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140字の「和歌」–「空リプ」より

高校古典の問題で、文中の主語を問うものがあるが、あれは意外に難しいし、やる気が削がれることもある。

一方、ツイッターでよく見られる「空リプ」を見ると、誰のこと(主語)を指すのかすごく気になる。それはひょっとしたら国語の問題以上に労力を使う。

大学の授業で、平安期の和歌を読んでいた。ところが、真っ先に頭に浮かんだのは、そうみんな大好きツイッターなのである。これはそこまで難しい話ではないと思う。

読んだのは、中宮定子と一条天皇の歌。藤原道長らの圧力に苦しみ、先に亡くなることになる中宮定子が生前に一条天皇に思いを伝える内容である。簡単には「私のことを忘れないでね」といった愛の確認のような意味が込められた歌である。これを一条天皇が読み、返歌をする流れがあり、とても切ないながらもロマンチックなところも感じる。まあ「エモい」のである。

和歌というのは手紙のように宛先を当然明記しませんよね。漫画「あさきゆめみし」にもある通り、和歌を書いた紙を枝に結びつけたりして、一風かわった送り方をします。宛先も無い和歌ですが、見る人が見ればわかる内容になっているんですなぁ。枕詞や言い回しで「これ自分のことじゃない?」と気づかせる、それを今度は返歌する。これが和歌が流行していた時代の作法だったわけですね。

「めっちゃ、ロマンチックじゃないの!?」と授業時の私は思っていましたが、ふとスマホを見て気づきました。

「ツイッターと同じやないか」

そうまさに「空リプ」です。定義は明確ではないですが、体裁を保ちつつ特定の相手に訴えかける「つぶやき」のことだと思われます。例えば、「ああいう態度って、ちょっと苦手なのよね」「空気が読めない人といるのはツライわー」みたいな。見る人が見れば「ああ、アイツね」と分かる内容なのです。しかし、「空リプ」は良い意味ではあまり使われません。むしろ、相手の悪口を遠回しに言うことを可能にさせる虚しい言葉なのです。ただ、遠回しに誰かのことを指す言葉、このことは平安期と変わらない特質かもしれませんね。

「今の若者言葉は問題だ」みたいなことを言う人がいますが、世間で蔓延している「空リプ」を見て欲しいです。本当に。「言葉を読み取る力」とまでは言いませんが、今の若い人は言葉に対するアンテナはビンビン立ってきていると思います。

1000年越えても、「あっこれ、〇〇のことじゃない?」と言葉を読み取る力は絶えず受け継がれていると感じずにはいられません。こう考えてみると、やはり歴史は面白いし、人間は最高に面白いなと思います。

ただ1つ残念なことを挙げると、「1000年発酵した」結果、文字数が「31文字」から「140字」と長くなり過ぎたことですかな。アハハ。

#大学 #和歌 #呟き #ツイッター #エッセイ #ビンビン

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