、それともちょっと違う気がする。戦前のずっと以前の更にもっと以前からこの日本では最低限(ミニマリズム)の生活は踏襲されてきていたのだろうと思う。見たわけじゃないが。

 当時僕のばあちゃんの家は戦災に遭わずに済んだ地域にあり、江戸時代からの古い農家建築のままだった。母屋は広い土間の玄関と、4部屋が襖(ふすま)で区切られているという古い農家にありがちな典型的な造りだ。これらの襖をすべて取り払うことができるので、その巨大化する大広間は葬式や結婚式を自宅で挙げていたころ、大変重宝したと聞いている。なのでそういった目的のためすべての部屋にはほとんど家具というものが置いてないのかもしれない。現代は葬式も結婚式も家でするお宅は稀である。
 普段ばあちゃんは母屋ではなく母屋に並んで立つ離れ家で生活していた。朝晩の寝起きや昼寝、テレビを観たり新聞を読んだり、何やら筆記したり、近所の人がおやつを持って井戸端会議をするのもこっちの離れだった。この二間しかない離れはつまり実生活を営む空間である。奥に6畳の部屋があるが、ベッドが置いてあり寝室になっていた。母屋とは違い壁も多くあり壁際には古くて重厚な和箪笥が置いてあった。尋ねたことはなかったがおそらくばあちゃんが嫁いできた時の嫁入り道具なのだろう。テレビやこたつを置いてある8畳の部屋が実質メインの部屋で、その壁際には飾り棚や筆机、木製の茶箱がいくつか置いてあった。母屋よりは色々物は置いてありはしたが、だとしてもとてもシンプルな造作だった。
 部屋がシンプルだと何が良いってまず掃除がしやすい。開く窓類は全て開け放ち、まずハタキで高所の埃を落としてから次に床面を掃き掃除する。掃かれた埃は縁側の向こうの庭へ落とされる。夕方に成ればそれらの埃も庭の落ち葉類と共に集められ焼却されたり、腐葉土を作る山に集積される。座卓や飾り棚、建具などの拭き掃除と最後に縁側の拭き掃除をする。空気中に漂う埃が落ち着くまでしばらく窓は開けっ放しにしておくのだが、この時間が子供ながらに好きだった。ばあちゃんが麦茶や季節によっては温かいお茶、柿の実やスイカ、カステラやハッタイ粉(麦粉)のジュースを持ってきてくれて、縁側に腰かけ足をぶらつかせながらそれらをいただくのだ。その古い家も今から30年ほど前に解体新築され、ばあちゃんも鬼籍入りして随分久しくなった。とても遠く、とても懐かしい思い出になっている。

 そして現代。今や家の中は物で溢れ返っている。新たに何か購入してももうどの棚にも、どの引き出しにも、どの部屋にも物は溢れかえり置く場所はない。スマホの中には欲しい物が沢山あり、ワンタップで翌日には現物が届く時代だ。必要だと思って買うものもあれば、ちょっと良さそうだから買ってみたという程度のものまで、長年に渡りコツコツと収集した物々が家の中で幅を利かせている。
 そうなると掃除が異常に大変になる。行き場のないものをどこかに寄せて、辛うじて広げられた箇所に掃除機をかけ、寄せた物の場所をまた別な場所に寄せて掃除をする。掃除は遅々として進まない。その手間を思うとそもそも掃除をしようというモチベーションもベタベタに低下する。そこへ来て今どきのマンションや戸建て住宅は気密性が高い。窓を開けても風は通らない。高断熱・高気密住宅をうたっている家はそもそも外気と触れ合わないよう恣意的に設計されている。窓も異常なほど小さい。火災法があるので辛うじて部屋の高い位置にお飾り程度の窓を付けてはいるが、空調で完全管理され春夏秋冬を完全に消し去り、外から覗かれる心配をすれば窓はなければない方が良いとまでされている始末。
 そんな高気密の家々には無数の物たちが押し込まれており、埃の溜まる表面積を爆増させている。なのでたまに掃除なんてしようものなら、その物たちへ積りに積もった大量の埃が一斉に舞い上げられ、空調はそれらをまんべんなく家中に撒き散らかす事となる。結果、ハウスダストに年中くしゃみをする子供を量産するのだが、せめて物が少なければそういった悲劇も多少は減るだろう。

