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エッセイ 日常を書き記す

いきなりではあるが、「書き記す」という表現はおかしいのではなかろうかと思う。
書くか、記すか、どっちか一つでいいはずなのに、何故「書き記す」と表現するのだろう。と考えているうちに、無意義な1日がさらに無意義になりそうなので、自問をやめることにする。

さて、今日は午前中、大学の師からメールを仰せつかったが、返信をなぜか渋る。その後は暗黒な将来を志向し(惰眠を貪る)、午後から図書館に行くも、研究テーマが今一つ決まらず、「まじでやばい」と胸中で呟く。

夕方、私は無性に人と喋りたくなり、座っていた席の近くに友人Aくんを発見したので、半ば無理矢理、彼をマクドナルドへ連れて行った。

チキンナゲットとポテトを頬張って悦楽に浸っていると、友人Aくんが就活のイヤーなエキスが詰まった汗を垂らしながら、就活のイヤーな話を始める。

それを聞いて、
「Aよ、オマエサンも大変だな」私は言う。
「お互い様や」
「ただ、これだけは言える。内定を取ることに全集中してはならん。集中するのは働いてからでエエ」私はえらそうにアドバイスを送る。
「間違いない」
友人Aくんの健闘を祈るのみである。それより、祈らないといけないのは私の研究の方である。

内定を取ることに躍起になる昨今の「シューカツ問題」を心配したところで、会議は終了する。その他にも、A君のふしだらな話を聞いたが、内容が内容なので、ここでは割愛することにする。

夜、鈴木敏夫『天才の思考』(文春新書、2019年)を読了。「素晴らしい!」と唸った。

お腹が空いたので、夜食を取ることにする。
お茶漬けにしよう。

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