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哲学。

突然ですが「信じる」って何?
「信じる」って結構何も考えずによく使うワードだけど、私は信じるって信頼関係がないとできないことだと思っています。
だから私は基本誰のことも信じてない。
…なんて、文字にしてしまうとちょっと大袈裟に聞こえるけれど。笑
そこまで深刻ではなくて、「信じてるけど、どこで何があってもおかしくないと思ってる」くらいのニュアンス。
そんな中でも私は信じている人がいて、でもその“信じている”、はやはり先に書いた通り「信じてるけど、どこかで何があってもおかしくないと思ってる」状態でした。
だから「信じるってしんどいな」と日々思って生きていたのですが、先日ネットニュースで芦田愛菜ちゃんが主演映画“星の子”の完成報告イベントで「信じること」について答えていて、まさにそれ!というコメントをしていたので、今noteを書いています。

自分の理想像に期待、不安な自分を払拭したい願望

この映画のテーマの一つである「信じる」について聞かれた愛菜ちゃんの答えがこちら。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

すごくないですか?
これを聞いた時に、自分が漠然と持っていた感情が明確に言葉にされていて、なんとなくネットサーフィンしていて行き着いた動画ニュースを何度も何度も再生して聞いてしまいました。
気になる方はぜひこちら見てみてください。
不安な自分がいるからこそ信じると口に出すし、自分の理想を相手に当てはめてそこにすがっている…特に意識していなかったけれど、まさしくそれが私の「信じる」でした。
常に「裏切られること」に恐怖を抱きながらも「信じている」からしんどかったし、そこにエネルギーがいる。
ちなみにこんな事考えて、こんな答えに行きつきながらも、私は「信じる」って幸せな事だとも思っています。
「信じたい」人がいるって幸せじゃないかな?
その分自分も信じてもらえる人になれたらいいな、そんな結論に至りました。
別に何があったわけではなく、勝手に自分がなぜかそんな感情で生きていたことに気づいた、そんなニュース。すごい哲学だった。
これを高校生の子が考えて発言しているんだから、私はまだまだ考えが浅いな、と。
いつかここでこんな“哲学”について書けたらいいな。


なんて書いたけれど、普段の私は「ハワイにいきたい」くらいしか考えていません!笑
そんな感じで、私の頭の中の記録でした。

Masumi





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