加齢と精神疾患

どうも。今日はこれから西日本に過去最大の台風が来るとニュースで流れています。西日本の皆様が無事であることを祈っています。

今回は年齢と精神疾患について書いていきたいと思います。

発症は20代

私の精神科初受診は24歳の時です。症状が現れてから半年ほどたってクリニックの門を叩きました。何もなくても涙があふれてくる。黒いもやもやのようなものがお腹のあたりにあって叫びだしたくなる。眠れない。感情のコントロールがきかない。一人ではそれらの症状をどうしようもなくなって、家族のすすめもあり通院を開始しました。

人生で初めて味わう精神症状に私はとても苦しみました。クリニックに行き、薬を処方してもらったからといってすぐに楽になるわけではありません。薬との相性もありますし、薬が効いてくる前に副作用が出てしまって精神症状と副作用ダブルで辛い時期が長く続きました。薬を何度も変えていき、中々よくならないことにイライラして医者に怒鳴ったりしたこともありました。焦りばかりが募ってしまって未来が見えなくてこの辛い状態が永遠に続くのかと目の前が真っ暗になったものです。

若いからこそ辛い

今、私は40代です。体力が落ち、徹夜をするとてきめんに体に来るようになりました。お酒を飲む量も減りましたし、年齢を重ねることで体に少しずつガタがきています。若いころの様に無理をするわけにはいきません。そうなんです。いい意味でも悪い意味でも無理ができなくなったのです。

裏を返せば、若いころは無理ができました。眠れなくて症状が激しくて体がぐったりしていても仕事に行きましたし、前日一人で感情のコントロールが効かなくて苦しんで叫んでわめいて泣きはらしても翌日は仕事に行っていました。自傷行為をしてしまうほど調子を崩していても包帯ぐるぐる巻きにして仕事へ行きました。症状をコントロールする事ができないのに、ただ仕事が大事で、仕事の優先順位が高く、それ以外に目を向けられませんでした。

基礎体力があって無理ができる上に、自分と精神疾患との付き合いは浅く症状をコントロールできないし付き合うコツもわからない。そんな20代は嵐のようでした。体力があるという事はメンタルの振れ幅も大きくそれに伴う症状も激しいのです。
症状は激しいのに、それを抑える薬にも体は慣れてなくて、副作用が出やすかったです。それに薬の副作用というものも初めて味わうものばかりで何か副作用が出ると過剰に反応してしまいました。眠気や怠さ、胃腸障害、浮遊感、便秘、口渇色々な副作用が出ました。副作用と症状両方が辛い20代でした。
辛い、苦しい、なんとかしたい。とボロボロになりました。そんな中で私が心の支えにしていたのは「30歳過ぎたら楽になるから。」という精神科ナースをしていた姉の言葉でした。

まだまだ辛い30代前半

27歳から33歳までの間は閉鎖病棟への入院を繰り返していた時期でした。1度目はうつと市販薬薬物依存で3か月、2度目はうつと疲労で1か月、3度目は自殺未遂をして3週間。30代になったら楽になるんじゃなかったのかよ!!と思いつつも症状はなかなかよくなりません。クリニックから精神科単科の入院施設のある病院へ転院したのもこの頃です。

この頃かろうじて仕事はしていましたが、症状や副作用が出て動けない時期が来ると休んでしまったり、辞めてしまったり。一つ所にいつづけることができず仕事自体長続きしません。長続きしないけれど働かなきゃという意識ばかり高くて転職を繰り返していました。最短1週間で職を変えていたのです。仕事に対する意識も自分に向いた職は他にある。好きなことを仕事にしなくては続かないという思い込みも根強かった頃です。

転院をして

精神科単科の病院は家から遠く、仕事休みの日を一日つぶして通院をしていました。最後の3回目の入院をしてから早いもので3年ほど経ちました。入院中お世話になった主治医は病院からいなくなってしまい、新たに担当になった主治医とは上手く信頼関係を築けないでました。通院のたびに新しい主治医にイライラし、怒りがわいてきて診察室に入り診察してもらうのが苦痛になりました。

