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コミュニケーションの話 Year 1

あけましておめでとうございます。そしてお久しぶりです。
社会人として日々もまれております。うまくいくことよりうまくいかないことの方が多くなり、その中で何とかできたことを拠所にしながら、昨日より今日、今日より明日としながら、、、歩んでいくことができたらよかったのですが、現実はそうでもなく、6日休んで残り1日で7日分の頑張りを取り返すような、性格の出る日々を送っていました。今年はぜひそこを是正して、365日積み上げていきたいです。
さてさて、面白くもない前説はこのくらいにして。始めていきましょう。お元気ですか、まっすーです。


といった前説を書いたのが1月。時は過ぎGWも後半となってしまいました。今現在は実家に帰ってきていて、久しぶりに会った実家猫の成長と実家犬の老いに月日を感じております。物書きにはなぜか猫がセットなイメージがあるのは僕だけでしょうか。
さて、卯月も終わり、名実ともに二年目。先輩と呼ばれることも増えてくる年次となりました。本当は一月に出したかったこの記事。丸一年たった今の方がちょうどいいなどと無駄なこじつけをしつつ。始めていきましょう。二回目の。お元気ですか、まっすーです。

コミュニケーション。人間の永遠の課題です。特に僕は営業なんてものを仕事にしてしまっているので、コミュニケーションを意識下に置いて立ち回らないといけないことが多いです。そんな仕事をしているせいか、日々コミュニケーションの考え方がアップデートされていってしまう感覚があるわけです。
いや、それはもちろん良いことなのですが、逆を言うと、来年の今頃は今とは全く違う考え方を持っている可能性が高いということ。なんとなくそれはもったいないような気がいたしましたので、毎年振り返りたいなと思いました。いわゆる備忘録ですね。それでそのついでに皆さんにも何か提供できればなと思い、Noteという媒体を使うことといたしました。
ここに書かれていることは基本的に僕の意見もとい偏見です。ただ正直には書きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

技術か能力か

まずはこの話題から。
皆さんはコミュニケーションって「技術」、すなわち理論があり実践があり、再現可能な面が強いと思いますか、それとも「能力」、環境要因が強く、再現性が無い面が優勢だと思いますか。
ここに関して2022年5月までの僕の意見を述べると、技術:3、能力:7です。
つまりこのnoteを読もうが、巷にあふれるコミュニケーションの本を読もうが、Tiktokの恋愛心理の投稿に傾倒しようが意味はないということですねと思われたあなた。極論を言ってしまえばその通りなのですが、少し違います。
この「能力」の7割の内4くらいは「人とのコミュニケーションに興味がある」かどうかだとぼくは感じています。この4が満たされていれば、小手先のテクニックみたいなTiktokからでも得るものは何かしらあると思うし、何より自分に取り込もうと努力すると思います。技術6、能力4では限界が来るという話です。

