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共和主義者の憂鬱

皇室ってなんだろう。なんであの人達だけは特別なんだろう。私が生まれるずっとまえから続いている日本で一番尊いとされる一族で、テレビでも新聞でも陛下殿下と最高級の尊称で呼ばれ、マスメディアから神聖不可侵なオーラを「演出」されている存在。はっきり言って、自分にはその存在意義がよくわからない。

こういうと皇室系敬愛論者からは国民統合の象徴だからとか、対外的に日本を代表する存在が必要だからとか、はるか昔天照大神の頃から続くゆうしょ正しき血統だからとか、そんなようなことばが返ってくるが、私にはどれもピンとこない。自分がこの国に生を受けただけなのに、事実上無条件に尊敬することを強いられるのもいけ好かない。だって同じ人間相手なのに。私だって他人のことを尊敬する心くらいは持っている。皇族たちがなにか特別なにかすごいことをしたから今の地位にいるというなら尊敬することもあるかもしれないが、皇族は生まれが良かったから皇族をやっているのであって、実力で皇族になったわけではない。皇族は日本にいけばどこにでもいる普通の家族だ。それをどうしてありがたがらねばならないのか、素で理解できない。

皇族だろうと神様の子孫だろうと人間は人間だ。その人間相手にどうして、ただ同じ国に生まれたと言うだけで批判することも許されず(菊タブー)、もし勇気を持って批判しようものなら周りから白い目で見られる。それだけならまだしも「非国民」「売国奴」のような罵詈雑言まで飛んでくるかもしれない。一体何なんだよ皇室。

皇室敬愛者には申し訳ないが、皇室なんてなくとも日本の国が困ることはない。例えば対外使節への接待。憲法にも規定される天皇の重要な仕事ということになっているが、別にそんなこと天皇・皇室じゃなくてもできる。王室のない普通の共和国は大統領とか外務大臣とか、そのあたりが出てきて歓待している。それがむしろ世界のスタンダードだ(世界に存在する国と地域は200を越えるが、君主国家は40もない。ただしアフリカ諸国やインドなどには国家内国家に世襲君主がいる場合があり、それらを含めると共和制国家と君主制国家のどちらが多数なのか正確にはわからない)。次に国の代表として云々だが、これだって別に世襲の君主じゃなきゃ出来ない問題ではない。多くの国では実権のあるなしを問わず、大統領が国家元首として国の代表者としての地位についている。別に王様じゃなきゃ座りが悪いなんて感じはしない。確かにちょっと前まで民間人だった人と、先祖代々貴人とされてきた人じゃ、格の違いを感じてしまうような部分もあるかもしれないけど、絶対に世襲君主じゃなきゃ出来ない仕事とはとても思えない。それに法律に対する署名(いわゆる国事行為など)とか議会の解散や招集だってあれは事実上内閣の権限であり、天皇はそれに関与していない(ということになっている。何分密室で決められていることなので絶対と断言することはできない)。別に天皇なんぞ無くても国の政治は動く。実際多くの共和国では非世襲の人たちが政治を動かしており、一部の「失敗国家」と呼ばれるような悲惨な国を除けばまあまあうまくいっているところが多い。ここでも世襲君主がなくてはならない理由は見られない。

皇室の人間が先祖に本当に天照大神のような「神」がいるものすごく珍しい血筋の人たちだったらたしかに「保存」しておいても良いのかもしれないが、残念ながらそんなのは神話だ。皇室やその取り巻きが自分たちの地位や権力の正当性を昔の無学な民衆にわからせるために流布した作り話に過ぎない(あるいは「どいうして帝(みかど)や貴族がいるのか?という民衆側の疑問から伝承が発展し、日本書紀や古事記にまとめられたのかもしれない)。

それに、皇室やその事務を司る宮内庁やその関連団体などにも国民の税金が注ぎ込まれている事実を忘れてはいけない。しかもないならないで問題ない分野にである。これが科学とか教育みたいな必要不可欠な分野に税金が投入されているなら誰も文句は言わない(もちろん限度はあるし、使いみちが適切である必要はある)。ただ天皇は別になくても困らんものだ。そんな分野に国家予算全体から見ればあまり多いとは言えなくとも、血税を注ぎ込むのは納税者として納得できない。

そして個人的に一番納得できないのは80年前の出来事だ。サッシのいい人はすぐに分かったと思うが、それは第二次世界対戦(太平洋戦争)での昭和天皇の戦争責任である。昭和天皇の戦争責任があったかなかったかと問われたら、私は「あった」と即答する。考えても見てほしい。いくら昭和天皇に実際の政治権力が存在しなかったとしても、名目上は大日本帝国における神聖不可侵なる国家元首という国家のトップの地位についていたわけだ。戦争にズタボロに負け、軍民合わせて数百万人の同胞の命をあの世に送った国のトップに責任がないわけがない。これでも納得できないのであれば、民間企業に置き換えて考えてみればいい。例えばある大企業が世間的に絶対に許されないようなどでかい不祥事をやらかしてしまい、それがマスコミにバレたとする。そこの社長が事件発覚後、記者を振り払いつつ車への乗り込む際こういった。

「私はただのお飾りで実権はありませんでした。したがって今回の不祥事(敗戦)にも何ら関わっておりません。ですので私からは謝罪や経緯の説明などを含めまして、特に申し上げることはありません。記者会見(東京裁判)にも出る予定はございません」

それを聞いた市井の人間は納得するだろうか? まず間違いなく納得しない。もし実権がないのが本当でも、あの社長の言葉をそっくりそのまま「そうでしたか、わかりました」と聞き分ける人間は少ないに違いない。殆どの一般人はよその企業の権力関係なんて知らない。社長が嘘をついている可能性も疑うことだろう。それにだ。本当にお飾り社長でも社長は社長である。トップは問題が起きたときにトップでいた事自体が罪なのだから、最低でも辞任するなどしてその責を取らなければならない。しかし昭和天皇は東条英機以下、部下に戦犯としての汚名をなすりつけるだけでなく、最低限度の責のとり方、あるいは死んでいった同胞や罪をかぶせた部下たちに対するせめてもの誠意である辞任すらしなかった。これじゃあ未だにネチネチテンノーの戦争責任云々批判が飛ぶのも無理はない。そしてその地位を受け継いでいる現在の皇族たちも同罪。少なくとも私はそう思っている。

はっきり言おう。私は共和主義者、すなわち天皇制廃止論者である。天皇制はできるだけ早い段階で廃止し、共和制に移行するべきだと強く思っている。理由は上で見てきた通り。特に存置する価値も無ければ、ときに害になる。同じ人間に必要以上に敬意を払わなくてはならないのも癪に障るし、それを拒否しようものなら「空気」という魔術によって強制的に頭を下げさせられるのが苛立たしい。トップとしての責任も果たさない(果たせない)。この国には身分制度などはなく皆平等である、ということになっている。そかしそれが嘘であることは、天皇の存在を見ればすぐに分かる。天皇「陛下」。皇太子「殿下」と呼ばれている連中が平民なわけがない。まごうかたなき特権階級である。私は平等主義者、自由主義者、民主主義者である。一刻も早く真の意味での平等な社会を実現してほしいと思っている。


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