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『若林の全て』(2000字のドラマ 応募小説)



 その男はヒョロリとした身体で、トイプードルの毛みたいに髪がうねっている。本人曰く、「ノータッチだよ」とのことだが、巻貝も驚くくらいにクルクルしているので、思わず指を突っ込んでみたりする。
「なんか、すごいね」
 なんの特徴もない髪を持つ僕が感心すると、その男は一言。
「すげえだろう」
 そんな彼は長身を活かして、部活移動でサッカーのゴールキーパーをやっている。
「将来はラ・リーガでレギュラーを務めたいんだ」
「それは壮大だね。僕も応援するよ」
 しかし、そんなことを豪語していた二ヶ月後。彼は突然サッカー部を辞めてしまった。
「なんで辞めたの?」
 長雨でグラウンドがぬかるむ中、その男は教室から悲しみの雨を見つめて言った。
「恋をしたんだ」
「え? 恋?」
「そうだ。俺は写真部の藤間さんに恋をしたんだ。だから今日、写真部に入部届を出してくる」
 スペインはどこへいったんだ? だが、煮え切らない僕の疑問は排水溝に流れ、彼は写真部に入部した。
「カメラって、こんなにも素晴らしいものだとは思わなかった」
 その男は入部して一週間も経たずして一眼レフを購入し、晴れた日の放課後に、藤間さんと一緒に撮影会を楽しんでいた。
「斎藤、お前のことも撮ってやる」
「あ、ありがとう」
 その男はすっかりカメラ界の沼にハマった様子だった。
 だが、夏休みに入って物語は急展開を迎える。なんと、藤間さんに彼氏ができたのだ。それも、サッカー部のエースと名乗る男で、いつの間にか藤間さんに告白したらしく、藤間さんも快く承諾したという。
「なんてことだ」
 まるでアメリカ映画に出てきそうな見事なリアクションで落ち込むその男は、「俺を舐めるな」と勝手にライバル心を燃やし、サッカー部に再入部した。
「俺の実力を思い知るがいいさ」
 妙にナルシストなその男は、加入してすぐにレギュラーを勝ち取り、練習試合でも好セーブを連発した。恋に燃えた男はみるみる才能を発揮し、偶然視察に来ていたとあるスペインの強豪チームのスカウトが彼を欲しがったという。
「行くの? マドリード」
 しかし、その男が選択したのは、夢ではなかった。
「行かないよ。僕には藤間さんがいるからね」
「でも、藤間さんには彼氏がいるんだよ」
 すると、その男はフッと軽く笑い、僕に言った。
「奪い取ってやるよ」
 しかし、実際にスペインへ旅立ったのは、ウェーブした髪を持つその男ではなく、藤間さんの彼氏の方だった。
「勘違いをしたらしい」
「は?」
「あいつの苗字、俺に似ているんだ。だからつい、聞き間違えてしまったんだ」
「最高にカッコ悪いね。それで、彼の苗字ってなんだっけ?」
 僕が訊くと、その男は静かな声で一言、
「岡林だ」
 と答えた。
 そして来るべくして来た師走の月。その男は珍しくニヤついた顔で僕に話しかけてきた。
「藤間さん、遠距離恋愛をしていた岡林と別れたらしい。さすが情熱の国スペインだ」
「意味分からないけど、じゃあ狙えば?」
「言われなくても、常にターゲットしているさ」
 妙にキザなその男は、再びサッカー部を辞め写真部に入り、クリスマス撮影会と称して藤間さんをデートに誘った。
 しかし、クリスマスイブの日に彼がいた場所は、僕の実家だった。
「斎藤、今年もお前と一緒にケーキを食べることになってしまった」
「罰ゲームみたいに言わないでよ」
 サッカー部も辞め、藤間さんにも振り向いてもらえない、残念な男。しかし、彼の恋煩いは治ることなく、一層盛んに燃え上がっていった。
 それは、とある放課後のことだった。僕がその男と帰っていると、藤間さんが地元のヤンキーに絡まれている場面に遭遇した。漫画みたいな世界だ、と引いている僕に対し、その男は勇敢にヤンキーに立ち向かい、そして呆気なくやられた。だが、彼はその長身を活かし、藤間さんのことを庇い続けた。そして何よりも、彼が持つ髪の毛は、彼の頭部をしっかりと守ってくれた。とりあえず僕は警察を呼び、サイレンが聞こえてきたタイミングでヤンキーは逃げていった。
「大丈夫?」
 藤間さんはその男を心配する。その眼は、完全に惹かれている眼差しだった。
「俺は平気さ。それよりも怪我は無いかい?」
「うん。守ってくれたから」
「それは良かったよ」
 そして、熟し切ったこのタイミングで、警察官もいるにもかかわらず、その男は藤間さんをギュッと抱きしめて、「ずっと好きだった」と優しく呟いてみせた。


「藤間さんと付き合うことになった」
「へえ。良かったね」
 僕は奇跡的な展開と、彼の男気を素直に褒めた。
「信じていれば恋は実る。そういうことさ」
 妙にナルシストでキザだが、好きな人を愛する気持ちは誰にも負けない。好きな人のためなら、なんだってやる。そんな彼の生き様に、僕は本心から感動した。
「なんか、すごいね」
 語彙力もない僕の言葉に、その男は一言。
「すげえだろう」
 これが僕の親友である若林の全てだ。


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