では残りの3割の能力とは何か。あくまで僕の意見ですが「トレース」できるかどうかだと思います。
トレースには「順番に追って理解する」という意味と「そっくり写し取る」という意味がありますが、両方能力として必要だと思います。一個一個説明しますね。
一つ目の「順を追って理解する」についてですが、順を「追う」というよりは、人間の心の層は多層多面構造であること、つまり「順」があることを分かって、それを「感じ取る」能力と言った方が正しいかもしれません(能力を一語で表したかったのでトレースにしてしまいましたが)。
僕も含めみなさん何かしら「人に見せている顔」と「人に見せていない顔」があると思います。その両方を「感じ取る」能力です。見せている顔は感じやすいというか、見たままを感じればいいのですが、見せていない顔を「正しく」感じ取ること。これが無意識にできるかどうかがコミュニケーション能力のむずかしさ、能力の一つだと思います。
卑近な例を挙げると、例えば天真爛漫な女性と話しているときに、その人の家で一人の時の生活態度を正しく感じ取れるかどうかということです。
「天真爛漫」という性格は相手がいて初めて発揮される性格です。家にいるときも虚空や鏡に向かって元気印を弾けさせているわけがないです。
とはいえこれだけ明るいのだから家でもルンルンでいることが多い可能性もありますし、逆に一人だと一切笑わない可能性もある。その可能性の内どれなのかを「天真爛漫」の中から感じ取ることができるかどうか。
家でも天真爛漫な可能性もあるではないか。裏表のない性格の可能性もあるではないかというお声も聞こえてきそうです。であればそれを感じ取ることができなければなりません。説明のために論理チックに「天真爛漫は相手がいて初めて成り立つ」とそれっぽいことを言いましたが、すべてがそれに当てはまるわけではありません。ここを論理で説明できればすべての人類がコミュニケーション上手になれます。
おそらくここが、理系にコミュニケーションに難を感じる方が一定数いる理由でしょう(文系でコミュニケーションが苦手な方もここに該当するのではないでしょうか)。「この人はAでありBでありCであるけれど、Aではないかもしれない」みたいなモヤモヤしたものをそのまま理解し感じ取る能力。ここまでできて7を満たすことができます。あくまで僕個人の感覚ですが、精度の差こそあれこの3の部分を持っている人はコミュニケーション能力があるなあと感じます。
じゃあもうどうしようもないではないかと思う方もいるでしょう。事実そうだと思います。ただ、そう思うということはすでに4は持っているということでもあります。能力を7にはできませんが、技術でカバーできる面も多いはずです

さて、二つ目の「写し取る」の方なのですが、意味としては「順を追って層毎に理解した性格のどれを写し取って、フィットするコミュニケーションをしてあげればいいか」を判断する能力です。難しいですね。
例えば、表層的には「お喋り」な人がいたとします。そこに合わせるなら「聞き役」になればコミュニケーションが円滑に進みます。その次の層に「ボケ基質」があれば「ツッコミ」として立ち回ることが大切ですね。その更に奥に「口が悪い」があればもしかするとちょっと毒づく発言をしてあげて親和性を持ってもらうのが良いかもしれないし、毒を吐く隙を見せてあげることが重要かもしれない。
こんな風に、層毎にトレースして最適なコミュニケーションをとるわけです。聞こえ方によっては「自分を殺す」に聞こえなくもないかもしれませんが、僕自身は「自我」や「主張」はコミュニケーションの中身、すなわちどんなことを話すかに宿ると思っていますので、特にこの辺は相手に合わせたらいいじゃんと思っています。もちろんボケでいることに矜持があるのであれば相手がボケ基質であってもボケを貫くこともありです。
あとはこれを恋愛に応用すると「気になっている女性のどの層にフィットしたコミュニケーションをとれば、周りと違うコミュニケーションがとれるか」を考えるとオンリーワンになれるかもしれません。ただ恋愛が絡むとより内容が重視されてきますしタブーも増えますのでこれだけが要素ではないのですが、、、
あくまでもこれも「能力」ですので、できていないからどうというわけではありません。まずは4を満たすこと。これが最重要です

