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酒屋が教えるワインの教科書 ワインの歴史 2

 日本におけるワインの歴史は縄文時代、弥生時代と言った年代に見られないが野生の山ぶどうが自生していた痕跡は遺跡などから発見されています。自生はしていたが大陸からぶどうが伝わったとか、ぶどう酒として醸造された痕跡は今のところ見られない。

 奈良時代には中国から伝わったぶどうを僧侶の行基が今の山梨県に伝えたという説があるが定かではない。その後、鎌倉時代に中国から輸入されたアジア系ヨーロッパのぶどうが自生化した甲州種を鎌倉初期に甲斐国勝沼(現在の山梨県甲州市)で栽培が始めたという説があります。室町時代は勘合貿易によって明(今の中国)と交易が盛んになり、1483年(文明15年)に、関白近衛家の人がワインを飲んだという記述が残っています。

ワイン樽

 近世になると日本もヨーロッパから直接、影響を受けるようになります。キリスト教の布教のため、宣教師が訪れ、文化や物、思想と言ったものが人々に広まります。ワインの醸造もつたわり、江戸時代初期の寛永年間、豊前小倉藩主の細川忠利が家臣の上田太郎右衛門にワイン造りを命じた記述が残っています。藩製のワインであり、商業ベースでなく、ごく一部の宣教師たちが飲んでいたようです。その後、1616年に徳川幕府の禁教令によってキリスト教徒の弾圧、鎖国政策がとられたのでワインの醸造はされなかったがぶどう栽培は甲斐国(今の山梨県)で細々とされていました。

 明治になってようやくワインの醸造の動きがでます。明治4年に山梨県の県令として着任した藤村紫朗が県下にぶどうの栽培とワインの醸造を勧めたことでさまざまな人がワイン造りに挑戦します。しかし、技術不足やワイン市場も開拓されずに成功を見ることがなかったが明治23年、新潟県高田で川上善兵衛が岩の原葡萄園をひらき、3年後に収穫したぶどうで初めてワインの製造を始めます。その後、ぶどうの品種改良を試み、生涯にわたり、1万株以上の新品種を育出、40種の有望品種を残します。中でもマスカット・ベリーAは今日のワイン醸造用の代表的な品種になっています。本格的な商業ベースに乗せたのが明治32年に鳥井信治郎が寿屋(今のサントリー)です。

 今後、地球の温暖化が歴史的にみて古く、世界で栽培されているぶどうにどのように影響を与え、ぶどう栽培や品種が改良されいくのかがこれからのワイン文化になりそうです。


マガジンにしました。 酒屋が教えるワインの教科書https://note.com/masutaka_note/m/m49ac080d0803


参考資料

葡萄は語る           SOPEXA フランス食品振興会

世界のワインカタログ      サントリー株式会社

NHK趣味の園芸         NHK出版





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