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春だけど菊次郎の夏を観たので突発的に感想を書いたということ

どうしてここまで更新が空いたのか

 説明してもそこまで長くならない。まず一つ、作曲にリソースを割きすぎた。二つ、自らが書いた公募の小説が中間選考を通り浮かれまくっていた。三つ、noteの存在を半ば忘れていた。

 どうしようもない。なんということ!

 本当は二つ目の記事は「福山芳樹氏の「真っ赤な誓い」をう〇こしてる時に聴くと歌詞が全く別の意味に聞こえてくる現象」などというどうしようもない記事を書こうとしていたら、いつの間にか冬が過ぎ春が大量の花粉と共に押し寄せてきた。幸いにも花粉症を患っていない私は苦労をしていないが、それはともかくとして更新が一切ないこの状況を打破せんと奮起し、この記事を書くことにした。以下本題。

菊次郎の夏とはなんぞや

 ビートたけしこと北野武が監督、脚本、編集を務めた北野映画第九作目である。音楽はかの有名な久石譲、主演はモチのロンでビートたけしである。
 あらすじは、主人公の小学三年生の正男が母に会うべく菊次郎と豊橋まで旅をするというロードムービーもの。

 もしこの映画を知らず北野映画=アウトレイジという人がいたら、ビートたけしが監督ゥ? どーせまたヤクザと暴力っしょwww(筆者はアウトレイジを観たことがない+ド偏見で書いている)と思うかもしれない。安心していただきたい。

ヤクザも暴力もある。がそれ以上の絆がある

 田舎の情景をたっぷりと映し出すカメラワーク、東京の住宅街、おじちゃん、そしてビートたけしこと「菊次郎」が、もう鮮明に残るのなんの! 自然の豊かさと個性豊かすぎる面子、そして久石譲のSummerの相乗効果は予想を思いっきり超えていった。もうびっくり。ここからは菊次郎の夏の良い所を極力ネタバレしないで力説し倒していく。

主人公がいい

 小学三年生の正男は友達はいるものの、今でいう陰キャティクスを内包した子で、大体のシーンで下を向いており、口数も多いとは言えない。だがそこがいい。
 どうして自分がこんなことになっているのか、下を向いていることによってその感情が伝わってくる。例を挙げるとするならば、菊次郎と競輪場へ行っている時、友達が旅行へ行ってしまった夏休み初日、同じように俯いているのに全然ニュアンスが違う。前者は母を探しに行くはずなのにどうしてここにいるのだろうか、後者は僕はどこにも行けないのに友達は旅行へと行ってしまう寂しさ。この少しの動作で様々な感情を視聴者に想起させる正男はスーパーボーイである。

菊次郎

 正男の付き添いでとんでもなくぶっきらぼう。母を探すための旅に出たと思ったら初っ端競輪場に行ったり、当然のようにタクシーを奪っていく。だがしかし、正男を守ろうとする姿や慰めようとする姿は漢気がある。活躍を余すところなく書き記したいがぜひ本編を見て確かめてほしい。百聞は一見に如かずである。なんだよバカヤロー!

シュールなギャグとたけし軍団

 ふふっと来てしまうギャグが所々にある。ホテルのシーンと立ち入り禁止は必見。ぶっきらぼうな菊次郎と連れまわされる正男のでこぼこな関係が生み出すあの空気感はハマる人にはどっぷりハマる。私はハマった
 そしてたけし軍団である。グレート義太夫とか井手らっきょが出てくる。テレビをあまり見ない私からしたらなんとも思わなかったが、人によってはバラエティみたいだと思う人もいるようだ。だが私は好きである。菊次郎に振り回されて遊びに付き合わされる後半がとても印象深い。

久石譲の音楽、そして無音

 美しいメロディラインのSummerを始め、様々な楽曲が映画を彩る。そして音楽のない地帯。どちらも半々の割合である。この映画で初めて知ったのだが、Summerのメロディラインを使った曲がいくつかあり、そのどれもが描写と背景にマッチしている。太陽に焦がされる森を背に、海を目の前に、それらのバックに音楽があり、意識せずとも印象に残るのに映像の邪魔をしてこない。エリック・サティの目指した音楽性のようなものを感じた。
 そして無音である。音楽が流れない地帯がいくつもあるのだ。少なくとも、私の知っている映画の大半はバックにストリングス一本でもシンセサイザー一本でも音楽がある。だが、この映画は無音を使ってくるのだ。自然の音、風景を十二分に伝えるための策略であろう。ただ、これが退屈の原因になる人もいるであろう。前半は台詞の数の少なさも相まって余計に拍車をかける。だが、自然にどっぷりと浸かりたいという私のような人にはむしろぴったりであろう。

突き付けられる現実

 菊次郎の夏は「たくさん遊んで、すこーし泣いて」というキャッチコピーがある。すこーし泣いての部分がこれに該当する。正男は、母の元にやっと会えるのだが、現実は甘くなかった。これ以降はぜひ映画を観て確かめてもらいたい。先に書いておくと、この生々しさは人の暖かさや現実をよく知っているたけしだからこそできるのだと思う。そしてその現実は菊次郎の方にも向いてくる。絆の芽生える後半、どちらも「母」を幼いうちから知らないからこそ、より一層深い味わいが出ている。

タイトルが「菊次郎」の夏なのは

 もしこれが正男の夏であったら、私はもしかしたらこの映画に興味を示さなかったかもしれない。どうしてか、菊次郎という名前の響きに妙な親近感と夏らしさがあるような気がする。そして、この映画を観終わった後、タイトルが菊次郎の理由がよく分かった。これが菊次郎なんだなぁ、だから菊次郎なんだなぁと。最初にネタバレを極力しないとか書かなきゃよかった! ここすごく書きたい!

結論、美しい景色とシュールなギャグ、そして切ないストーリーが心を豊かにする作品

 台詞も多いとは言えず、とてつもない盛り上がり箇所もないが、心に残る作品だった。個性豊かなキャラクターの掛け合いが生み出すシュールギャグは見ていて心地が良く、菊次郎と正男の絆が段々と深くなっていき、そしてあのラストが来たときは心が震えた。ロードムービーの入門としても北野映画の入門としてもおすすめできる一作であると言えよう。豊橋にいつか聖地巡礼に行きたいものである。

 音楽歴が長い故、音楽の解説だけやったら長くなってしまった。そしてネタバレを控えてこの作品を解説していくとなると中々に辛いものがあった。レビューの力量不足が見て取れる。深夜三時に見始めてその後散歩、そして帰宅直後にこの文章を書いているため、絶対に文章がぐっちょぐちょであろうことは言うまでもない。次の更新はいつになるか分からないが、楽しみにしてくれると嬉しい。では。


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