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火傷の話

「お前のひいひい婆ちゃんは、それはそれは不思議な力を持った人で、
 念仏を唱えるだけで、血の出ない怪我ならなんでも治してくださった。」
 昔、私が指を切ったり、擦り傷をこしらえてきたりすると、祖母はそんなことを言いながら、傷薬を塗って絆創膏を貼ってくれたのでした。


 祖母が祖父と結婚して家に入った時には、高祖母(ひいひい婆様)も存命だったそうです。寿司屋をやっていたこともあり、日々忙しく、些細な怪我は日常茶飯事だったそうです。
 まして、うちの母たち5人兄妹を産んでその世話もしていたのですから、重度の心臓病を抱えながら働くというのは大変だったことでしょう。
 そんな祖母を見て、高祖母は、常々言葉をかけていたようです。

 そんなある日、食事の支度をしていて、祖母は火傷をしました。水膨れができるくらいの熱傷ですので、少し重いものでした。
 医者にかかるかとも思ったのですが、重い心臓病を抱える身には、医者に行くのも重労働だったそうです。

 すると、高祖母が
「仏様に助けてもらいましょう。」
 そう言って、数珠を巻き付けた手を祖母の怪我に重ねて、経を唱え始めました。
 当時、祖父が『(高祖母は)すごい術を使えるんだ。』と言っても半信半疑だった祖母は、こんなことをしたって・・・とかなり疑いの気持ちを持ちながら、それを受けていたそうです。
 経を唱え終わると、不思議と痛みは消えていました。
 現実主義者の祖母は、仰々しいことを行なったことで暗示にかけられたんだろうと思ったそうです。
 そんな風に半信半疑だったのですが、次の日、火傷を見て驚きました。
 水膨れすらもなくなっていたのです。

「ああ、この人の力は本物なんだ。世の中には、不思議なこともあるもんなんだ。」
 それからの祖母は、今まで以上に信仰深くなったそうです。


 月日が流れ、私が14の頃の話になります。
 うちは店をやっていたせいか、お湯を沸かすときは大型のやかんで大量に沸かし、それをいくつかの魔法瓶に入れておくことが日課でした。
 その日は、インスタントコーヒーを飲もうとして、お湯が切れていることに気づきました。
 店の分もと思い、8リットルやかんで湯を沸かし、沸きたった湯をカップに入れようとしました。

 本来なら、カップにそのまま注げば良かったのです。
 でもその時、私は何故かカップの口を左手で覆うと、その左手に熱湯をかけました。
 
 不思議なもので、最初は熱いとも、痛いとも感じないものです。
 私が何も動ぜずに手に湯をかけているのを、そばにいた叔母も祖母も見ていました。
 皆、私の行動に呆気に取られていたんだと思います。
 そのまま湯をかけ続けると、カップに注がれなかった湯が調理台を伝い、床にこぼれました。それが、私の足に触れた時、私は熱さで叫び、やかんを床に落としました。

 幸いなことに、落ちたやかんの湯は人のいない方に撒かれ、二次被害者を出さずに済みました。
 私が叫んだことで祖母も叔母も我に返り、私のそばに駆け寄りました。
 私の左手の甲は黒ずんでいました。火傷がひどいと、水膨れにすらならないようです。
 家族は私の手を掴むと、蛇口を大きく捻り、ザアザアと勢いよく流れる水に突き入れました。
 水の勢いが刺激になって、肌が燃えるように痛みました。湯をかけていた時にはわからない感覚でした。
 5分以上冷やしながら、私は家族に叱責されましたが、何故あんな馬鹿なことをしたのか分かりません。
 魔が刺した、とでもいうのでしょうか。

 焦げた様相の左手を見て、叔母や帰宅した母が医者に連れて行こうとしました。
 素人目から見て、通常の火傷の様相ではなかったレベルのものでした。
 でも、祖母はとても冷静に、皮膚の保護の油を私の手に塗りながら
これは、仏様に助けて貰うもんだ。」
と、言いました。
 祖母にしては珍しい言葉だと正直驚きましたが、祖母から高祖母の話を聞かされていた私は、すんなりそれを受け入れました。
 祖母は、手際良くガーゼや油紙で傷を覆い、処置をしながら、法華経のいくつかの経を唱えてくれました。
 叔母や母は、私を医者に連れて行きたかったようですが、祖母は家長でしたので逆らえません。
 結局、『明日、悪化した場合は医者に連れていく』と妥協案を立て、家庭でできるレベルの手当てで、火傷の処置は終了しました。

 流石にその日は痛くて寝つけませんでした。
 けれど、次の日の朝、痛みは驚くほど引いていました。
 祖母以外の家族は、『痛覚もやられたんだ』と言って私を医者に連れて行こうとしました。ですが、
「今、ガーゼを剥がしたら、皮膚も一緒に剥がれて酷いことになる。このままでいい。」
と、祖母は妙に冷静に指示を出すのです。
 戦争も体験した祖母の話ですから、妙な現実味もあり、母たちは祖母の指示に従います。
 私は、痛みもなく普通に指が動かせる時点で、傷が残ろうがどうでも良かったですし、大きな病院レベルに行かねばならないと考えると、待ち時間や通院にかかる時間が面倒でつい億劫になってしまいました。
 学校でも、担任や養護教諭からも『専門医に見てもらえ』と言われましたが、特に医者には行きませんでした。

 そうこうして2週間ほど過ぎた頃、包帯と油脂を取ったのですが、狐色以上に焦がした食パンのような左手に出会えました。
 皮膚は定期的にガーゼの上から油を塗っていたのですが、カサカサで踵みたいな感じがしました。皮膚が吊れる感覚はありましたが、動かすのに問題はありませんでした。
 そして、微かな感覚にも慣れた頃、日焼けした肌が向けるように呆気なく皮が剥け、あと一つ残らない左手が戻りました。


 リアリストの祖母にしては、行動理由がわからない不思議な体験でした。
 ちなみにうちでは、今も何か怪我をすると、治療の後に仏様に祈っていたりします。
 うちは、いたって普通の、昔からの仏教徒ではあるのですが、「ちょっと変わってるんだろうな」という自覚はあります。

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