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水泥棒


今年の初夢の話です。


薄暗いモノクロームの和室に、私は座っていました。
いつもの明晰夢かなと思っていたら、対面に年配の着物の女性と30代と思われる男性が現れました。

お二人は正座だったので、私も座り直しました。
相手の顔をまじまじと見つめましたが、知らない相手だなあ、と思っていると、
「お前の親父がうちから水泥棒をしやがった!」
と胸ぐらをつかまれ、怒鳴られ続けました。
かなりの罵倒の言葉をいただきましたが、私には納得が行きません。

確かに、私の父は生前はいろいろなことをしてくれました。
私の気持ちの整理がつかず、記述に残すのを躊躇う程度には、悪い人だったと思います。
ですが、私の父です。
私は体の自由が効くのを良いことに、掴まれた手を振り解き、相手の胸ぐらを掴み返して怒鳴りました。

「うちの親父はクズだが、盗むんなら水なんてチンケなものじゃなく、金目のモノだ!人違いだ、他を当たれ!」

恥ずかしい言葉ですが、私の剣幕に相手も圧倒されたのか、バツの悪い顔をしてすごすごと引き下がってくださったのでした。


そこで目が覚めました。
明晰夢でしたので『ああ、幽霊が何か伝えに来たな。」程度の気持ちでした。

目覚めてからももやもやした気持ちが収まりませんでしたので、一応、母には報告しました。
母は、「うちには百姓は居ないんだけど遠縁かしら。」くらいの返事でしたが。

納得のいかない初夢でしたが、気にせずに生活しておりました。
ですが、3週間後、仕事道具の文房具しか入っていないはずの引き出しから、父が音信不通になってから亡くなって墓に入れるまでの記録が出てきました。
当時、自分の気持ちに整理をつけるために記録し、処分したものが、なぜか残っていたのです。
見た途端、
「あ、父は本当に、あの世で何か悪いことをしたのか。」
と、青ざめる気持ちでした。

慌てて母と叔母に相談しました。
すると、母が
「仕事で、父親の墓のそばを通っていた。
 多分、そこで私(母)に気づいたんだと思う。
 今は通っていないから、さみしくなって連絡したんじゃないか。」
と、言うのです。

それを聞いて、思い出しました。
父は、水はわざわざ泥棒しないけれど、他の狙いがあった場合には『目的遂行のための手段は選ばない』タイプの方であった印象があります。
そして、母のことを本当に好きでした。
子供を邪魔に思う程度には母を好きであったと、子供の目には見えました。


家族で話していても埒が明きません。
ですので、連れ合いに一緒に来てもらい、人生3回目の父方墓参りに行来ました。
寺の名前も、父の戒名も知りませんでした。
覚えてないのではなく、当時『興味がなかったから聞かなかった』のです。
ただ、葬儀に参列したのでした。

行ってみますと、寺に墓石はありましたが、名前は違っていました。
曾祖母の家の墓に、祖母と父とが一緒に納骨された形でした。
10数年前に、父の遺骨を墓に仕舞う時に来たはずであるのに、全く覚えていませんでした。

墓は、元々古い形の墓でしたが、無惨な状態でした。
花活けは干上がり、水受けには土が積もって盛り上がり、苔が生えるだけでなく、草が根を張っていました。
墓石は、苔が生え、変色し、所々に石が剥離していました。
心ある人が見たらどう思うでしょう。
否、誰が見ても悲惨な状態の墓でありました。

隣近所の墓を見ますと、墓自体が綺麗な石作りでしたが、定期的にお参りされてる感があり、花も活けられて、丁寧に供養されている感じがありました。
何よりも『茶碗に水が酌まれていた』のです。

あぁ、これは水泥棒をしたくなる。と思いました。
父は、家族から頼られたいと思っていた人でしたから、きっと水が欲しい、供養が欲しいと頼られたのでしょう。
ですので、手っ取り早い方法をとってしまったのかと思いました。

連れ合いに手伝ってもらい、水うけの土を剥がして洗い、墓石の苔を削り、墓石が剥離しないように気をつけながら水洗いをしました。
ある程度形が整ったところで、花を活け、コップに水を酌み、線香を供えました。
周囲の方々にご挨拶をしました。
そして、『呼ばれたから来た。またいつか』と挨拶をして、墓に眠る家族と別れました。

掃除している間は、父方の曾祖母の思い出がずっと浮かんでいました。
そして最後に、曾祖母がいる感じが、ぼんやりとしました。
父は、最後まで居ませんでした。
私と父との関係は、それで良いんだと思います。


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