見出し画像

エッセイ 「凍狂」というまち

筆者はかつて、「ぴゅーと吹くジャガー」で言うところの「凍狂」(※東京)という都市にある会社の見学に行ったことがあった。結論から言うと、恐ろしいまちであった。

流れる人の波、鼓膜に響く雑多な音。極めつけはバスタ新宿に着いた瞬間の「ああ今、1人なんだな」という他の都市には無い圧倒的な寂しさである。

すぐさま帰りたくなった。なにゆえ、こんなところに1人でいるのだろう。こんな思いを募らせながら、会社の入り口に着くと、黒いスーツの軍隊が使うかどうかわからない理論武装を頭にインプットし、身構えていたのが見えた。

空っぽな頭で「蜂の巣みたいだ トウキョウ~♪」(チャットモンチー「東京ハチミツオーケストラ」)のメロディをぐるぐるしていると、ハンサムなシティボーイらしき人が話しかけた。「おはようございます!」

私はおどろおどろしながら、一応挨拶した。「あはは、どうも。おはようございます」

「今日はどこから来たのです?」

「○○です。東京の方ですか?」

「遠いですねえ!いや、隣から来ました。出身は九州ですがね」

連帯意識を持とうとした筆者だったが、その青年は大変ハンサムで、自分とは違う人間だと気づくのにそう時間はかからなかった。また九州の一地方青年を数年でシティボーイにさせるあたり、改めて「凍狂」の凄さを知った。

さらに今回の見学では、スーツは不要ということになっていた。にもかかわらず、スーツを着ていなかったのは私を含め、2人。「えらいこっちゃ!」凍狂都で筆者は咆哮を上げた。

会社見学は2日間行われた。なぜか初日、参加者の自己紹介を2時間以上みっちりやらされ、全員の人となりを理解しようとする幹部の狙いが強く伝わった。それに応えるスーツの軍隊もすさまじかった。

筆者がなぜ、こんなところに来たかというと、見学に参加すればタダでその会社の宿泊施設を利用でき、それが終われば後は自由に観光できるからである。

秋のはじめとはいえ、筆者の周りの熱量は尋常ではなかった。みんな何度も練習して、当たり障りのない、かつ興味が湧くような「自分」を伝えようと必死だったのが身に染みて分かった。「タダで泊まれて、観光がしたかった」自分とは雲泥の差であったことは間違いない。

「ここに来たのはまずかった。早く浅草に行きたい」と早々思っていた自分だったが、2日目の終わりになると、「なんか凍狂悪くない!」と考えるようになっていたのである。要するに、環境に慣れたことで、周りの熱量も相俟って、テンションが上がっていたのである。

最後には、軍隊呼ばわりしていた人たちと仲良くなって、その中の1人とは今でも交流がある。

また、彼らは筆者の出身地に興味関心があったみたいで、握手を求められた。堅い握手をした後、新橋駅で我々は解散し、「明日も会社見学あるんで」と言って、彼らは去っていった。筆者は強烈に刺激があったイベントだったが、彼らからすれば造作もない一イベントだったのだろう。やはり、シティボーイ・ガールは違うなと田舎青年は素直に思った。

筆者の地元の周りで、こういうイベントに東京まで行く人は少ない。イベントの情報すら知ろうとしない人たちが多数を占めている。彼らは彼らでゆっくり自分たちの生活を余裕を持って謳歌しているのだ。少なくとも、筆者はそう思う。

この2日間で東京との温度差を身をもって知った。情報戦において「地方は遅れている」とはよく言われるものだが、東京に実際行ってみた身としては、むしろそっちは「早すぎる」と思った。情報の流れが速いので、会社見学の情報はきちんとキャッチしているし、スケジュール管理も無駄が無いだろう。さらに流れるプールのように、みんなが泳いでいるので、速さは倍増している。(※これは学生時代を関西で過ごし、東京で作家を目指した万城目学氏のエッセイ『べらぼうくん』(文藝春秋、2019年)の意見を大いに参考にしている) ますます、流れに乗ることが当たり前となり、溺れた者は「敗北者」「負け組」となろう。もれなく、地方のスピードで泳いでいたら、すぐに息ができなくなることは間違いない。

そのため、地元の友人と会った時の安心感は想像以上だった。「ああオレは地方のスピードでええわ」と思ったのもこの時だった。

しかし、都市部が悪いとは言わない。流れが速いからこそ、最先端の価値観に触れる機会が多いかもしれないし、熾烈な周りとの争いであらゆる実力を身に付けることもできるかもしれない。何より、周りの熱量に煽られる感覚。あれは意外に興奮する。「東京にいるぜ!」という事実は地方青年に武者震いをもたらしてくれる。そういう意味では、面白おかしくて、最高な場所なのだ。おそらく、何かでトップになりたい人は何が何でも東京に行かなくてはならないのだろう。

ただ、疲れるのもまた事実である。よく田舎の進学校出身で、都市部のまあまま良い大学に行って、卒業後は就職などですぐさま帰郷する人が多い。そういう人たちの常套句で、「地元の良さを知った」がある。筆者個人としては、あれは最高にご都合主義で、傲慢極まりない滑稽なセリフであると内心馬鹿にしていたが、今では否定することはできない。確かに疲れるのだ。本当に戻りたくなる。ただし、それは「地元の良さ」を知ったのではなく、「都会にシンプルに疲れた」だけではなかろうか。そういうホンネを隠して「地元の良さを知った」という美辞麗句で語ろうとする人に筆者は嫌悪感を抱く。こういうところに、筆者の人間的限界があるかもしれないが、大学も地元に残った者の独り言として聞き逃してもらいたい。(もちろん、家族関係やその他の事情で帰郷する人も大勢いるのも承知している。それは、前の意見の範疇を出る)

夜の銀座街は大変寒かった。スーツの上からコートを着て、路地裏の居酒屋で熱燗を飲んだことを覚えている。凍えそうになるぐらいに狂った秋風が体内に溜まった熱を冷ました。やはり、自分にとって東京は「凍狂」であった。(2442字)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?