さて、次に「技術」の方なのですが、これはもう巷にあふれる本たちにたくさん書いてあることすべてです。例えば初歩的なことで言うと「目を見て話す」「爪を切りそろえる」とかですし、上級で言うと、だいぶ恋愛寄りの技術も入ってくるのですが「相手のツッコみどころに入り込む」「LINEの返信速度を意識する」みたいなものです。いくらでも吸収できます
ただ一つだけ気を付けてほしいのは「自分にとって必要な技術」はいくらでもあるわけではないということです。例えばモテについて書いてある本に「女性はワルい男に惚れる」とあるからと言って、大学院卒の芋芋しい男性が、低音がドンドン鳴り響く黒のアルファードに乗ってブォンブォン夜の道路を鳴り歩いてはいけません。あくまでも「自分に合った」技術を取り込んでください。
では、どうやって合う合わないを判断したらいいのか。そこに悩んでしまう方は自分のことがまだよくわかっていないと思います。「自分の見え方」がわかっていないと「相手への見せ方」がわかるはずもありません。普通に自己分析をやって、まずは自分を知りましょう。自分が何に熱くなれて、容姿に関してはここは整っているけどここはダメで、髪形はこんな感じが似合って・・・というのを知っていく。髪形に関しては美容院の人に聞くとかしないといけないかもしれませんが、思ってもみてください、中高の時に「コミュ力」(僕はコミュ力とコミュニケーション能力とは別物だと思っていますが、、、後述)が高かった人ってワックスで上手くセットできてる人じゃなかったですか?あれも「自分の見え方」を知っているが故です。
つまるところ「自分に興味を持つ」ことが技術習得の王道だと思います。それを前提として、僕が主に大事だと思う「技術」について少しご説明しましょう。あくまで「僕の」ですよ。

1:語彙
非常に重要だと僕は思っています。今日ちょうどバチェラーのシーズン4を見ていたのですが、デートしているシーンで女性が「ここにきて、黄さん(シーズン4のバチェラー)と過ごして変わったことがある」と話し始めたとき、黄さんが「お聞かせ願いたい」と返した場面があり、上手いなと感じました。何がかわかるでしょうか
「聞きたい」という言葉の言い換えってどれくらい思いつきますか。「拝聴したい」「聞かせて」「お聞きしたい」「聞かせてもらっても?」あとは聞くという単語を使わずに行くと「何?」「どうした?」、さらに言えば「うん」という相槌も「聞きたい」の意思表示になります。
そのデートシーンは非常にフランクな感じで、どちらかというと「談笑」が似合うものでした。その中でちょっと真面目な話を切り出す。女性側からすると少し緊張と勇気が必要な場面ですよね。その時に「え、なに聞きたい」はフランク過ぎて軽く聞こえてしまうし、何よりまじめな話が許容される空気になりにくい。かといって「どうしたの?」と聞いてしまうと「デート」から「相談」へとフィールドが移ってしまう。「お聞かせ願いたい」は、それまでタメ口だった中にいきなり入れることでユーモアを交えつつまじめさを許容できる、あのシーンでは最適な言葉だったなと思いました。
空気を読むという点では別の力が必要かもしれませんが、少なくとも語彙が無いとこの芸当はできません。非常に大事だと思っています。

2:相槌
相槌といっても「うん」や「へぇ」の次元ではないです。これができないのは論外です(ただし、相槌を打たない方が良い場面も存在します)。
僕が意識しているのは、相手に肯定の「そう」を言わせる相槌です。
話している時って結構頭を使っています。構成や話順、単純に記憶を呼び出すことにもメモリを使っています。なので「わかりやすい伝え方」の優先順位が下がるんですね。その時に要所要所で端的にまとめて言い換えてあげると会話のテンポが良くなりますし、なにより「話を聞いている」ことを言外に伝えることができます。「~~~~~でさぁ、、」「あぁ、○○だったんだ」「そうそう~」みたいな会話が引き出せるようにしています。
もちろん相手によっては使いません。特に男と話すときは使わないことが多いですね。男性ってそもそも「話を聞いています」という共感を欲しがっていない方がほとんどですし、女性よりも「話す」ことにメモリを割いている場合がほとんど(一般的にです。女性にもそういった方はいますし、その人がどうなのかを感じ取るのは「能力」の分野ですね)ですので勝手に分かり易く構成してしまっています。そういうときに要約してしまうと逆にテンポを悪くしてしまいますので
ただし注意が必要なのは、これはあくまで「僕の」だということです。僕は元々要約が得意なのでこれが成り立ちますが、得意でない人が使うと逆効果です。何度も言いますが、自分に合った技術が最重要です。

