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祖父と叔父


祖父は信心深い人でした。

祖父の祖母(私にとって曾曾祖母に当たる方)が、宗派のお山に席があったそうで、その影響を強く受けたのが祖父だったそうです。

曾曾祖母は、お弟子さん達と大きな数珠を回しながら降霊術をして、相談者さんの悩みに応えていたそうですが、それを間近で見て育った祖父が、信心深くなるのは自然なことだったのでしょう。

ただ、信仰が深くても、祖父は霊が見えたという話を一切家族にしませんでしたので、霊感の類はほとんど無かったのではないか、と思います。


祖父は晩年、肝臓癌を患いました。
激痛に苦しみ、癌が発見されたころには余命半年といわれたそうです。
最後の時間を病院でのケアで過ごす筈でしたが、入院中の祖父は、看護士の方達に
『病室内で二人の男が話し続けて煩い。』
『変な婆さんが男性の病室を覗きに来るのを何故止めない』
などと、居もしない人々への苦情を申し立てて居たそうです。

そんな祖父に対して、病院の判断としては癌の進行による妄想と捉えたようで、見舞いに行く度に目にしたのは、薬を投与され続け寝たきり老人となっていく姿でした。

母とその姉弟達は、祖父のその状態が耐えられず、入院して二月ほどで、祖父は自宅のあるビルの自室に戻り、家族に介護されることになりました。

夏に余命半年と言われた祖父でしたが、家に戻ったことで安心したのか、新年を迎えることができました。
自宅では、妄想と言われた話をすることもありませんでした。
『あれは、病院の薬のせいだったり、集団生活のストレスからの症状だったりしたのかもね。』
そんな風に家族は話していました。

けれど私は、薄々、家の変化に気づいていました。
祖父の帰宅から数月のこと。
祖父の部屋から続く、屋上への扉の外が怖くて怖くて仕方がなくなっていました。

屋上への扉の外には大型の製氷機があり、店で足りなくなった氷を持っていくのが私の仕事だったんですが、そこに行く度、冷たい視線の何かがじぃっと私を見てくるのです。
でも、怖くても母や叔母達には言えませんでした。
介護と仕事、私と弟の世話をしてくれているので、余計な戯言を聞かせるわけには行かなかったのです。


介護が続く中、祖父が母に言いました。
『窓から人が入ってくるんだよ。泥棒かね。』
住んでいたそこは繁華街の中にあるビルでしたし、店子の店には実際に泥棒が入った事がありましたから、母は驚いて家と店の窓を確認しました。
けれど、侵入した様子はありませんでした。
母は、寝たきりだったから痴呆が始まってしまったんだろう、と思ってその時は気にしませんでした。 

ですが、また数日経って、祖父が母を呼び
『お客さんが来てるから、迎えなきゃだめだろう。』
と言いつけました。
祖父がいる部屋から玄関は見えませんが、チャイムや大声ならば聞こえます。
母は自分が気づかなかったのかと思い、迎えに行きました。
ですが、玄関には誰もいません。
戻って祖父に伝えると、男性が2人来ていたと言ったそうです。
見てもいないのに、いやに力強い断言でした。
母も変に思うようになりました。

そんな不思議な訪問者が続く頃、ついには母も『屋上に行くのが怖い。冷たい風が吹くんだ。』と言い始めました。
今まで、私が扉に居る冷たい視線については話さなかったにも関わらず、です。

母がそんな風でしたので、私はやっと母に扉の外にいる『冷たい視線の誰か』の話ができました。
母はちょっと顔をしかめ、「縁起でもない。」と話を終わらせました。

その数日後、母が祖父の身体を拭いていた時のこと、こんな会話があったそうです。

「なぁ、窓から入ってきた人居ただろう。」
「はあ。」
「あと、訪ねて来た人の片方なぁ。……あれ、私の息子だったよ。」
「はい?息子って…兄さんですか?」
「うん。お前達と同じに年をとってなぁ。立派な大人になってた。」

祖父は嬉しそうにいうのでした。
母は呆気に取られた様子で、祖父の話を聞いていたそうです。
何故なら、母の兄にあたる人は、母が生まれる前、幼くして亡くなっていたからでした。
誰も、その人のことは知りません。
ですが、生前の写真が仏壇にありますので、顔は分かります。
祖父と祖母の両方に似た顔立ちの方でした。

母はその時、『馬鹿なこと言わないで下さいよ。』と、話を終わらせてしまったようですが、祖父は満足気な顔をしていたそうです。

その次の日の朝、祖父は亡くなりました。

桜の咲く時期の話です。
花の散る中での葬儀を思い返してしまいます。

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