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ひとときの息抜き 6



「織田さん、織田さん」

 僕はゆっくりと目を覚まし、目の前にジョニーさんがいることを確認する。

「よかったですね。無事に戻ってきました。ただいまの日時は、六月十四日、午前十時十九分です」

「え? 時間が……」

 時間が進んでいない。

「進みませんよ。いつも通り、あなたは人生をお休みしただけですからね。それよりいかがでしたか、猫になった気分は」

 僕の表情は、悲劇を描いたように物憂げなものだったに違いない。ジョニーはそんな僕を見て微笑んだ。

「人には人、猫には猫の生き方があります。あなたにはそれを知ってほしかったのです。自分の意志で猫になり、自分の意志で人へ戻った。それが大事なことなのです。これであなたは、少しだけですが人として生きてみようと思えたはずです。死んじゃったらコーヒー、飲めませんからね」

 僕の頬は気がつかないうちに涙で濡れていて、エアコンの風が吹くたび、ヒンヤリと冷たい思いをした。


「いらっしゃいませ」

 今の僕は上野にある喫茶店、レストハウスで第二の人生を送っている。吉川さんのコーヒーをいただきながら、ときにジョニーさんの手で人生をお休みしながら、僕らしい人生の歩み方をしている。

「織田君、前よりも良い顔になりましたね」

 吉川さんが僕を見て嬉しそうにする。

「ありがとうございます。吉川さん、いや、ジョニーさん」

 人生を歩んでいると、ときに不思議な出来事に出くわすことがある。僕はこの喫茶店で美味しいコーヒーと出会い、表向きはマスターをしながら、この世界とは別空間で仕事をしているジョニーさんと出会い、一度猫になって後悔し、今は喫茶店の店員として働いている。そのどれもが奇跡的なもので、誰にも話すことができない、まるで御伽噺みたいな人生だが、今の僕に後悔はない。

「あの、すいません」

 コーヒーを飲んでいた女性が、勇気を振り絞ったような声で、僕に話しかける。

「はい」

「あの、『ひとときの息抜きください』」
 僕は吉川さんから別空間に行くための切符をもらい、その女性に手渡す。

「場所、ご案内いたしましょうか?」

「あ、ありがとうございます」

 僕は女性とともに、そろそろと通路へと向かう。そしてジョニーさんがいる部屋の扉の前で、女性に向かって、僕の中で決めた挨拶をする。

「それではお客様、おやすみなさい」


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