余談ですが、男性と女性のコミュニケーションもとい会話時の違いって皆さん感じられたことありますか。僕が感じるのは先ほども書いた「メモリをどこに割いているか」です。
男性型の脳は基本的にマルチに頭が働きません。会話時は会話、仕事時は仕事に容量が持っていかれています。電車内での声量調節が下手な男性が典型ですね。
対して女性型の脳は常にメモリが割かれている部分が存在していると僕は感じます。所作把握と状況把握です。
話しながらも相手の目線や手の動き、ひいては爪のキレイさ箸の持ち方まで、細かく所作を見ています。また、相手の皿やグラス状況、店内の雰囲気などを把握しています(と、僕は感じます)。いろんなことをやっている一つのメモリに会話がある感じです。なので男性的なメモリの使いかたに比べると会話の構成や話術に洗練さは欠けてきます。そこで要約が生きてくるわけですね。女子同士の会話、彼女との会話で「明らかに言葉不足なのに会話が成り立っている、伝わったよねみたいな雰囲気を出してくる」みたいなことありませんか?。あれは他所にメモリを割いていて、それらを総合してコミュニケートしているからだと思っています。言外を共有できる同性であるから言葉足らずでも会話が進むし、言外で伝えているから男性にとっては言葉足らずになってしまうわけです
もちろん例外はあります。女性だから、男性だからではなく、その人がどうなのかをしっかり見極めることが大切です。ちなみに僕は女性寄りです。所作に目が行きますし、会話しながら状況も把握します。その代わりエピソードトークは苦手です。笑
この性差を駆使したのがいわゆる「恋愛テク」です。この色眼鏡で巷のテク本読んでみてください。

3:相手と同じ量聞いて話す
最後はこれです。これは大学に入ったくらいから意識しだしました。
「聞き上手がモテる」というのが通説ですが、これは聞き「上手」であって聞き「役」ではないということに大学入ってちょっとしてから気づきました。女性の話を聞いてあげていればモテるわけではないし、好かれるわけでもないのです。
どちらか一方がたくさん話していると、話している側はそれを感じ取ります。それと同時に「なんでこの人は自分の話はしてくれないんだろう」と思います。会話はあくまでもキャッチボールなので、話と話が応酬されないといけません。
なので僕は「相手が話し終えたら、(できれば同じ話題で)話す」ことを心掛けています。話主の比率を1:1にするわけです。こうすることで相手も気兼ねなく話せますし、何より心地良いはずです。
「聞き役」はぬいぐるみでも出来る。というのが僕の考え方です。人と人が話す最大のメリットは何なのか。そこを考えながらコミュニケーションするのが重要ですね。

