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虫けらでも生きているんだよ。

ベルサイユのばらのスペシャルステージがあるというのを新聞で見て、久しぶりに2013年の宝塚月組「ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-」の録画していたものを見ていたわけですが、ちょうどフランスで大規模なデモがあった事もあり、何だかいろいろな事に思いを馳せてみました。

劇中でアランはこう言っています。

「お前たち貴族から見れば虫けらみたいなもんだ。だが虫けらでも生きているんだ。どんなに地の底を這いずり回ってもしぶとく生きているんだよ!」

「どこかの国の王妃様はパンがないと嘆願したら、パンがなければお菓子を食べればいいとほざいたそうだな。グロテスクな髪型を競うために小麦粉が湯水のように使われている。そんな事もわからないような貴族たちが平民の事を考えてくれるわけないじゃないか」

マリーアントワネットについてはその言葉が本当かどうかわかりませんが、今回のフランスの大規模なデモの発端として、マクロン大統領の下のような発言があるようです。

「生活保護に国は大量の金をつぎ込んでいるのに貧乏人は貧乏のままだ。貧困を脱却するために貧乏人に責任を持たせるべきだ」

失業者に対して「意欲があればどこでも仕事はあるはずだ。私ならあの通りを渡ればきっと君に仕事を見つけてあげられる」

エリートで大きなお金を動かしてきた人にとっては、困窮している市民の生活を慮る事ができないのでしょうか。公費で50万ユーロ(約6400万円)相当の食器セットを購入したと報じられたというのも、何やら遊興でお金を使っていたマリーアントワネットとダブってしまいます。

社会への不満がずっとガスのように充満していて、それが何かのきっかけで引火し爆発する。フランス革命や五月革命をはじめ自分たちで変えてきたという過去を経験しているので決して黙り続けはしません。アランが言っていた小さな虫たちが集まって蜂起したのです。

日本でも先の見えない不安に長い事包まれています。景気回復がいざなぎ景気を越える長さになったと言うニュースがありましたが、貧困や格差を感じている人が多いという事を知らないのでしょうか。

もう誰もが疲れ果ててしまい、意見を言ったり行動したりというエネルギーさえも失くしてしまったのかもしれません。しかしそれでは自分が保てなくなります。

そのために自分より弱い者を攻撃する事で一時的に発散をして乗り越え、また新たな憎しみが生まれ続けている気がします。社会情勢が悪くなると特に弱い立場がスケープゴートとなります。この国でそれが加速化しているのを肌で感じます。

来年は1929年10月の世界恐慌から90年、日本では消費税が上がります。名ばかりの景気回復で実は冷え込んでいる人々が、いよいよ凍え死んでしまわないか不安で仕方ありません。数字や文字だけを見て、時にはそれらを改ざんしたり都合良く解釈しては人々の事を全く見ないこの状況。私達の事は本当に虫にしか見えていないのではないでしょうか。

蟻の思いも天に届くという言葉がありますが、もうそんな事はなく叫ばなければいけない時なんだと思います。

そこで極道の妻たちIIの十朱幸代姐さんから一言

「虫けらやと思てなめてたら、その首跳ぶかもしれまへんで」

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