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幸福ってなに?

寺山修司という詩人は街頭インタビューの企画にて、前提なしに一般人をランダムにマイクをぐっと差し出し「あなたは幸せですか」と聞かれた反応を淡々と列挙する番組を作った。
確か白黒で「あなたは」というタイトルの番組だったと思う。
答えはさまざまだったが、高度成長時代の終わりかけ、労働者運動も盛んだったことから、あるものは物質な豊かさをかたり、あるものは自分の生活の充実を言われもしないのに照れながらしゃべったり、政治的な革命が必要だとか外国の戦争に連帯していかなくてはならないという主張をしたりしていた。
寺山はそのエッセイのなかでこういった(と思う)。

人の不幸は幸福という言葉を知ったことから始まる。

寺山ならではの、人の足元に瞬時に落とし穴を作って、そこにすとんと墜落させる、切れ味の鋭い言葉である。
確かこう前後に語っていた。
「幼いころに自分が幸福かどうかなど思うことはないだろう。学校かどこかで幸福という言葉を教えられる。そこから不幸が始まるのである」
寺山の盟友、山田太一は「ふぞろいの林檎たち」でエリートからドロップアウトした国広富之にこう言わせた。
「人間の不幸は家でじっとしてられないことから始まる」

日本の若者というのがどういう人たちなのかよくわかっていないが、とにかく精神的には幸福でないらしい。いやいや、みんな不幸だよ、寺山的に言えば。
サラリーマンの所得が30年もあがらず、この原材料高になっても、デフレにならされた消費者向けに、人件費を削って売値をあげない努力をすることを誰も不思議に思わない国だぜ。
金がない、結婚できない、子供が育てられない、いろいろ理由はある。

そんな日本ですが、こんなふうに外国人フォトグラファーから見られた時期もありました。
世界で最も経済的に成功した企業戦士の子供たちは、現実感と目的を失って想像の世界に遊ぶ、こぎれいな天使だった。
「貧困や暴力にも増して、我々が今後直面する悲劇の前触れなのではないだろうか?」

トスカーニの予想した通りの結果になったのか?

ちょっとした言葉遊びだが
「幸せになりたい」「お金が手に入る」という願いをする人は
それは現実になる。
「幸せになりたい」と願う人になっていることはすぐに実現する。
お金も同じ。

自分のことは自分の対話でしかない。
他人と比べたり、外の何かに反応して、自分のことを判断するとその判断はいつも完全ではない。
というのは自分を見ることはできないから。いつまでも、どこまでも自分の姿を含んだ風景をみることはできない。
完全なものは内なる自分との対話でしかないという話。

そんな戯言と、確かにそうかもしれない、すべては心の持ちよう、考えようだからね。

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