大人化した子供 (短編小説)


 電車に乗っていると、些細な会話が耳に入ってくることがある。僕の目の前に座る、おそらく親子関係である女性二人。一方は母、もう一方は小学生くらいの娘だろう。二人はそれほど大きな声ではないが、暇だからか先ほどからずっと話をしている。
「ねえ、お母さん」
「どうしたの?」
「わたし、もうすぐ誕生日じゃん」
「そうだね」
「プレゼントさ、バッグが欲しいんだ」
「何の?」
「GUCCI」
 おお、これは何とませた子供だろうか。小学生がGUCCIとくるか。僕は内心、ひっくり返るほど驚いていた。
「そんな高いもの、買えるわけないでしょう」
「でもね、リリーさんがオススメしてたから」
「リリーさん?」
 まさか、俳優のリリー・フランキーがGUCCIを持つとは思えないし、お笑い芸人のリリーが持つとも思えない。
「うん。インスタグラマーかつYouTuberで、最近はTikTokもやっている、今めっちゃ人気なインフルエンサーなんだ。お母さん知らないの?」
「知らない。初めて聞いた」
 僕も知らなかった。まさか、世の中にそんな人間がいたとは。僕は今、おぞましいジェネレーションギャップを感じている。おそらくは、娘の隣で呆れた顔をして話を聞くお母さんも同じ気持ちなのだろう。
「その、リリーって人がオススメしていたとしても、ウチではそんな高価なもの買えません」
「そっか。じゃあさ、YouTuberのライリンがオススメしていた韓国コスメが欲しい」
 また、次から次へと知らぬワードが出てくる。僕もまだ二十代のはずだが、ひどく老化した気分だった。
「それはいくらなの?」
「多分三千円くらいかな」
「まあ、値段的にはいいけど。でも、優ちゃんはまだ小学生でしょう? 化粧なんてしなくていいでしょう?」
 しかし、娘は頑なに首を振る。
「嫌だよ。わたしもライリンみたいになって、新大久保とか歩きたいもん。韓国ごっことかしたいもん」
 韓国ごっこ。何だそれは。
「韓国ごっこって何?」
 やはり、お母さんも疑問に思ったらしい。
「新大久保に行って、バンタンのグッズを買ってチーズホットクを食べたりするのもあるし、家の中で韓国のお菓子とか食べながら、セブチのライブ見たりするのも韓国ごっこだよ。本当はホテルとか貸し切って、チーズタッカルビとか食べたいけど、お金ないからできないんだよねえ」
 全くわからん。なんだろう、バンタンって。バンダイの友達だろうか。セブチ? マクドナルドに売っているハンバーガーの一種みたいな名前じゃないか。
「へえ、それが韓国ごっこなんだ」
「うん。わたしが好きなインスタグラマーのヘタネコさんは、よく韓国ごっこをやっているんだよね。すごく楽しそうだよ」
「ふーん。優ちゃんは色々知っているのね」
 お母さんは半ば呆れつつ、だけど感心も込めて優ちゃんを褒めた。
「でも、課金もしたいかなあ」
「課金? 何に?」
「最近ハマってるゲームがあってね、YouTubeでゲーム実況をしているドスコンガさんがやってるゲーム。『逃避行サバイバル』って言うんだけど、すごく面白くて、めっちゃ迫力があるの」
「へ、へえ」
 へ、へえ。僕も心の中で同じような反応をしてしまう。おかしいな。僕も十年くらい前はゲームをしていたはずだが、優ちゃんは別次元で会話をしている気がする。
「ドスコンガさん以外にも、ねっちゃむさんとか、皆無さんとか、みんなやっているんだけど、結構課金する人が多いんだよね。やっぱり、課金しないと強くなれないから」
 設備投資しないと会社は大きくならない。おそらく、優ちゃんはそんな気持ちでお母さんに語っているのだろう。
 それにしても、この優ちゃんという娘は本当に子供なのだろうかと疑ってしまう。もしかすると、僕が子供の頃にしていた鬼ごっこやかくれんぼとは無縁の世界を生きているのかもしれない。駄菓子など食べたこともなく、グローバルなお菓子を堪能しているのかもしれない。
 何だかそれはそれで、ちょっと悲しい事実だった。
「帰り、なんかお菓子買ってあげるけど、何がいい?」
「うーんと、ポテチかな」
 ポテチ。良かった、やっぱり優ちゃんは子供だった。
「TikTokでオススメされてた、アゼルバイジャンのポテチがいい!」
 アゼルバイジャン!?


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