「コミュ力」と「コミュニケーション能力」

さて、持論的なコミュニケーション論を語ったところで次の話題です。
先述しましたが、僕はこの二つは別物だと思っています。ネットで検索すると前者は「コミュニケーション力」とされる記事もありますが、そういったスキルかアビリティかの違いではなく、端的に分けるなら「友達を作る力」か「会話をする能力」の違いで僕は別物として区切っています。今までこのnoteで語っていたのはコミュニケーション能力の方です。
会話はするけど友達ではない人、話してみると面白いのに友達が少ない人、結構いるのではないでしょうか。そういう人はコミュ力が不足していると僕の中では分類しています。
「友達になりたくなるような人」を思い浮かべてみてください。その人はきっと笑っていますよね。面白そうな雰囲気漂わせていますよね。顔は普通レベルには小綺麗にしているはずです。服も奇抜でもなくかといってマネキンファッションでもない普通な人。髪はきっと整髪されているでしょう。
続いて「コミュニケーション能力」が高い人を思い浮かべてみてください。おそらく皆さんお友達の誰かが思い浮かんだはずです。喋りがうまい、聞き上手、明るい、、、
ここでちょっと思い返してみてください。コミュニケーション能力が高い人と思い浮かべたとき「容姿」を気にしましたか。人によると思うのですが、おそらく気にしていない方多いのではないでしょうか。ここがまさに両者の違いです。
コミュ力には言外の印象が含まれていると僕は思っています。容姿・スタイル・行動・素性、、、それらをしっかり認識できているかどうか。すなわち究極的には「最適な自分のブランディング」をわかっているかどうかに言い換えることができます。
例えばノーメイクで顔が芸能人並みに整っている女子がいるとしましょう。化粧禁止の学校で彼女の存在は際立っています。可愛いね~とよく言われます。その際本人が自分のことを理解していないと日本人の気質的に「そんなことないよ~」と言いそうですね。男子からすればそれさえも可愛いのですが、女子からするときっとウザいでしょう。
では自分のことを知っているとどうか。仮に僕なら「でしょ~、ありがとう!」と言います。自ら「可愛い」のカテゴリに飛び込むことで女子たちからも「私もあんな風に言いたいなあ」という憧れの的となり、そんなあの子と仲良くなりたいというブランディングができます。これがコミュ力だと僕思っています。(実際はもっと複雑に最適な答え方は変わってくるでしょうが、、、)
では逆にコミュニケーション能力が高いけどコミュ力が低い人とは何でしょうか。あくまで僕の意見ですが、「トレース(前章参照)だけ出来る」人です。
トレースはいわゆる空気を読む力に言い換えることができます。相手が何を考え、感じているかを読み取り合わせる力。そこから技術を駆使して最適解を出していくのがコミュニケーションですが、読み取ることだけ長けていると、わかるけど話すのは億劫になってしまうため「会話をしない理由」を探します。典型的には今ちょっと怒っていそうだから会話を控えようといった具合に。ひどい場合には妄想を膨らませて「私としゃべりたいわけではない」という感じでコミュニケーションを回避する。コミュニケーションを回避した自分が他者からどう見えるかに意識が回っていません
ただ、トレースができるということはコミュニケーションの下地はありますから、ひとたび会話が始まると至って普通なのです。
自分の客観化、ブランディング、そして何より話したいという気持ちが薄いためにそうなっているといえます。
ただし、自らそういう生き方を選んでいる人もいます。友達を作ろうとしないのを悪いことのように言ってしまいましたが、あくまでも「コミュ力」と「コミュニケーション能力」が違うということを示したかっただけです。ただもし、諦めているというような方がいるのであれば、自分を見つめるということから始めてみてください。
僕自身も高校までは全く客観化ができていませんでした。幸いコミュニケーション能力はそこそこあって気持ちもあったのですが、自分の見え方、ブランディングを疎かにしたために、高校までの友人とはほとんど疎遠です。大学で自己を固め今のコミュニケーションスタイルを確立したがゆえにいわゆる過去を知る人たちと会いにくくなってしまいましたし、没個性だった自分を高校までの方々が覚えていないでしょう。

