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描かれた夢の先で(5)

「まさこにとっての『夢』は、秀雄さんが戻ってくることだったのかなって思うの。だから『夢』をテーマにしたとき、秀雄さんを描こうとしたんだと思う」
 僕は、あのふくよかな施設の人が言っていた、母の言葉を思い出した。
「それで、ずっと『あなた』って言っていたんだ」
「そうだね。でも、それは本当に夢の世界でしか叶わない、悲しい現実だった。まさこは認知症になって記憶が薄れてしまっているけど、忘れたいほど辛い過去はまだ消えていなかったんだね」
 僕も知らなかった真実を、母は一人で抱え続けていたんだ。僕は悲しさと申し訳なさのあまり、俯いて目元を抑えることしかできなかった。
 僕には何もできない、救うことができなかった母の心。
 でもね。よしこさんは、一つの持論を口にした。
「ポジティブに考えるなら、その夢に描かれた男は浩くんになりえると思うの」
「僕、ですか?」
 僕は再びよしこさんに視線を戻す。
「だって浩くん、前にまさこに会ったときに、消防士が夢だって言われたんでしょう?」
「そうですけど、でも」 
「もしかすると、まさこは夢の中で秀雄さんと浩を重ねちゃったのかもしれない。記憶が曖昧だからこそ、大切な人も被せてしまうのかもしれない。まさこ、ずっと浩くんを支えに生きてきたんだよ。浩くんがいたから、死ぬこともなく頑張ってきたんだよ」
 よしこさんの涙ながらに語る声が、僕の淡い過去を鮮明に蘇らせる。僕こそ、母がいたからここまで人生を進めることができたのだ。何度も挫折した人生だったが、僕の横には常に母がいて、僕の背中を押してくれたのだ。
 僕は一方的に母に助けられていると思っていた。ただ、それは少しだけ違ったらしい。母もまた、僕に支えられて生きていたらしい。互いが互いを助け合って生きる。当たり前だけど難しい、人間にとって永遠の課題を、僕たちは二人で乗り越えていたようだ。それはきっと、僕の父であり母の最愛の人が遺してくれた、何物にも変えがたい煌めく産物のおかげだと思う。
「プラスに考えようよ。もう、秀雄さんは戻ってこない。でも、浩くんはいる。だったら、まさこの前だけでも消防士になって、まさこを救ってあげて。まさこの夢を、鮮やかな色で描いてあげて」
 今の僕だからこそ描ける夢。母の絵をもっと煌びやかなものに変えるために、母が幸せな気持ちで天へ旅立てるように、僕は母の記憶の中で夢を追い続ければいい。
「ありがとうございます。僕、大事なことに気がつけた気がします」
 僕はよしこさんにしっかりと頭を下げて、感謝の意を伝えた。

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