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カンボジアの教師に対する敬意と、高まるクラスメイトへの愛

世界中が影響を受けている例のアレの流行によって、わたしが通う王立プノンペン大学Master of Development Studiesのオンライン授業も、3週目を迎えました。今週はあれこれ状態があまりよくなかったのですが、それによって得たものもいろいろありました。

1年でいちばん暑い季節の到来と懸念される停電

うちの冷凍庫の霜が、ぐんぐん成長を見せています。この成長をあたたかく見守りすぎていると、冷凍食品の収納能力がすこぶる衰えます。
あの季節がやってきました。停電が頻発する季節です。
乾季(11月~5月)は川の水量が下がるので水力発電に頼るカンボジアのような国は電力不足に陥ります。すると1日に何度も細かい停電を知らぬうちにしていたりして、冷蔵庫が止まったりうなったりして、妙に霜が増えます。
影響を受けるのは冷凍食品のスペースだけでなく。今日のオンライン授業の間にも、うちのアパートは2度、停電をしました。停電中はWi-Fiも切れるから通話がストップ。zoom meetingを2回も出たり入ったりしてしまった次第です。しかし、わたしに限ったことではなく、数人か、そんなクラスメイトが見られました。まぁリアルな授業中に、ちょっとトイレに失礼したというくらいのことなので、ほかの人に「さっき先生は何を話していた? 」と聞ければ、大した問題ではありません。

教授側の音声が割れて何を言っているのか不明な事態

今日の問題は、わたしたちのトイレタイムではなく、教授の音声でした。インターネットなのかスピーカーなのか、どこに問題があるかわかりませんが、大事なところを説明しはじめると、割れる声。扇風機の前でワレワレハウチュウジンダって言っているときのような、声の割れ方。
何度も何度も調整をしてくれて、大体5分に1度は、Can you hear me? の中断。「もし音声がよく聞こえなくなったら、目の前で手をクロスしてくれ」そういう新しいサインも生まれました。わたしたちは、5分に1回、カメラに向かって、腕をクロスして、ウルトラマンの光線みたいなのを教授に送っていました。数人が一斉に×を示す映像は、結構シュールで楽しかったですが。
ついでに、フリーのzoomの40分制限問題も相まって、今日はスムーズに聞いていた時間より、中断して新しくつくられたmeetingに5,6回入り直したり、腕をクロスしたりしている時間の方が、正直長かったです。つかれました。

カンボジアは、“教師を敬う”という観念がひじょうに強い国である

画面越しのみんなの顔も疲弊気味でしたが、教授が何度も何度もトライしてうまく接続しようとくれたこと、ひとり一人に自分の声が聞こえるかと問いかけたこと、「今日は我慢ばかりさせる授業でごめんなさい」と仕切りに謝ってくること(別に教授のせいじゃないのに)。
授業にならない授業でも、受ける側からほとんど不満が出ません。教授から見えていないところでも。授業と並行して、学生のみでこっそりチャットしているグループチャットでひとりが、「今日の授業は少しつかれる」と書いたとたん、他のメンバーが、「先生の努力に敬服した」「わたしたちに教えてくれようとして、すごく頑張ってネットの不具合と闘ってくれた」と返信をはじめたのです。
カンボジアは、“教師を敬う”という観念がひじょうに強い国である――ということはよく聞きますが、実際に(日焼けで黒くなりはじめたこの)肌で感じています。ゆるぎない文化なんだなぁ。

教師を敬う姿勢のカンボジア人学生たちはいい子ちゃんを演じているわけではなく本気みたい

結局は、半ば崩れかけて、教授のインターネット接続が切れたまま、本日は終了! となった尻切れトンボ状態の授業でした。強制終了となった瞬間に、教授からfacebook ページで、今日はうまくいかず申し訳なかった旨と、今日の内容に関するPowerPoint資料が送られてきました。もう想像できると思いますが、これに対して、「わたしたちのために今日は力を注いでくれてありがとうございました。先生を尊敬します」的なコメントが同時多発。いい子ちゃんを演じているわけではなさそうです。おそらく、彼らのDNAに、kyoushiwouyamaukoto的な何かが刻まれているのだろうと察します。
わたしとしては、教授に、そうやってきちんと敬意を示すクラスメイトに敬意を示したいとともに、彼らに対しての愛が高まった1日となりました。

今は世界中が辛いときだけど、だからこそ経験できることも多々あるということで

Social Distancingのために、以前のように、輪になって座ってディスカッションすることも、休憩時間に腕を組んでコーヒーを買いに行くことも、まだしばらくできなそうですが、物理的な距離は離れても、同じことを学んでいる仲間たちとは何があっても心でつながっていたいと思いました。

カンボジア人と同じ目線で学んでみよう計画2年目、ハプニングから生まれる経験は、わたしにとって宝となっていくでしょう。

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