日記⑩(2019.12.31)
人の気配がない終末的にも感じる夜でひとを待ちながら、ぼくは年の瀬についに突入し、その境界を越えようとしていた。
年の瀬、という言葉をクリスマスを過ぎた辺りから幾度となく想起した。川の流れの真ん中、状態的には折り返しとも見ることができる。その川とはつまり時間だとすると、ぼくらは常に流れに半ば逆らいながら、対岸を目指し渡っていることになる。生きるとは、つまり、渡り続けること、?
遮蔽物なしに突っ立っていると意識は飛沫のようにあっちこっちへ飛び、綿毛のように付着する。同時多発的で進行していく意識。それらを一つ一つ検分していたら、幼馴染みが自転車に乗ってやって来た。ぼくが待っていたスーパーの駐輪場に停めて、坂の上のお寺に除夜の鐘を撞きに、歩いた。
ぼくは大晦日にお寺に来ることが初めてで、鐘撞きなんて十人もいればいいと思っていたのに、ざっと二、三十人はすでに並んでいた。寒いから手を清めるのは素通りして、お賽銭に五円玉が無かったから一円玉を放って、幼馴染みのあとに大きい鈴? を鳴らして手を合わせた。不幸にもぼくはお寺で祈念する用の願いがなかったから、目を閉じている幼馴染みを見ていた。お祈りしている顔をしていた。敬虔というと違うけれど、こういう人は必要なんだろうな、と漠然と思った。
鐘撞きの列の最後尾につく。忘れた頃に吹く突風に見舞われたり「煩悩」を列の口々が発するのを数えようとしたりしながらすこしずつ前進する。最初はどっちが大きく鳴らせるか、と話していたのに、あと五組くらいになって鐘に接近するとすっかり耳は痛められつけていたから、どっちがよりマイルドに鳴らせるか、に変わった。それに笑ったりもしていた。
いよいよぼくの番、おそるおそる階段を上ってまた一円玉を放って頭を上げたら鐘を撞く棒にぶつかってしまった。幸い大して痛くはなかったものの、大丈夫? なんておじさんに言われてしまい、速やかにマイルドに撞いてそそくさと階段を下った。その後幼馴染みはしっかり何事もなく撞いていて、ちょっと悔しかった。いや、身長が同じだったら、あるいは。
定められた経路を進むと、百八組限定でお汁粉が配られていて、もらった。風がなさそうな壁際に座ったけど、風は変わらず強かった。お汁粉は寒さのせいか猫舌のぼくにぴったりなくらいで、だから三口ほどで食べてしまった。それからゆっくりと大事そうにお汁粉を食べる幼馴染みを見ていた。幼馴染みのマフラーを直す仕草がとてもかわいいことをぼくは知っていた。そういえば、当時中学二年生だった頃に幼馴染みを好きになったきっかけはこれだったなと思い出して、こんなことを思い出していることに年の瀬を感じていた。
お汁粉はおいしかったけど、幼馴染みが食べ終える頃には二人とも寒さしか感覚が働かなくなっており、何でもないことにまで笑い合っていたから、暖を取ろうと近くのセブンイレブンに向かった。ちょうどトイレにも行きたくなっていた。鼻までかんで化粧室を出ると、もうあと二分で年越しだったから、慌てて外に出る。セブンイレブンの中で年越しは嫌だと幼馴染みが言う。セブンイレブンの前で年を越すことになった。あと十秒になって幼馴染みがカウントダウンを始めた。9、8、年を越すときにジャンプをするような性格では、ぼくも幼馴染みもなかった。5、4、いいことを思いついた。2、1、ぼくはジャンプをした。するとそれにびっくりした幼馴染みもつられて慌てたようにジャンプをした。ちょっと、と言いたげな表情をみてぼくは笑った。続いて幼馴染みも笑いだした。
年の瀬というと、なんだか走馬燈のような、そんな慌ただしい感じがする。それはそれで正しいのだろう。けれどそれに逆行してみたい。楽観的なんだろうな、遠近の世界に対して。それでも慌ただしく流れる事象や時間に、そのまま流されてみたい。こんな風な年越しは新鮮だったから、ちょっとはそれに近づけていたのかもしれない。明けましておめでとう、今年もよろしく。
今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。