見出し画像

「所有」の面倒臭さ。

 私達の身の回りには実に多くのものがある。本やテレビやスマホや机や椅子やデスクライトやコップやスプーンや殺虫剤や芳香剤や、上げ始めたらきりがない。うろ覚えだが、先進国の個人が持っている物の数はおよそ1000にも及ぶという。これは大きなものから小さなものまで全て含めた数字だろうが、我々は自分が思っている以上の相当な数の物品を所有していることになる。

物の処分

 かつて自分はものを溜め込む癖があり、部屋がメチャクチャ散らかっていた時期がある(いわゆる「汚部屋」)。10代の頃なんてそれこそ足の踏み場もないくらい物が散らかっていて、かろうじて床が見えるところを飛び石を踏むように移動していた。
 大人になってからは流石にそこまで汚い部屋ではなくなったが、相変わらずものを買い込んで溜め込む癖は治っておらず「なにかに使えるかも」と理由をくっつけては収納場所をつくり、せっせと蓄財ならぬ蓄物に励んでいた。だがある日、母がテレビで断捨離・ミニマリストなどの特集を見たらしく、自分の物の処分を始めたことで自分もそれに影響を受けいらないものを捨ようと思うようになった。
 1度目の断捨離は大分前の事なので詳しくは覚えていないが、そのときに子供の時に学校の授業で作らされた工作物とか教科書のたぐいを始め、いろんな物を捨てた。「これでもういらないものは全部捨てたな」とその時は思ったのだが、しばらくして部屋を見渡してみると「なんでこれをあの時(1度目の断捨離のとき)に捨てなかったんだろう?」と思えるものがたくさんあることき気づき、2度目の断捨離を始めた。このときも衣服やらなんやら沢山のものを捨てた。しかしそれから更にしばらくすると、まだいらないものが大量にあることに気づいてしまい3度目・4度目の断捨離を結構した(詳しくは覚えていないがもう一回くらいやったかもしれない)。
 こうして数度に渡って徹底的に物を捨て、私の持ち物はMAXのときと比べると2割以下にまで減り、かなりスッキリとした(あるいは寂しい)部屋に成ったと思う。ただ最近またものが増えつつあるので、数年以内に小規模な片付けをもう一度くらいするかもしれない。

データの処分

 部屋の物のほかにもう一つ整理したものがある。それはパソコンやスマホなどに入っているデータだ。私のネット歴は結構長く、PCにはその長さなりにデータ類が溜まっていた。種類も画像や動画を始め、なにかのソフトのインストーラーとか、「なんでこんなもん保存したんだ?」というような意味不明なファイルなど実に様々ざまだった。
 データについてはものと違って物理的に場所を取るわけではないので「別に処分しなくてもいいか」と思っていた時期もあったのだが、断捨離には「物に宿った念を放棄し、心に空き(ゆとり)を作る」という側面がある。データにも念(思い出)は宿るので、いらないのはやはり処分が必要だという認識を持つに至った。
 そして、つい先日ようやく決心がついたので、その手のデータを一切合切消去することにした。流石にファイル一つ一つをすべて見ることは出来ないので「このジャンルはいらないな」という大づかみな感じでガバっと消去することにした。最終的にはパソコンのデータは当初の3分の1くらいまで少なくなり、そのおかげでウイルスチェックやバックアップを取るときの速さが大幅に早くなった。

所有することの大変さと無駄の多さ

 こうやって整理整頓を終わってみて思ったことは「所有は面倒」ということだ。所有することで得られるメリットは満足感や、その物品を排他的に使用できる権利を持つということだが、その物品についての責任をも追わなければならないということでもある。故障たときに修理にだしたり、壊れたときに粗大ごみとして出したり、そういう事を自分で行わなくてはならない。場所も取るし掃除をする時大変だし、大きなものの下にはホコリも溜まる。「そんなのあたりまえでしょ?」と思う人も多いと思うが、私にはそれが非常に厄介なことに思える。私は元来面倒くさがり屋なうえ人嫌いなので、修理や処分のためにいちいち運搬したり初対面の人とやり取りするのが非常に苦痛なのだ(特に粗大ゴミなどの大きな物をあれこれするとき)。掃除だってできるだけちゃちゃっと済ませてしまいたい。綿ボコリは見たくない。
 それに、ひとりひとりが個別にものを持っているというのは資源保護などの観点からも非常に無駄が多い。わかりやすいところだと車などがそうだ。車についてはすでにレンタカーサービスがかなり前から展開しているが、その他の物品についてはどうか? ……とここまで書いてネットで検索してみると、電化製品のレンタルサービスなどはすでに存在していることがわかった。「シェアリングエコノミー(共有経済)」という言葉は結構前から聞いていたが、確実の世の中に浸透していることがわかる。こういう動きが広がれば、社会のリソースのムダなどを削減し方方に良い影響があるだろう(ただいくらレンタルサービスとはいえ、受け渡しのときに人間とやり取りしなければならないというコミュ障ゆえの悩みは残るが、そのあたりはいずれ自動運転車・ロボットなどの発達でどうにか成ってくれるのではないかと期待している)。

