お久しぶりの希死念慮

どうも。少しずつ涼しくなってきましたね。8月末までは灼熱の日々でしたが、その頃から双極性障害の私に起こっている希死念慮と体調不良についてお話していこうと思います。

*死や自殺のお話をしますので、引きずられやすい方や体調の悪い方ご注意願います。

希死念慮と自殺念慮の違い

希死念慮も、自殺念慮も精神疾患の病がそうさせるものと医者から言われています。似たような症状ですし、言葉も似ている。どう違うのかという事をここではっきりさせておきたいと思います。

・希死念慮
希死念慮は死にたい、いなくなりたい、消えたい等自分の死を願う状態を言います。程度は幅広いため、うっすらなんとなく「死にたいなー。」と思っている状態も希死念慮に相当します。
精神疾患を持っていると症状としてこれが現れることがあります。「死」が身近なものに感じられて、「コンビニ行きたい」とか「ラーメン食べたい」とかが軽い気持ちで起こるのと同様に「あ、もう死にたいな。」と思ったりもしますしそれも希死念慮に入ります。

・自殺念慮
希死念慮がうっすら死にたいと思うのならば、こちらはもう自殺が目の前に迫っている状態を言います。「死にたい」から「もう死のう」になり、自殺の方法などを具体的に考えたり、自分の荷物(遺品)の整理を始めたり、自殺のための道具を手に入れたり。希死念慮より具体的に死に近づいていく状態を言います。

今回は強いけれど前者

同じく死を願う気持ちではありますが、希死念慮と自殺念慮では緊急性が異なります。

そう考えると私の今回の体調不良は前者の希死念慮なのかな。と思っています。今時点、希死念慮があって未来を曇りガラスがかかったガラス程度にしか見出せません。うすらぼんやりしているのです。
不安もあって、気分は重苦しくその不安の内容を考えるだけでお腹のあたりに黒いぐるぐるがあって叫びだしたくなります。
楽な状態ではありません。

ですが、具体的に自分の命をどうこうしようと行動を起こすほどの力は今の私にはありません。ぐるぐると起こる不安と死にたい気もちに耐えながら、どうしようもない日々を送っています。
この今時点「行動を起こすほどの力」がないのは、症状がそれほど激しくないからなのか、薬が効いているからなのか。そこは判別つかないです。

ここまで読んで自殺念慮に比べたら希死念慮の方が楽じゃん。と思った方、それは違います。どちらにも共通して言えるのは頭から「死」が自分の頭から離れないという事です。

行動に移すまい、死んではならじと、薬や医者などに頼っていて必死に耐えている希死念慮の方もいます。自殺念慮のように行動に移してしまえたらこの「必死に耐えている」苦しみからは逃れられます。行動に移してしまうのですから。ですが頭のどこかに「理性」のようなものがあって「親より先に死んではいけない」という道徳や「来週楽しみにしている事があるからそれまで生きなきゃ」という希望をが「死んでしまいたい」という気持ちと相反してものすごく苦しいのです。
もちろん、自殺念慮も苦しくて、実際に死に向かった行動をとりつつも頭の中では「だめだ!だめだ!死んだら駄目だ」と相反する気持ちがあったり、もう頭の中が「死」でいっぱいで、「死」しか考えられなくなっている状態と言うのもとても苦しいです。

希死念慮や自殺念慮、どちらも辛いのです。

襲ってくる謎の不安

今回、8月末から襲ってきた体調不良の一つに希死念慮があったことはお話しました。それだけではなくて「今考えてもどうにもならない事柄への不安」がありました。将来の事を考えて、親の介護をどうしよう。墓はどうしよう。逆に、過去にあった事柄を「なんであんなことしたんだろう。」と思い悩んだり。そんなことを今考えてもどうしようもありません。そういう「今考えてもどうにもならない事柄への不安」がつよく押し寄せてきました。過去に起こったことは起こったことでもうどうしようもないし、将来の不安は準備しておくに越したことは無いけれど、全てを今から考えて整えておくことはできません。

ですがその不安はとても強く、なにもないのに冷や汗をかき、四六時中涙が出そうなほどです。

ほんの少しの冷静な部分

不安に駆られ、希死念慮に襲われた私ですが、長年この精神疾患と付き合っているせいか、頭の片隅に冷静な部分がほんのちょっぴりあります。
「この苦しい希死念慮と不安は、症状である。私の双極性障害がそう思わせているのだ。薬が効き、日が経てば考え方も変わる。」
と少しだけ分かる時があります。ここ数日はほぼ一日中症状である不安と希死念慮に支配されていた頭の中ですが、ふとした瞬間にこの冷静な部分が顔を出してくれるのです。

今も、その冷静な部分を使って文章を書いています。

先日の通院の際も、不安と症状から主治医の前でボロボロ泣きながら診察を受けてきましたが、脳内にほんの少しだけ冷静な部分がありました。ありがたいことに、このほんの少しの冷静さがあるから完全にコントロール不能の状態にならずに済んでいます。主治医とも、ちゃんと話をしてこれました。(ボロ泣きはしていますが)

人とのつながりの大切さ

少しの冷静さを持ちつつも、希死念慮と不安に襲われている日はもう2週間ほど経っています。もっと時間が経ち薬が効いて来たら少しずつ楽になるというのも経験上分かっているので、辛いのですがじっと耐えているという現状です。
そんな状況でも私は仕事も行けますし、.ご飯も食べられますし、寝ることもできます。ですが、気持ちの奥の方にどろりと溜まった澱のような強い希死念慮と不安が消えるにはもう少し時間がかかりそうです。

こんな精神状態の時に友達からや家族からLINE等連絡があるととても救われた気持ちになります。ほっと一安心するのです。連絡がなくてもツィッターで「いいね」されることでも誰かと繋がっていられると思いほっとします。
一人じゃない。同じ状況に苦しんでいる人はいる、応援してくれる人、私を気にかけてくれる人がいるという事は安心へと繋がります。

久しぶりに襲ってきてる希死念慮と不安。薬を使っても、何を使ってでも何とか乗り越えていきたいものです。

*こちらの記事、普段だったら数時間で書く量の文章なのですが症状があるせいか書き上げて推敲するのに三日ほどかかりました。メンタルの調子が悪いという事はこういう所にも影響するのだな。と思った次第です。

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