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日本人だからって日本博士ではない 外に出るならまず内を知る

わたしが王立プノンペン大学のMaster of Development Studies で受けている授業のひとつに、Development Governance and Policyというものがある。各国のガバナンスや政策が、国の発展とどのような関係性があるのか、そもそもいいガバナンスだから国が発展しているのか? などを学ぶものである。

比較することで実態を浮き彫りにする

この授業の特徴は、各国を比較し、ガバナンスや政策の国別ケーススタディを活用して理解していくことにある。そこで、毎度持ち出されるのが、中国と日本。理由は、クラスメイトはほぼカンボジア人であるが、日本人ひとり(わたし)と中国人ふたりがいるから。しかもどちらもカンボジアと近しい国であるゆえ、ポルポト政権崩壊以降のカンボジアの発展を述べる上で、外すことのできない国である。

積もるアンフェア感

授業中うかうかしていられないのは、30分に1度の割合で、教授から質問や意見を述べる場が、自分にすっとんでくることだ。いまはオンラインだからって、音もカメラをも消したって、小指を立ててコーヒーをすすることも、トイレにだって行っていられない。
「日本の場合はどうだ? 」「日本政府はどう対応している? 」
正直、わからんわい! ってこともごりっごり質問される。こんな圧迫感とせわしない心理状態を強いられて、もし成績がAとれなかったら、マジでアンフェアと思ってしまう。ちなみに、中国人は2人いるので、上手に回答のタイミングを分け合っているようだ。

クラスではわたしが日本代表ということになる

しかし、よくよく考えてみると、自分もクラスに他国の人がいたら、その人が全知全能であるかのように質問してしまうかもしれない。目の前に存在する外国人は、自分にとってはその国の代表選手なのだから。
つまるところ、わたしも、Master of Development Studies 14期生の日本代表だということ。わざわざカンボジアの大学院に来ている日本人として、果たすべき責任がある。そのことを忘れかけて、アンフェアだとブーたれていた。

外国のことを学びながら日本のことも学べる環境に感謝せねば

自分はいま、とてつもなく恵まれた環境にいるということに、今更ながら気づきはじめた。カンボジアの発展について学びながら、日本の経済や政治、戦後から現在までの復興の歴史、災害の乗り越え方…、日本についてのあれこれをここにきて勉強することになった。日本のことを知ればそれは、他の国と比較することで、他の国についての学びが広がり、深くなる。外国で学ぶとき、同時に日本について学ぶことには、メリットしかないような気がしてきた。

日本をあきらめて外国に行くのではなく、日本を好きになってからのほうが断然いい

日本がダメだ、日本がしょうもないわ〜、って外国へ出て行くと、絶対に行き詰るときがくる気がする。たとえば、外国人が自分に日本のことをあれこれ質問してくる場合、その人は、日本に興味がある人で、うっかりするとそこらへんの日本人よりカルチャーや文学、政治問題や歴史に詳しかったりする。日本のことなどろくすっぱ知らずでは、相手は間違いなくがっかりするし、自分の無知に愕然とするときがくるかもしれない。実際に、そういう経験をした日本人に少なからず出会った。

「将来国際的な仕事がしたい」「外国に住みたい」「国際協力に興味がある」そう考える若者は、大学進学の際に迷いなく、国際関係学科、英米文学科、国際交流学科、的な学部を選ぶ傾向にある(担任の先生や塾もそう押していることが多い)。そこで英語漬け、欧米カルチャー漬けの日々を過ごすことを目標にするのかもしれない。けれど、そのときの勉強の方向性が将来の外国生活を左右することになりかねない。自分が外国に出てきて思うのは、日本のことを知らない日本人は、外国ではけっこう非力であるということ。将来外国に出たいなら、”日本について学ぶ”ことも忘れないでもらいたい。それも、日本に滞在する人より、ずっと広く、深く。

歴女だって恥ではなく役に立つ

かくいうわたしは、大学では歴史地理学科の日本史学専攻のいわゆる歴女である。NGOで働いているときも、カンボジアで自己紹介するときも、以前はそのことが恥ずかしいと思っていた。まわりは国際関係的な畑出身者が多かったし、自分の学歴は畑が大違いだったから、笑われることもしばしば。けれど「日本が好きだからこそ外国に行こうと思ったんだ」ということを、いまなら、正々堂々と宣言できる。「日本っていいなー、うらやましい」と言われれば、胸を張って「でしょー(ドヤ顔)」と言える。いまの日本はそう言えることばかりの国ではないけれど、そう思えばこそ、授業中も日本代表として、プレッシャーに打ち勝てるというもの。

冗談ではなく、日本の歴史が人より少しだけ詳しいということが、実際外国ではとても重宝する自分の道具となっている。
今日も今日とて、来週のプレゼン「日本の法律制定プロセスについて」の資料作成に勤しんでいるプノンペン暮らしの夜であった。

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