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努力、真面目、お前は誰だ?


 努力してれば夢は叶うって信じてた
 真面目に生きてら報われるって信じてた
 だが世の中そんな甘くはない
 今日も俺は「お前は誰だ」と問われてる

 義務教育ってのはだいたい「良い子」を作るシステムで、俺はそれに従ってきた。お習字で『努力』と書き、自分の長所は『真面目』と記す。お利口さんだった俺は教師に叱られることもなく、むしろ偉いと褒められさえした。

 だが、良い子になった俺の内心は、良い子じゃなかった。いや、最初は良い子だったのかもしれないが、だんだんと荒んでしまった。その理由は明確で、良い子でいても意味がないとわかったからだ。

 努力をしても、真面目に生きても、俺は俺でしかない。教育プログラムに沿って生きたところで、俺は本物の良い子には成れなかった。そして、「結局のところ、お前は誰だ?」と自問するようになった。

 努力しても、真面目に生きても、この社会にそぐわない人間は上に行かないし、残念ながら報われない。結局、社会に合わせて生きることができる連中が評価される。そいつらが努力をするのは正しい。そいつらが真面目に生きれば報われるだろう。おそらく俺は、少年時代から生き方を間違えていたらしい。

 さすがにすべてをやり直す気は毛頭ないし、過去を責める気もない。どうせ時計の針は右回りでしかないし、明日は来ても昨日は来ない。ならば、俺はもはや社会にそぐわない生き方で報われる方法を探すしかない。多分それは、唯一無二であること。自分にしか残せない創作をすること、だと思う。「みんなと同じ」が無理ならば、「みんなと違う」で突き抜けるしかない。奇抜なデザインが目を惹くように、珍奇な生き様を評価してもらうしかない。もう、それしかない。

 努力とか真面目とか、そんな綺麗事は口にしない。「お前は誰だ?」と問われるなら、「俺は俺以外の何者でもない」とはっきり答えられる人間になりたい。

 生きることは難儀の連続。

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