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花連
2018年、東アジアの父、アークンに会うため、おれと高橋さんは、恒春から花連行きのバスに乗っていた。
前日の夜遅くまで、ライブをやった店の近くの日式居酒屋で呑んでいたが、朝には何とか起きた。
店のオーナーの江杏が、バスの時間の前までダウンタウンを案内してくれた。
彼女のおかげで、おれたちは、うまい食堂や寺の景色にありつけた。
昨晩まで呑みまくっていたおれと高橋さんなのに、ペットボトルにはちゃっかり白酒(パイチュウ)をなみなみと入れて、どこででも取り出して嬉々として呑んでいた。
小さな寺の裏手にある古いバス亭まで江杏に送ってもらい、実に5時間。新幹線が通っていない花連へおれたちは到着した。
震災の影響は、見つけられなく、穏やかな風が、駅前には吹いていた。
市街地を離れ、目指すは海沿いの祭りへ。
もうすっかり暗くなりかけ、スコールに見舞われながら、3時間ほどかけて海沿いの一本道の脇にある祭り会場へやっと到着した。もうクタクタだった。
小高い丘に、花連の静かな海を望むように設けられた祭り本部と台所の共用の場所。
男達が数人、野外の食卓を囲み半裸で飛び魚の干物をアテにして白酒を煽っていた。
湿度と高温が滲む空気の中、
昔に台南で見かけた顔もチラホラ在った。
深い海辺の夜が朝に近付く頃、宴の和から一人外れ、竹で組んだシャワー小屋がある中庭へ、何の気なしにフラフラと歩いて行った。
すると、そこにはまるで、undercurrentのジャケット写真のような光景が広がっていた。
暗闇に沈むように浮かび上がり眠る少女と、傍らに寄り添う猫。
おれは思わずシャッターを切った。
明け方、花連でふと感じた優しさは、海沿いの切なさなのか。
何もかもを浄化する朝焼けに照らしだされた沢山の台湾バナナが、海からの風に揺れる。
昨日まで白酒を浴びた青年は、高台のデッキに打ち上げられ、まだ眠る。
年に一度、台湾中から花連に集まり、語らう人達は、なんだか寓話の登場人物のように見えた。
酒を呑み、音を出す、陽気な妖怪達。社会の中で、見つけられる人にしか、見えない、愛すべき妖怪達。
どことなく哀しさを持った、澄んだ眼をした妖怪達。
日本から台湾に来たおれ達も、妖怪みたいなものだ。
社会的地位とは別の場所で存在している。
祭りとは、妖怪達による、人間社会への反逆だ。
おれと高橋さんは、コンクリートの地面に突っ伏したまま、朝を迎えていた。
祭り会場を囲む
花連の海は、
その波は、
静かに、寄せては返して、台湾という島を、今日も包んでいた。
ものを作ることでしか生きていけません。あなたのサポートが、おれに直接響きます。こんな時に乾杯。