財産の所有すら重荷になりうる

 ここで話は変わるが、私は以前暗号資産(仮想通貨)取引に手を出していたことがあった。結果は、損はしなかったものの大して儲かりもしないという、可もなく不可もない結果だったが、まあそれはどうでもいい。
 ニュースなどで知っている人も多いと思うが、暗号資産は色々とリスクが有る。例えば取引所がハッキングされて盗まれるリスクがある。それを防ぐため「(ハードウェア)ウォレット」と呼ばれる私的な空間に資産を移しておくことも出来るのだが、それはそれでパスワードや復元フレーズといったものを設定し保管して置かなければならないとか、定期的にソフトウェアのアップデートを行わなくてはならないとかそれなりの面倒がある。値幅の変動が大きすぎて大儲けする可能性もあれば、逆に大損こく可能性もある。セルフゴックスといって送金先のアドレスを間違えて紛失することもある。これが普通の法定通貨(円やドル)などなら、送金先を間違えてもお金が消えることはないが、暗号資産はそうではない。そのまま消えてなくなってしまうという厄介な代物なのである。購入した通貨が実は詐欺で、ある日突然運営元がトンズラして一瞬で無価値になるなんてことも割とざらにある(一応言っておくと、日本国内の取引所の場合、暗号資産がひとつひとつ金融庁のホワイトリストに乗らないと売買出来ないように成っているため、詐欺などの被害に合う確率は低い。ただし、海外の取引所に上場されている暗号資産に手を出した場合は話は別だが)。
 株についても保有していたことがあったが、どの銘柄を買ったらいいのかなどの詳細な情報を自分で集め分析する必要があるし、こちらも暗号資産ほどではないにせよ値幅の動きがあるため損をするリスクを抱え込むことになる。
 また私は銀の現物についても保有しているが、銀は空気(正確に言うと空気中に含まれる硫黄)に反応すると「銀やけ」と呼ばれる錆びたような状態になってしまうため、管理にはそれなりに気を配らなければならない。日本は高温多湿な火山国なので、特にその必要性がある。また盗難や火災に巻き込まれた場合のリスクも考えなければならない。

 財産管理のコストというのは馬鹿にならない。一番マシなのは銀行預金だけ、というものだと思う。が、それも銀行が倒産したらどうするかとか、極端なインフレなどが起こった場合は無価値になるのではないか(特に預金額が多い場合は)というリスクも有る。財産ですら所有することは面倒を抱えることになるうるのである。
 twitterで見た話なのだが、金持ちの何が大変かというと財産管理のコストが膨大なことなのだそうだ。あくせく働きたくなくて必死に金持ちになったのに、財産管理に手間を取られて別の大変さにあくせくすることに成っている、というようなことが書かれていた。私もその金持ち同様、暗号資産や株・銀の所有などによって「持つもの(金持ち)」の大変さの片鱗を味わうことになった。

所有の面倒臭さを解消する方法

 持つことは辛いことであると思うようになった私だが、だからといってすべてのものを処分するわけには行かない。世の中には極端なミニマリストがいて、部屋がガラン堂状態になるほどほとんど何も持っていない人もいるそうだが、流石にそこまで出来るとは思えないしする必要も無いと思う。
 上でシェアリングエコノミーの例をあげたが、資源保護の観点ならともかく、所有の面倒臭さの解消という意味では、それで全てが解決するとは思えない。なかにはかえってシェアすることで生まれる面倒臭さやリスクもあるからだ。例えば身につけている衣服とか食器のたぐいまでシェアするのはかえって煩雑になってしまうこともあるだろう。そういうものについては今後とも各々が所有し続けることになると思う。
 所有が面倒と思うのは処分の面倒さだったり、(私のような人間嫌いの場合)人間とやりとししなくてはならないコミュニケーションコストだったり、管理の手間だったりするからである。逆を言えばこれらさえなければ引き続き所有を行っていても問題ないことになる。例えば、家で何らかの処置を施せば体積や重さがぐっと少なくなる未来の新物質で家電製品が開発されるようになれば、いちいち面倒な思いをして粗大ごみを出す必要はなくなるし、エアコンみたいに人の手を借りなければ設置すら難しい家電が、個人で簡単に設置・処分出来るようになれば色んな意味で面倒さが軽減される。財産管理の手間についてはこれと言って妙案があるわけではないが、これについても技術の進歩によって可能になるかもしれない(詳しくないので何も具体的なことが言えません。申し訳ありません)。

 ただ希望的観測を述べても意味がない。現状所有についてまわる面倒臭さを回避するためには、絶対に使わないもの、他のもので代用できるものなどは今すぐに捨てることだ。その上で、できるだけものを買わない、特に処分などのときに面倒になる大型の商品や、保守管理や他人のサポートが必要なもの、使用法が面倒なものや扱いに慎重さが求められるようなものも出来る限り購入を控える、例えデータなど形のないものであったとしても「念」が宿るので無駄に溜め込むのはNG、財産もできるだけ情報収集や防衛にコストのかからないものにする、などのことしかないのだろう。

当たり障りのない結論だが、現状出来ることはこんなものだろうと思われる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?