 古来から日本人は敬虔(けいけん)なミニマリストであった、筈だ。平安時代や鎌倉時代、戦国の世のお城、江戸の大店や裏長屋だっとしても、物に溢れ返った部屋をほんの1ミリも想像できない。何千年もミニマリズムを貫いてきた日本人が、ここたったの数十年で真反対に変貌してしまったのは一体どういうことなのか。
 日本人は他国民と比べて全体主義的ではあるものの大変清潔を好む性格だと言われている。その昔の日本人は開放的な間取りの家屋を基本に、ミニマリズムを踏襲(とうしゅう)するシンプルな生活様式がデフォルトだった。とても合理性の高い生活だと言えるが、現在の日本人が生活する環境は一体どうなってしまったのだろうか。最低限の物どころか、閉塞的住宅に無用の長物だけを集めまくった無季節の家に住んでいる。最近地球の挙動が異常だと皆が口にするのだが、そもそも物を大量生産する上で世界中の工場が稼働したせいだとも言え、それは卵が先か鶏が先かな話なのだ。
 しかしここへ来てようやく断捨離が流行るだとか、ミニマリストな若者が増えつつある、というような話を耳にする機会が増えてきた。奇をてらって極端になっている例を除けば、本来の日本人にとっては概ねその方向性で宜しいような気がする。この若者のミニマリストについては、最小限の物しか置かず、白色で統一したりLEDで間接照明で壁を照らしたりするまでは別に良いのだが、遮光カーテンで1日中窓を閉ざし風が入らないどころか陽が差すこともない部屋に24時間閉じこもって、ネットのサイバー空間だけで世間との接触をするというのは、オジサンどうかと思うな。昭和期の終わり頃のバブル時代もそうだったが、流行りやトレンドというものは一回極端に振れなければちょうど良い程度が分からないらしい。街へ繰り出し夜な夜な消費消費のどんちゃん騒ぎだったあの頃から30年経った今は、そのバブル期の価値観を相殺しようとしてる様に見えないこともない。

 何もかも昔が良かったと言ってしまうのは大間違えだと認識しているが、多く色々見聞きした経験の中で、「あれは良かったなぁ」と思える記憶は「今と比べて」という暗黙の枕詞が必ず付随する。今と比べて良かったと思うという事は、今と比べて良くなかったことももちろん記憶しているというわけで、その筆頭はやはりバブル期の物量主義や金銭主義だ。現代の中国がまさにそれに浸っている状態だが、彼らのニュースを見るたびにどこか冷めた目になっているのが自分でもよくわかる。とはいえ日本もまだまだ中途半端で、その中国の経済に寄りかかっている分野は数多あるのだ。そもそも本当に経済は常に上昇し続けなければならないのかとか、この先数十年は労働人口の減衰が決定しているという国が、経済面で再び幸せを目指すというのが本当に良い選択なのか、そもそも経済と幸せを同列に等しく考えてもいいのか、など、本来熟考すべきことは別にあるように思う。ミニマリストは最小限の必要しか求めない。それ以上を求めても比例して幸せが上昇するわけではないことはバブル期に日本人全員が経験したことだ。今後は春夏秋冬の暑い寒いや、晴れの日差しや雨の湿気も感じられる縁側に腰掛け、ばあちゃんが入れてくれた冷たい麦茶を飲みながら足をぶらつかせる、そんな生き方こそが今後の日本人が目指す幸せのような気がしている。そう思うのが歳のせいなのかどうか、自分でそれは判別できない。