見出し画像

ダラットの街を独りで歩く~ベトナム旅行記2023(11/完)

ベトナム滞在期間中に、ゆっくり出来る最後の夜、僕は一緒に渡航していた人たちとは別れた後、ホテルに荷物を置いて、独りでダラット街に繰り出した。

ホテルに到着するまでの道すがら、若い人で賑わうナイトマーケットを横目に、このままベッドで今日の疲れを癒すなんていう選択肢は僕には皆無だった。

ナイトマーケットは、若い人たちでごった返していて、若い人たちの有り余っている元気がいたるところで溢れかえっていた。大きな声で笑い合い、お酒を片手に道端でダンスを楽しんだり、小さな子供もお母さんに手を取られながらキャッキャッとハイテンションにはしゃぎまくっている。

まさにアジアの喧騒の中に、高度経済成長真っ只中にある国の勢いを感じたように思う。僕はベトナムに来るたびに、その「熱さ」がとても羨ましく感じる。東京に住んでいると、渋谷や原宿などの若者で賑わう街に時折行くことがあるのだけれど、やはり「勢い」という観点からは見るとその喧騒には雲泥の差があるように感じてしまう。

素敵な人になりたいと思うのなら、出来るだけ素敵なモノに触れ、素敵な景色を目にして素敵な人たちと出会うことが、大切であり、大事だと思っている。

僕にとっての旅の大きな目的はそこにこそあると言える。他国を見てただ羨ましいと思い、自国に落胆するのではなく、僕たちもまたあんなふうな国になればいいなという一つの理想としてのピース(一欠片)を手に入れようと思っているところがある。

30代を終えて、40代となった今、30代の10年間に体験したあれやこれやを思い返し、もちろんしんどいこと、苦しいこと、痛いことばかりなのだけれど、それを体験できた、いや、体験できていることに感謝をしている。

"できている"と現在進行形で書き換えた意味はそのときから、今までも、その体験が通奏低音のように継続性、連続性を持っていると感じているからだ。どの時間、どの瞬間も、そのひとつひとつをピックアップして、どれが役に立っているなどと話すことはできない。そのどれもが継続性、連続性の中に、ある種の意味を持って、僕の前に現れ、僕の中に入り込んできてくれ、間違いなくその中で今の僕が形成されたのだと思う。そして、それは日々すこしずつ形を変えながらより成熟したものに進化していると自負を持っている。

人生をよりよく生きるために必要なことは、とてもシンプルで自分がどう生きたら幸せなのか?を自分で知ることなんだと思う。情報過多の時代に生き、キラキラした生き方をしている人は目立つからそれを簡単に目にしてしまいやすい。そのことで、自分の軸を見失ってしまっている人が多いような気がしているし、僕自身もそういう部分があったように思う。きらめく人を見て、理想の生き方を参考にすることはとても大切なことだと思う。

でも、他人の表面的なきらめきを「憧れる」という前向きな捉え方ではなく「羨み」「恨めしく」といういわば後ろ向きの捉え方をしてしまいやすいきっかけの多いこの世界では、「自分はどう生きたいのか?」という至極シンプルな問いかけが、何よりも難しいものになってしまっている。

でも、その難しいものをクリアしない限り、僕たちに本当の幸せは訪れない。しかしながら、逆に言えば、それさえクリアできれば、僕たちは本当の幸せを手に入れることができる、のだと僕は思っている。それさえできれば、あとは、それを実現するためのアイディアと、それを実行するためのほんの少しの勇気さえあればいい。

キラキラして見える人たちというのは、きっと、それができている人たちなのだ。そういう人たちにもきっと苦悩はある。うまくいかないことだってあるんだと思う。でも、自分がどう生きれば幸せなのか?といういわば道しるべがしっかりしているので、人生そのものがぐらつかないのではないかと想像する。

僕にとって、海外に少しの間でも出て、、その街を一人でぶらぶらと歩き回ることというのは、自分がどう生きたいのか?という問いかけをするためにはとても重要な体験であり、そして僕の人生にとって必要不可欠な構成要素だったようだ。道しるべを見やすくし、またはそれを手に入れるために。

聞こえてくる言葉も、書いてある言葉もまったくわからない、または、理解しづらい異国の中で、たった独りで彷徨い続けることは緊張感が伴うことだし、とても不安で、ほんの少しの恐怖感も伴うことになる。

その状況下に置かれることで、自然発生的に自分の中から湧き出る
鋭敏な感覚というのが、自問自答をするための必要なツールなんだと僕は考えている。いろんな雑多なことが、すべて削ぎ落とされて、自分という存在が、その異国の中ではどこの誰でもないただの「旅行者」というシンプルな存在になることができるだからだ。

在留者でもなく、移住者でもなく、ただの「旅行者」である。

アメリカのシアトルとポートランドへの一人旅を皮切りに、台湾、マレーシア、台湾、ベトナム、タイ、ベトナム、ベトナム、と決して長い期間ではないけれど、異国に身を置くということを体験してきた。その中で体験したことのどれが欠けても、今の僕は存在し得ない。それを思うと少しゾッとしてしまう。

自分をよりよく創り上げて行くために、僕はこれからも旅を続けようと思う。直近では、2023年5/29~6/2まで、またベトナムを訪れることが決まっている。そして、8月、9月には、アメリカのボストン、デイヴィスという場所を訪れてみたいと思っている。会いに行きたい人がいる。

今からとてもワクワクしている。
旅は計画している時点で、すでに僕にとっての「道しるべ」となっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?