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『ワンコイントゥモロー』 6



 俺たちは近くにあったフードショップでホットドックを二つ買った。お金を払おうとしたが、「これはわたしの誘いだから」と彩花が出した。

「悪いな」

「いいの。そこ、座りましょう」

 チカちゃんを真ん中にしてベンチに座り、彩花はホットドックを半分に割ってチカちゃんにあげた。

「美味しそう!」

「マスタード抜いてもらったから、食べれると思うけど」

「いただきます!」

 元気の良いチカちゃんは、小さい口でホットドックにかぶりつく。

「美味しい!」

「よかった」

 だけど、彩花は浮かない顔をしている。とても「よかった」なんて本心から思っていないような顔だ。それに、気のせいかもしれないが前よりも痩せた気がする。手の甲に浮く骨があんなに出っぱっていただろうか。

「正道くん、ちょっと話を聞いてもらってもいいかな?」

 心配していた俺よりも先に声をかけてきたのは、彩花の方だった。俺が彩花を見ると、珍しく目を合わせてくる。そして何か救いを求めている目をしている。

「うん。いいよ」

「ありがとう。話って言っても愚痴だけどね」

「愚痴でも何でも聞くよ」

「ありがとう」

 それから彩花は、高校を卒業した後に大学へ進学したこと、その際に東京へ引っ越して男女四人でシェアハウスをしていたこと、五年前に一緒にシェアハウスをしていた男とデキ婚をしたこと、だけど最近になって不倫されていたこと、今は別れて地元に戻っていることを話してくれた。ときより言葉を詰まらせながら、目元を拭いながら、怒りや呆れよりも悲しさを滲ませながら、俺に真実を教えてくれた。

「それでね、今日はわたしが休みだったから、チカも休ませて動物園に連れていこうと思ったの。チカに色々な動物を見せてあげたいって理由もあるけど、わたし自身も元気をもらいたくって」

「元気、か」

「うん。小学校の頃に金子みすゞさんの詩を音読したでしょう。あの詩の一節に、『みんなちがってみんないい』って言葉があるの。わたし、あの言葉が大好きなんだ。わたしは夫に捨てられちゃった身だけど、そんな人間でもいいって、前向きに思えるから」

 偶然は偶然を呼ぶのだろうか。それに何だろう。俺の心臓がキュウッと赤い
紐で縛られているのだろうか。先ほどから息が苦しい。それに、目元が熱くなってしまう。

「ごめんね。なんか、変な話しちゃったよね」

 チカちゃんが心配そうに母親を見ていたからか、彩花は白い歯を見せて緩やかに笑ってみせる。

「でも、ちょっとスッキリしたかな。ありがとう、正道くん」

 十年前の俺だったら、愛想笑いをして終わっていただろう。だけど、今の俺は違っている。社会に出て傷つき、金子みすゞさんの詩を噛みしめられるほど大人になった俺は違う。

 今の俺にできることは、ほんの少しでも彩花とチカちゃんを支えることじゃないだろうか。

「あ、あのさ彩花」

「ん?」

 俺はしっかりと彩花を見る。

「もし一人で大変なこととかあったら、俺に相談してくれよ。どれだけ力になれるか分からないけど、でも、幼馴染みとして力になりたいんだ。一人で抱え込むのは良くないからな」

 昨日の母さんのセリフが脳裏にあったようで、俺は感情的になってその言葉を口にしてみる。頬が熱くなる。それまで眠っていた、俺の中にあった情熱が一気に迸ったようだった。

「ありがとう、正道くん」

 その言葉が彼女の救いになったのか分からない。だけど、彩花との距離がほんの少しだけ縮まった気がした。

「あー、暑いな。そうだ、みんなでアイスでも食べよう。チカちゃんもアイス食べる?」

「うん、食べる!」

「よし、じゃあおじさんが買ってやるからな」

「ありがとう、ますみちおじさん!」

 まさみちなんだけどな。俺は笑いながら立ち上がって、再びフードショップに向かい、売っていたソフトクリームを三つ注文する。

「九百円でございます」

 財布から千円札を出そうとしたとき、ヒラヒラと舞い落ちる一枚の紙を、地面に落ちる寸前でキャッチする。ソフトクリームの完成を待っている間、俺はおもむろにその紙に書かれている文字を見つめる。

『明日は必ずピンク色の馬を拾うべし』

 ワンコインによって決められたトゥモロー。俺を待っていたそれは、お金では買えない十年越しの再会と、身近にいた大切な人の存在に気づくための日だったのかもしれない。


 彩花が母の友人である吉江さんの娘だと知ったのは、もう少し後の話だ。



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