第一印象とは何か

さて、コミュ力とコミュニケーション能力について、僕の分類が伝わりましたでしょうか。伝わっているのであれば第一印象がどちらに分類されるかはわかっていただけますよね。そうです、コミュ力です。
このnoteはコミュニケーション能力に寄って書くつもりだったのですが、正直最初の章でだいたいの考えは伝えてしまったので、ここからはコミュ力の話もたくさん出てくるかもしれません。悪しからず。
第一印象。みなさん自分の第一印象ってどんななのか考えたことありますでしょうか。そして、どんな第一印象が良いのか考えたことはありますでしょうか。僕はあります。そして正解は出ていないです。ただ、不正解はたくさんありました。
第一印象ってどうしても「爽やか」「容姿端麗」「麗しさ」みたいな加点方式で考えている風潮があると思うのですが、僕が思うに明らかに減点方式です。
第一印象を構成するものには何があるでしょうか。例えば「体型」。太っている方と標準体型の方、またやせ型の方で印象はかなり変わるかと思います。太っているからダメというわけではなく、受ける印象が変わるということです。身長も然り。背が高い男性を好む女性からすれば、背が低い時点で男性としての魅力が下がるという事態になります。
「服装」はどうでしょう。男性がスウェット姿だとチャラいという印象でしょうか。でも意外とお金持ちや一流の方が着こなしているイメージもありますね。ジャケットパンツスタイルは大人で落ち着いた印象がありますが、誰が着てもそれなりになるという点では面白みやインパクトに欠けてきます。
女性であればもっと多様。ゴスロリ、フリル、ワンピース、タイトなパンツスタイル、オーバーオール、ニット、オーバーサイズ、、、それぞれで与える印象が変わってくる。
その他「声」も重要ですね。低いほど男らしい印象。女性であれば体型、服装から想像できる声かどうかで受ける印象はかなり変わってくるでしょう。安田大サーカスのクロちゃんを思い浮かべてみてください。しゃべらなければかなりの強面ですが、声を聴いた瞬間に警戒心が少しほどけるのではないでしょうか。声音は非常に大切です。
挙げれば暇はないですが、おそらく多くの方は「こんな印象だからいい人」という評価は下さないのではないかと思います。「こんな印象だからより警戒しなきゃ」と思うのではないでしょうか
「体型」でいうと僕は太っている方が来るとちょっとネガティブな印象を受けます。もちろんいろいろな理由があってその体型になっているのは重々承知ですが、それでもちょっとネガティブです。「服装」はその人に合っているかどうかで減点が入ってしまいます。特に色ですね。「声」は金切るような声は苦手です。声優さんで言えば金田さんや釘宮さんの声は苦手です。花澤さんや能登さんの声が好みになってきます。そしてこれらの声優さんの声を聴いたうえで想像してみてほしいのですが、だいたいどんな女性が好みかが想像できるのではないでしょうか。声が第一印象を決める重要なファクタであることがうかがえます。
ちょっと何を言いたいかブレてきた節があるので軌道修正させていただくと、僕の考え方では第一印象は「減点方式」です。いかに減点されないかが大切となります。そして減点されない一番の手立ては「自己理解」これに尽きます。どんな体型でどんな服が魅力を引き立てることができて、色味やトーンは何が似合って、声はこんな感じだからちょっと低めor高めを意識して、、、
例えば僕の話で行きましょうか。僕を存じてくれている方向けにはなってしまいますが、僕は結構落ち着いた印象があると思います。なので基本的にはビビットよりはパステルや少し暗めの服、もしくはモノトーンを選ぶことが多いです。身長も低いのでサイズ感はジャストサイズ、襟付きの服の方がイメージに合致することも理解しています。声は低めだけれど意識しないと結構エッジが効いた声になってしまうので、聞きやすい、落ち着いた雰囲気から逸れないように音程や響かせ方を意識しています。
基本的にはこんな感じを意識していますが、これだけだと「枠通り、予想通りのつまらない人間」の出来上がりです。性格的にも落ち着いただけの人間ではないのでブランディング的にも没個性してしまいます。そこで「ギャップ」を意識します。
自分の第一印象を意識できると、ギャップが生きてきます。例えば僕なら使っている小物、靴下だけをカラフルにしてみたり(Apple Watchのバンドは虹色です)、ボケてみたり(落ち着いた人がボケるというギャップ)、、、性格的にそういうのが好きなのでそうしているというのが実際ですが、その性格と第一印象を生かしたブランディングを意識はしています(その視点で見られると恥ずかしいのですが、、、笑)。よく、4年間遊んだだけの大学生が良いとこに就職して、しっかり勉強したのに就職できなくてといった話を聞きますが、ここまで読んでくださればわかりますよね。「自己理解」の差です。就職活動成功の秘訣は「オシャレをする」ことにあるかもしれませんね。

