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もうひとり

 この春から、新しい職場で働いています。
 そこは、都心の中に有りまして、まだ開校して間もない学校ですので、校舎も綺麗なものです。多くの場所が電子施錠(自動)なので、防犯面も良いです。
 難点としては、都会である故に近隣との距離が近く、窓を開けると子どもたちのはしゃぎ声などが漏れてしまったりすることでしょうか。

 新しい学校というものは、まだ脈々と受け継がれる教育のベースが確立していないので、どうしても仕事が整理されておらず、煩雑な部分が残っています。
 そのため、私は職場のペースに慣れるまでは、かなり遅い時間まで残って仕事を片付けなければなりませんでした。
 
 その日も仕事が終わらず、私は19時ごろまで残っていました。
 なんとか形ができたので、そこで一旦止めて、私は帰り支度のために更衣室へと向かいました。
 女子更衣室は3階にありました。電子施錠されていたため、暗証番号を打ち込み解除しました。


 どの職場の更衣室にも鏡は置かれていると思いますが、この更衣室の鏡は、とても気になるものでした。
 まず、出入り口すぐの右の壁には、縦180cm、横90cmの大きな姿見が置かれています。そこの鏡は部屋にたった一つだけ開かれた窓を映しています。
 その姿見と窓に沿った形で3台の洗面台が連なっていて、洗面台の前は大きな一面張りの鏡でした。
 加えて、洗面台の隣には小さなキャスター付きの姿見が並んでいました。この小さな姿見は、並ぶロッカー群を写す形で置かれていたため、部屋の奥にある私のロッカーも映り込んで居ました。

 そんな風に沢山の大きな鏡が置かれているため、普段から、ロッカー内に付いた小さな鏡を見ると簡単に合わせ鏡になってしまうのでした。
 オカルト界に片足を突っ込んでしまった自覚のある私は、合わせ鏡がどうしても怖くて、ロッカー内の小さな鏡は外して着替えをするようにしていました。

 その日は立ち寄る場所があったため、洗面台で簡単な化粧直しを行いました。まあまあ顔が整ったので、じゃあ帰るかと、ロッカーへ向かいます。
 ふと大きな姿見を見れば、私の横顔が見えました。その様子に、顎に肉がついたなあ、などとマスク生活の弊害を感じたのでした。

 ロッカー内の荷物をまとめた時、笑い声が聞こえた気がしました。
 窓が開いていたのかと思い、「帰るついでに閉めるか」とマスクをつけ、スマートフォンをポケット内に突っ込み、出入り口の方を見た時です。

 小さな姿見が見えました。
 その中には私がいました。当たり前です。
 けれど、その顔はマスクを外して笑っていました。 
 マスクをつけ忘れたか、と思わず口元を触りましたが、ちゃんとそこにはマスクがあります。
 じゃあ、鏡に写っているこれは誰だ?
 鏡の中の私は、体の動きは私と同じ動作でありながら、マスクの有無と表情だけが違いました。
 確認してしまったことで余計に状況が飲み込めず、私は硬直しました。
 頭の中で、何が起こっているかと整理しようとした時、先程の横顔を思い出しました。
 正面に鏡を見て、自分の横顔が確認できるわけがないのです。

 どうしよう どうしよう どうしよう
 心臓が早鐘を打ち出します。私は、心霊現象に合う事はあっても、実際にその目で見るものは数少ないのです。
 しかも、それが自分の姿をしているのですから、これから何が起きるか恐怖でしかありません。
 鏡の中の自分と目を合わせた状態で、ただ時間だけが過ぎていきました。

 ですが、その膠着状態はすぐに消えました。
 普段鳴らさない設定のスマートフォンが大きな音で鳴りました。
 入れたばかりのLINEが鳴ったのです。
 慣れない音に驚いて、一瞬、視線を鏡から外してしまいました。 

 でも、鏡の中の自分が何をするか怖くてすぐに鏡に視線を戻したのですが、その一瞬の間に鏡は普段通りの見え方に戻っていました。
 マスクをつけて呆然とした表情の私が、そこに写っていました。
 
 私は慌てて、小さな姿見の前を早足で過ぎ、出入り口の扉に手をかけました。
 振り返り窓を見れば、窓は開いていませんでした。
 叩くように明かりのスイッチを切り、私は逃げるように更衣室を飛び出しました。

 
 それからというもの、私は他の教員たちが多く利用する17時台までには、更衣を済ませるようにしました
 また、自分が着替える時だけは、小さな姿見は見えないところに向けておくことを心がけています。
 異動したばかりですぐに出て行くことはできませんので、できるだけ穏便に過ごせたらいいなと願うばかりです。
 

  
 
 
 

 

 
 

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