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下から見た景色

私の実家では、昔からペットを飼っています。
私が成人してからは、コーギーを飼っているのですが、その2代目となる現在の子は、どうやら見えているらしいのです。

猫があらぬ方向をじっと凝視する、というのはよく聞く話です。
うちのコーギーも『正にそれ』といった姿を見せていて、私が帰ってくるとあらぬ方向に向かって唸っていたり、逆にオドオドしてベッドの下で震えていたりするのです。

もともと、視力があまり良くない犬の中でも、2代目の子はより見えていないらしく、匂いを嗅がないと飼い主も誰が誰だかわかっていないくらい、周囲をぼんやりと見る子です。
先代のコーギーが、目が良い犬だったものですから、2代目の視力を心配して獣医に連れて行ったりしたのですが、犬の視力は完全に失明しない限りは「見えている」と判断すると言われました。

見えにくいことは、不意に音がした時に何がおきたかを判断しづらいということです。
そのせいか、散歩がとても嫌いで、周囲に音が氾濫している状態では頑として動かなくなる子に育ちました。
それもうちの子の特性として受け止め、かなりの早朝か夜分遅くに散歩に出るようにしていました。

そうやって、散歩が他のペットと被らない時間で行うようにすると、育ちにくいのが社会性です。
他のペットとの交流を持とうとすると、完全に固まってしまう臆病な子が育ちました。



さて、コロナで街中が静まり返った昨年春の話です。

ある日のこと、私は珍しく飼い犬を連れて昼の散歩に出かけました。
工事現場は静まり返り、近所の小学校や保育園もしんと静まりかえっていました。
これならつれていけるだろうと判断し、道をすれ違うような人の姿も見えないことを確認してから、家の敷地を離れました。

飼い犬は静まり返った明るい街に興味を持ったのか、機嫌よく歩いてくれていました。
こんな風にのんびりできるなら、この状況も少しはありがたいなあ。
などと、不謹慎ながらも思ったものです。

そんなことを考えながら、散歩を続け、近所の保育園の前に差し掛かった時でした。
道路の真ん中で、急に、飼い犬が足を止めました。
どうしたかと、リードを引いてみますが、飼い犬は全く動こうとしません。
顔を進行方向の先に向け、凝視しています。
そのうちに、身を強張らせつつ腰を落とす姿勢を取りました。
耳は前方に向け、集中して音を聞き取ろうとしていました。

でも、そちらには何もなかったのです。
少なくとも、私の目には見えませんでした。
飼い犬は腰が引けた姿勢になりながら、小さく唸り始めました。
緊張しているように思えたので、頭を撫で落ち着かせようと声をかけます。
飼い犬はそれ以上の唸り声は出さないものの、耳を倒し、伏せの姿勢に変わりました。
道路の真ん中にべったりと腹をつけて伏せられてしまうと、抱き起こすのはちょっと厄介です。

どうしたの、行くよ
と、声をかけて強めにリードを引きます。すると、飼い犬は恨めしそうな困ったような顔をして私を見上げ、そしてまた、前方に視線を戻しました。
そんな風に、代わる代わる何度も視線を動かし続けました。

大丈夫。他の犬、居ないでしょ。と、言いながら、私は飼い犬のそばにしゃがみ込みました。
犬は伏せたまま、首を伸ばして私に頭を撫でてもらおうとするので、求められるに応じて撫でてやりました。
犬は鼻をスピスピ鳴らしながら撫でられているのですが、それでも何かに視線を向けています。

しゃがんだまま、私はそちらを見ました。
すると、道路の真ん中に黒っぽい、大きな塊が鎮座していたのです。
先程まで、しゃがんで撫でる十数秒前まで、道路には何もありませんでした。それにも関わらず、それははっきりとそこに居ました。

私はびっくりして、思わず『何?』と声に出ました。
すると、塊がぶるっと震えたように見えました。
確かめようとして立ち上がりかけると、それは跳ねるようにして道路を離れ、保育園の柵を抜けて逃げてしまいました。

何だったのか、と思っていると、飼い犬は起き上がり、何事もなかったかのような顔をして、意気揚々と歩き出しました。散歩の再開です。
私は、飼い犬の方が大事でしたから、黒い塊が何だったのかを確かめることなく歩き出しました。
塊が逃げ込んだ保育園はコロナのために休園でしたので、それ以上確かめようもありませんでした。


思い返せば、あの黒い塊は、引越した当初に見たこの近所のボス猫サイズだったなぁ……という気がします。
会えたのは今のところその一度だけなので真相は分かりかねますが、また、天気の良い日には表れるのかもしれません。

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