聴評:ginger「愛を探して」

youtubeで愛を探していたら、たまたまこの曲と出会った。聴いて見ると、自分に合う曲だと思った。したがって、私は、ライブハウスに行き、生の「愛を探して」を聞きに行ったのだ。。。

ginger「愛を探して」

から引用

 楽器や歌声で生まれるリズムはその空間内だけで共有されるものではない。ライブハウスで曲を聞き終えた瞬間のどうしようもない「空っぽのからだ」には、新たなリズムが芽生える。ライブハウスの外で吹かす煙草の煙に合わせてうっすらそれは上がっていく。そのような感覚である。

 そして今、私のリズムは最大級に上がりに上がりまくっている。そのリズムを逃がさないように、忘れないように、こうやって文字を打つパソコンのキーボードが完全に今はピアノの鍵盤と化して何かを奏でようとしている。もうリズム入っちゃってるよ!

 音で生まれたリズムは、この記事を通して新たなリズムを生み出す。そういう記事にしたい。雑感でもなんでもいいじゃないか。ライブハウスにいた数十人の観客は、それぞれの「リズム」を持ち帰ったに違いない。SNSに挙げる。近所のおばちゃんに自慢するなど。曲を聞き終えた瞬間の衝動はその人の今後の行動に大きな影響を与える。私だって、本当は炬燵でぬくぬくするつもりだったのに、あの曲を聞いてしまったからには、書かずにはいられないじゃない。

今回は聴評と題してginger(スリーピースバンド)が歌う「愛を探して」という曲の感想を書かせていただきたい。

歌詞
アイスみたく溶けてく愛
出世コース 連れションみたくつれてってよ
思い返せないほど毎日が過ぎていく
おやすみなさい
ロケット花火で遠くまで放ってくれ
星降る夜にはここから抜け出そうぜ
光の中で愛を探して
光りの海で溺れてる
そばにいるのは幻じゃないぜ
青春の味がずっとしてる
愛する恋人友達家族のことも
もっと歌ってたいんだけど
午前10時の予定はやっぱりグレー
雨降る街でも幸せを感じられますか?
光の中で愛を探して
光りの海で溺れてる
そばにいるのは幻じゃないぜ
青春の味がずっとしてる
春と夏と秋と冬も
光の中で愛を探して
愛を探している

 音楽に疎い私なりに簡単に今回分析させていただきたいと思う。今回の曲を見ると、「恋人友達家族」とあるため、対象は幅広く取ってある。それに対して、時間軸はどうであろうか。最後に「春と夏と秋と冬も」とあるので、細かく時間は限定されておらず、「思い返せないほど毎日が過ぎていく」という周期的な時間の流れが言及されている。

 したがって、取り扱う枠組みは非常に広く、大衆に根ざした曲調が展開されていると考える。ただ大衆に展開されるとなると、パンチのあるフレーズが効きにくくなるため、やや単調な曲になりがちだ。しかし、この曲は大衆に対してふさわしい単語が網羅的に使われているのだ。それが「青春」である。「毎日が過ぎていく」といった単調性を「青春」の言葉で見事に昇華されている。時間で見れば「毎日」の日々の繰り返しとなるが、「アイスみたく溶けてく愛」のようにその人だけの固有の刹那的な「青春」があれば、「出世コース連れションみたくつれてってよ」といった社会人として誰もが歩む不安を含んだ普遍的な「青春」も述べられている。この「青春」の両面が大衆の心中にじんわりと優しく伝えてくれる。

しかし、この曲のボルテージが最も上がる「愛を探して 愛を探して 愛を探して」と繰り返される歌詞からは先ほどの優しい「青春」の語りと相反したどこか葛藤した様子がうかがえる。悲痛とまでは言えないにせよ、手の届かないもどかしさが感じられる。ここで、私は素人ながら考えてみたが、「青春の味がずっとしてる」とあるように、愛も同様、探すものではなく、すでに「アイスみたく溶けて」自分たちの中に浸透しているのではないか。そこに気づくことなく、ただひたすらに「愛を探して」苦悩・葛藤する自分。目の前の光を当てても、自分の心中は明るくならないので、溺れてしまう。溶けて「そば」にあるはずのに、それでも探してしまうもどかしさが人間の普遍性、人生の難しさというものを物語っているのではないだろうか。

この理屈をふまえると、「青春」とは簡単には実感できないものだ。漫画のように、デートに行ったり、お祭りに行ったり、SNSに投稿するなどして「青春」を形づけることはいくらでもできる。しかし、それは「溶けて」しまいがちだ。だからこそ、人々は奔走する。「愛を探して」ひたすらに追い求める。それは限界の無いあてもない旅と言えよう。

 今回は「青春」を中心にこの曲の感想をかいた。しかし、「青春」と「愛」、この2語が持つ関連性に関しては理解が及ばなかった。またの機会で触れたいと思う。

 さいごに、「青春」とは一体何だろうか—自分たちが今まで歩んできた様々な形の「青春の味」は、口の中で溶けてしまい、案外錯綜してしまうものである。その結果、体内に充満しているはずの「青春」や「愛」に気付くことなく、目の前に照らされた光の中で求めてしまう。ただ、それを求めるのは悪いことではない。その過程で新たな「青春の味」と出会うこともあるからだ。「恋人友人家族」と対象を幅広く取ったことも、「青春」/「愛」を知るのに限界は無いということの暗示だと理解した。

私の「青春」はどうであろうか。まだまだこれからか。「春と夏と秋と冬も 光の中で愛を探して 愛を探している」毎日。悪くない日々である。

#青春 #人生 #ライブハウス #バンド #ginger


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