見出し画像

怠惰な話

僕は怠惰である。名前はまだ無い。

上記は『吾輩は猫である』のオマージュである。

茶番はこれくらいにして怠惰である。
このような話をだらだらとする点に関しては勤勉であるものの、
本題に入るのに時間がかかってる点で見ると
やはり怠惰であるとおもう。

結論を書かずにだらだらと文を書く。人と話すときもそう。
単純に寂しがりでもある。

怠惰はあまりよく思われる性質ではない。
なぜなら、周りに迷惑をかけている事も多々あるからである。

だがしかし、この記事の中ではそんな怠惰という考えを
アップデートできるかもしれない
カウンターパンチとして存在させたい。

昔、自分がちゃんとまだ勉強をしていた頃、
塾の先生に聞いた話ではあるが、

「めんどくさいという気持ちが、人を、技術を進歩させてきた。」

と言っていた。

とても納得した。その先生は数学の先生であったが、めんどくさいからと、
式は単純化するし、計算も過程をすっ飛ばしてしまうあたり、
自分の数学力の弱さを認めざるを得なくて落ち込みはした。
しかし、自分がめんどくさがりだからと言って発した
その言葉だけは今も心に残っている。
計算式を忘れ、先生の顔も文字も忘れてしまったがその考えは
自分の生き方の一部となっている。

めんどくさいという気持ちと、改善するために進歩しようとする気持ち。

この二つが原因と結果に成るのがとても、お面白いと感じる。

普通、怠惰ならば何も動かずナマケモノのように生活するのが憧れである。
ただ、怠惰な生活をするためには様々なモノをシステム化させ
身体を動かさない工夫をしたり、
めんどくさい料理をしないために作り置きをしたりする。
楽をするために進歩するのは、
痩せるために食事をするくらい相反する。(これは多分例が悪い)

この考えの基、割と今まで生きてきてあまり損はないし、
過去の後悔も未来の不安もない(これは自分のメンタル面でもあるけど)。

だから、友達にどれだけ怠惰だと怒られようと、
親や教師等々の大人に怒られようとスタンスを変えるつもりはない。

なぜなら、これは進歩するための重要な怠惰であるのだから。

なのでもし、僕の怠惰が垣間見えても優しく見つめていてほしい。
LINEが音信不通でも、気まぐれに返すことがあるので粘って待ってほしい。
遊びの誘いを渋りまくったとしても怒らないでいてほしい。

なぜなら彼は今まさに何かに進歩しようと工夫だったり力を蓄えたり、
はたまた、大きな事をするために
一度大きな休憩を取っている最中かもしれないからである。

(ほんとは唯々めんどくさいと思ってるだけだよ)

怠惰というのは、他人がいてくれて初めて存在できるのかもしれない。
勤勉という単語があってその通りの生き方をしてくれる誰かがいる。
だから対極の怠惰は生まれ落ちた。
だから、今日あなたが1日頑張って生活し、
社会を回したり、自分の好きなことをするのは、
どっかの誰かの怠惰を支え、存在を認める大事な行動なのである。

ほら、今日もあなたのおかげで怠惰な生活が送れるよ。
ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?