コミュニケーションの魅力

ここまでが僕の現段階でのコミュ論です。能力の歩合が大きい、人に好かれると会話ができるは別物。容姿もコミュニケーション。最後に、少しだけ僕の話をして終わりたいと思います。

僕のコミュニケーションの原点は中学二年生。「モテたい」がスタートでした。それまでも友達はいたしそれなりに楽しく過ごしていましたが、思春期に入ると楽しいだけでない別の関係を求める自分もいました。でも圧倒的に容姿が足りなかった。サッカー部に所属していたからなおさらです。周りはいわゆるイケメン陽キャ。そこに馴染めるくらいには自分も陽ではありましたが、いかんせん容姿がなかった。でもモテたい。そこから僕のコミュニケーションの模索が始まりました。
まずやったのは勉強。自分の強みですね。今でも持っていますが「モテメン≠イケメンの新常識」という本を読みました。元キャバ嬢がモテるを説いた本で、今書評を見ると星は低いのですが、当時の自分にはかなり啓蒙的な内容でした。結論だけ言うと所作、行動すべてに「清潔感」があれば良い的な内容で、そこから容姿、ふるまいを変えていきました。自分の見られ方に興味を持ち始めたんですね。ワックスもつけるようになりましたし、髪型もいろいろ試しました。すべては「モテるため」。結果としてどうだったかというと、中三で初めて彼女ができました。女子ともそれなりに話せるようになりましたし、時には休日に遊んだりもできるようになりました。たぶん人生最初の成功体験です。成功があると自信やさらなる興味がわいてきます。そこから考え続けて今があるといった感じです(自慢に聞こえてしまったらすみません。備忘録なので許してください)。
さて、そういった体験からいえる僕なりのコミュニケーションの魅力は「自分への理解が進むこと」です。結局人生を楽しめるのって自分が何者か、身の程をいい意味で弁えている人だと思うんです。コミュニケーションをとるとはそういうのをしっかり意識することに他ならないですし、それで人とも仲良くできるのであれば最高ではないでしょうか。
これは皆さんがうなずいてくれると思うのですが、コミュニケーションが堪能な人ってかっこよくないですか?僕の行動の源泉は「カッコいいか」どうかなので、これができればかっこいいなでコミュニケーションを学んでいます。かっこよく見えるのは自分をよく知っているから。見せ方を把握しているから。何が言いたいかというと「自分の魅力に気づきましょう」ということです。容姿や体型を含め、自分の魅力とは何か、それを引き立てるには今の髪型でいいのか、服装でいいのか、生活でいいのか、、、
コミュニケーション能力を高めるとは、自分の魅力に気づいていくプロセスだと思います。

以上が2022年5月現在の僕のコミュニケーション論です。毎年アップデートできるように日々考えながら過ごします。かっこよく、イケてる大人になりたいです。
コミュニケーションは人間の基本と言いますが、それは尊大だと思います。苦手な人もいる中で、それが基本と言ってしまうと、ニガテな人たちは劣等であるといっているようなものです。ただ、コミュニケーションの大半は気持ちであることも事実。変わりたいと思えば変えていける部分でありますので、悲観せずに鍛えていきたいなと思います。
斯くいう僕も会社に入ってからは劣等感ばかりです。取引先の人とうまく話せない。上司とのかかわり方がまだつかめていない。先輩にどう話せばいいのか、、、日々まだまだだなと感じます。友達にならなくてもいい、ちょうどいい距離感で仲良くなるという感覚がまだつかめていないのだと思っています。その辺をしっかりつかんで、来年のnoteではそこに言及できるように鍛えていきたいと思います。
新社会人、新生活。何かと新しくなる時期ですが、辛かったら辞めてください。久しぶりの友達にLINEでもしてみてください。コミュニケーションはそういうときにも威力を発揮します。僕でもいいですので。

それでは五月病に負けないよう、残りGWも三日ですがしっかりダラダラしましょうね。
読んでくださってありがとう。ではまた



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