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母との会話 『ふうふう』


「って話だよ。あんた、本当に覚えていないの?」

 僕が買ってきたジムビームハイボールを飲みながら、母さんはびっくりした顔で僕を見てきました。

「覚えているわけないだろう、そんな昔の話。五歳ってことは、もう二十年も前じゃないか。記憶なんかありゃしない」
「まあ、それもそうね。でも、インパクトのある話だから覚えていると思ったんだけどなあ」
「たしかにインパクトはあるけど、残念ながら全くだね。それで、なんで母さんがそれを知っているんだ?」

 母さんは「それは、一部始終を先生から聞いたからよ」と言って、話の続きをしました。

「そのあと、たまたま先生が来たらしいんだけど、あんたたち、なんというか、エッチなことをしようとしたらしいのよ」

 僕は危うく口に含んでいた味噌汁を吹き出しそうになって、飲み込んだ後に「はあ!?」と珍しく大きな声を出してしまいました。

「エッチなことって、あれか?」
「そう、あれ。夜の営み。正確に言うと、二人とも女子トイレに行って、裸になっていたらしいの。で、たまたま先生がトイレに行ったら物音がして、なんだろうって思ったら一室に裸になった二人がいてびっくり仰天。思わず腰を抜かしたそうよ」
「そりゃそうだろうね。それで、先生が洗いざらい話を聞いたわけだ」
「そう。先生がエミちゃんから話を聞いて、先生から私が話を聞いて、みたいな」

 もちろん、母さんも驚いたようですが、当時は僕を叱ることをしませんでした。

「まだ結城も五歳児だったから、怒るのも難しくてさ。それに、エミちゃんはその事件の後すぐに引っ越しちゃったから。もう、そんなハプニングに巻き込まれることもないだろうなって思って」
「話を聞いていると、百パーセント彼女が仕掛けたことだろうから、母さんが正解だね。そもそも、あの頃から僕は女子に興味がなかったわけで」
「ああ、そうなの?」
「これはうっすらとした僕の記憶だけど、たしかヤマトくんが好きだったはずだよ。好きだったというか、一緒にいたいという本能があったというか」
「いたね、ヤマトくん。たしかにあの子はイケメンだったし、運動神経もよかったからねえ。って、あんた結構面食いだね」
「いやいや、母さんには言われたくないね」

 しかしこんな話をされるまで、僕はハプニングのことを覚えていなかったし、そもそもエミちゃんという女子のことさえ忘れていました。顔も、仕草も、匂いも、温もりも、何も覚えていませんでした。

 そもそも、なぜこんな話になったのか。それはSNSで出回った「牧野エミ」の熱愛報道でした。牧野エミはアイドルをしているらしく、テレビでも引っ張りだこになるくらいの人気を誇っていたそうです。童顔で天真爛漫な性格が売りらしく、特に男性のファンが数多くいるようでした。 

 しかし先日、牧野エミは一枚のスクープ写真を撮られました。それは深夜のコンビニへ行っている姿だったのですが、彼女の隣には、どういうわけか人気声優の羽場流星がいました。しかも二人は笑顔で向き合っていて、後一歩でキスでもするんじゃないかってほどの距離感だったわけです。この写真を見た人たちはたちまち怒りに満ちていきました。特に牧野エミに対してかなりの批判、誹謗中傷がありました。

 この一件に関しては、僕もネットで情報を確認する程度で、強いていえば「アイドルだって恋愛してもいいんじゃないかなあ」くらいの感想でしたが、母は違いました。

「ねえ、この子。もしかしてエミちゃんじゃないの?」

 母は炎上によって牧野エミがアイドルをやっていることを知ったそうですが、顔を見て、名前を見て思い出したそうです。

「エミちゃんって誰だっけ?」
「嘘でしょ!? あんた覚えていないの?」

 本当に覚えていないから、僕は「全く。誰?」と言ったら、母さんはそれこそ腰を抜かしそうなくらい驚いていました。

「牧野エミ。あのときはたしか大島エミだったかな。あんたの幼稚園時代の同級生だよ。そして、おそらくあんたがキスした最初で最後の女性だよ」
「なんだそれ。詳しく聞かせてくれよ」

 そこから僕は二十年ほど前に起きた『ハプニング』の話を聞かされたというわけです。

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