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描かれた夢の先で(4)

 僕が三歳のとき、当時の父、秀雄は消防士をしていた。もともと運動神経が良かった上に、人を助ける仕事がしたかったことから、高校を卒業後すぐに消防士の道へ進んだらしい。僕の母、まさこはそんな僕の父と二十五歳の頃に出会い、五年後に結婚した。当時は、自慢の旦那として周りに紹介していたらしい。また、母はよしこさんのところに行くと、いつも父の活躍を話していたそうだ。また人を助けたんだ、秀雄さんのおかげで延焼を防ぐことができたんだ、と。よしこさんはそんな僕の母を「幸せ者」と呼んでいた。僕の母はそれを聞くと、毎度嬉しそうにしていたようだ。
 父は父で、人を助けることができる仕事をしていることに誇りを持っていて、将来は息子である僕にも人を助ける仕事をしてもらいたいと考えていた。父の背中を見て育てば、きっと息子も心優しい男になれる。そんな期待を込めて、二人は僕を育ててくれていた。
 しかし、そんな幸せで人想いが溢れている家族は、ある日突然終わりを告げてしまった。
 父が火事に巻き込まれて殉職したと聞かされたとき、母は頭が真っ白になってしまった。二人ほど助けたんですよ。でも、自分自身は守りきれなかった。彼は、自らの命を犠牲にしても立派に職務を全うしたんです。それが、同僚からの言葉だったという。
 母は、途端に周りの優しさに耐えきれなくなってしまい、一時期自暴自棄になってしまった。遮られた未来を目の前にして、母は人間として壊れてしまったのだ。大好きだった夫を失う。いくら仕事上の事故とはいえ、その運命を辿らなければならないことが、苦しくて、まるで理解ができなかった。
 これから、いったいどうやって生きていけばいいのだろうか。
 経済的にも、精神的にも参ってしまった母は、何度も自殺未遂を試みた。幼い僕を連れて、海の中へ入ろうとしたこともあった。ふらりと電車のホームから線路に引き摺り込まれることもあった。
 ただ、そんな母を救ったのは、幼き頃の僕の存在だった。
 母は、僕がいたから結果的に死ぬことができなかったという。僕を巻き添いにしても、自分だけ夫を追うことも、母はできなかった。何度も死のうとするけど、僕の姿を思い出したり、僕が母を見る澄んだ眼を見つめてしまうと、母は泣き崩れて死ぬことが怖くなってしまったらしい。
 父が死んでから一年ほどが経ち、母はようやく精神状態を元に戻すことができた。そのきっかけは、僕がふと言った「ママ、大好き」だったという。もちろん、僕自身は覚えていなかった。ただ、母はたった一つの言葉で立ち直り、これからはこの息子を守るために生きていこう。そう心に決めたのだ。

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