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メンヘラは病み垢コミュニティーに深入りしないほうがいいかもしれない

 辛い労働や学校などの人間関係で心を病む人が増えている(あるいは今までも大量にいたが可視化された)という。それに比例してネットでもいわゆる「病み垢」というメンタルにダメージを追った人のアカウントが激増し非常によく目にするように成っている。
 彼・彼女らは発達障害だったり精神疾患などを抱えている事が多く、いわゆる「普通の人」である健常者たちが難なくこなしているようなことにも苦痛を感じたり、達成が困難だったりと生きづらさを強く感じている。言い方を変えれば毎日が冒険のような人生を歩んでいるようだ。
 などと他人事のように言っている私自身も非常に心が弱く、悪い意味で敏感であり、疲れやすく、睡眠薬が無いと眠れないという、彼ら病み垢の仲間なのである。だから彼らの気持ちは非常によく分かる。

 一般にtwitterなどのSNSでは「クラスター」と呼ばれる同じ(似た)属性の持ち主同士がフォロー関係により集合を形成していることが多い。病み垢も例外ではなく、精神的に辛い人同士リプライを飛ばしたり、いいねを押したり、共感したつぶやきをリツイートをしたり、繋がり合っている。

 同じような境遇の仲間がいるというのは良いものだ。嫌なことがあったときも仲間の同じような体験を見て「自分だけじゃないんだ」と思えたり、辛さを吐露したときに慰めてくれたり。それで救われている人も多いだろう。だが、一方でそういう関係には危うさが潜んでいるのではないかとも思う。
 仲間との慰め合いはたしかに気分を楽にしてくれるかもしれないが、言ってしまえばそれだけだとも言える。慰めてもらったから、思いを理解してもらえたからといって現実の何が変わるわけではない。明日からも今でと同じ苦しい日常が続くだけである。辛さの根本原因をなんとかしないと、いくら慰めがあったところでそれは一時しのぎに過ぎない。酒や煙草と同じようなものかもしれない。

 別に私は必ずしもそういう関係を悪いといっているわけではない。他でもない自分自身も、気落ちしたときなどは似た境遇の人のアカウントを見に行って安心感を得たり、いいねをしたり、リツイートをしてつぶやきに対する賛意を示すことも多い。だが他のアカウントに絡むことはまず無い。
 すでに言ったとおり、彼らと傷をなめ合い、同類相哀れんだところで別に実生活に特段大きな影響はなく、これからも今までと同じ人生が継続していくだけだからだ。それに一番イヤなのはドツボにハマって出られなくなる可能性があるからである。特にネットでは同族を見つけやすく、直ぐに反応も返ってくるので、この手の人間関係にハマりやすい(別に病み垢クラスターに限った話ではないが)。そして一旦そういった関係にはまり込んでしまうと、ずぶずぶ深みへ引きずり込まれ、エコーチェンバーによってどんどん自分たちの考え方が(しばしば間違った方向に)強化されてしまう可能性もある。

「社会が悪い」「親が悪い」「会社が悪い」「学校が悪い」 

 実際そういうことが多いのはわかる。私もそういう存在から辛酸をなめさせられてきたうちの一人だから痛いほどよく分かる。何かに付けて自己責任を振りかざしてきたり、心が見えないのを良いことに「鬱は甘え」だの言うやつが未だにいたり、他にも色々理不尽なことは尽きない。しかし何度も言うようだが、いくらそれを叫んだところでどうなるものではない。
 勿論もっと大声でいうなら話は別だ。それこそ政治団体(政党)のような組織を立ち上げて、選挙に立候補して世の人に自分たちの意見を問うレベルでやるなら意味があるかもしれない。しかしほとんどの弱者はそんな行動力はない。というか、そういう大胆さがないから弱者の地位に甘んじているわけで、端から無理な話だとも言える。
 なので自分の人生は自分でなんとかするか、さもなくば行動を起こして誰かに助けてもらわなければならない。しかしネットで仲間と屯(たむろ)しているとそれだけでなにかやった気になってしまったり、居心地が良すぎて本来ならとうの昔にそこから抜け出ていなければならないのに、いつまでもぬくぬくと居続けたり、そうしているうちに時間ばかりが過ぎ、さっさと行動にうつしていればなんとか成ったものを本格的な手遅れ状態になってしまったり……

 弱者同士が群れていても基本的に何が出来るわけでもない。弱者の中にだって同じ弱者を出来るなら救ってあげたい、と思っている人もいることだろう。しかし弱者は弱者ゆえに弱者を守ることが出来ない。弱者を救ってくれる可能性があるのは、基本的に強く優しい健常者か、さもなくば国や自治体、あるいはボランティア団体などの組織である。本来ならそういうところに駆け込んで助けを求めなければならないのに、ネットに入り浸ってしまい、一向に状況が好転しない。これは悲劇である。

 だが助けを求めたところで、必ずしも救い主が現れるとは限らないのが辛いところだ。特に年を取った中高年などに手を差し伸べてくれる人は本当に少ない。国や自治体ですらそうだ。なので自分で自分の人生を切り開ける強さがない人はそうなる前に、ネットで愚痴をはいて満足している境遇から抜け出して、具体的な行動を起こして、自分を助けてくれる人を見つけてほしい。そして一人でも多くの弱者が辛い境遇を抜け出して幸せを掴むことを心から願っている。

なお今回のエントリーは、自戒を込めて執筆した部分が相当に多いことをここに宣言しておく。


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