入退院を繰り返していた頃は姉と住んでましたが、この頃は一人暮らしをできるくらい回復していました。3年入院してないし、障害者枠でしんどいけれど仕事もしている。その事で少し自分に自信を持てるようになりました。自信を持った私は
「もう、入院はしない!したくない!」
と思い精神科単科の病院への通院をやめ、家から近いクリニックへ転院する決意をしたのです。

現在通っているクリニックに通い始めて大きく変わったのは、診断名と薬です。今までうつ病と診断されていて抗うつ薬を多く処方されていたのですが、新しいクリニックの主治医はふた月ほど私の様子を見た上で「気分の波が激しく見られます。双極性障害の治療を開始していきたいと思います。」と私にはっきり言ったのです。薬を抗うつ薬から気分安定剤へと少しずつ変えていきました。
現在(2020年9月)リーマスとノリトレンで落ち着いていますが、クリニックへかかり始めの頃はヒルナミン100ミリ飲んでふらふらしながら通勤したり、エビリファイの液剤を24ミリ飲んで厨房の仕事をこなしていた状態でした。
今まで薬の副作用か、うつ病の症状かと思っていたことが躁状態や混合状態と呼ばれる症状で、対処の仕方がうつ病とは違うという事を知ったのもこの頃です。

入院する程ではありませんが、体調を崩し当時の厨房の仕事に行けなくなった私は、仕事へ対する姿勢を変えました。今までは好きなことや興味のあることをを仕事にする。体調悪くても仕事に行くという事を第一にしてきたのですが、好きなことは好きなことで趣味としてやればいいから生きていける給料と体調を崩しにくい環境で好きじゃなくてもそこそこできることを仕事にしようと思うようになりました。上りの混み合う満員の通勤電車にもこれ以上耐えられないと判断し、下りの各停で行ける職場を選びました。今までの私の仕事への姿勢はワーカホリックという躁の症状の一つであることも主治医に指摘されたので、ワーカホリックにならないように気を付けるようになりました。

今でも症状はあるけれど

現在も症状がきれいになくなったわけではありません。声を出すのも億劫な位下がることもあれば、通院して「上がってますね。」と主治医に言われることもあります。ですが、服薬して自分への対策をとれば、入院になることはありません。もう7年入院していません。

薬に対しても今まで散々変薬して色々な種類を飲んでいた経験から、副作用自体にびびらなくなりました。副作用が出たら出たで対処すればいいし、色々飲んだせいか、少しの量の薬じゃ日常生活に支障をきたす酷い副作用は出なくなりました。薬が増えたり変わったらちょっと自分の体を気にしておいて、いつもと違う点はないかと自分を見つめるようになりました。何かあったら、無理せず休む。寝る。仕事より体優先です。無理をしないというのもありますが、無理がきかなくなりました。

そんな話をクリニックの主治医としていたら「症状の気分の波も少しずつ小さくなると思いますよ。」と言われました。もちろん、症状に合った薬を飲むというのが第一なのですが、年齢的なものもあるというのです。
「80歳のおばあちゃんが、酷いリストカットとかしないでしょ?」
と。若い人の方が症状は激しい。
なるほど、40代になった私が20代のころと比べて症状が落ち着いた訳です。

双極性障害の知人の中には50代間近で包丁握りしめて「切るか、切らないか…」というギリギリのところを行き来した人や、うつ状態、躁状態が現れてしばらく寝込んだという人もいるので絶対にないとは言い切れませんが。

20代の頃姉に言われ続けた「30歳過ぎたら楽になる」の言葉は、実感としては35歳過ぎたら楽になった!と言う感じです。35歳過ぎて病名が変わったこと、合う薬が出されたこと、仕事に対する姿勢を変えたことでぐっと生きやすくなりました。

若くて今辛い思いをされている方、年齢を重ねることで楽になるパターンは多いです。怖がる事無く年齢を重ねてください。また、生き方を変える(私の場合仕事への姿勢)ことでぐっと楽になることもあります。色んな可能性を信じて色々試してみてください。思わぬところから楽になることもありますので。

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