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『ふくざつだなあ』 2 (小説)



 土曜日午前十時、天候は晴れ。そんな渋谷は混み合っていて、ハチ公前も外国人観光客でいっぱいだった。ただ、武田と名乗った十七歳の彼は一目でわかるくらい清潔感があって、私がイメージしていた『白いシャツを着て、髪を短く切り揃えた青年』とぴったり合う姿だった。

「あの、武田くん?」

 私が声をかけると、武田くんは緊張した面持ちのまま、

「あ、ミレイさんですか。こんにちは」

 と言った。声も清純で、全く汚されていなかった。あまりにも想像通りだったから、私は思わず心の中で拍手をした。

「こんにちは、ミレイです。よかった、すぐに見つけることができて」
「はい。思ったよりも人が多かったので、少し不安でしたけど」

 彼の顔からは不安さが滲み出ていて、東京に慣れていないことは一目瞭然だった。そんな彼を落ち着かせるために、私は提案する。

「ここで話すのもあれだし、とりあえずカフェにでも入る?」
「あ、はい。そうですね」
「じゃあ、私良いカフェ知ってるから、行こうか」
「ありがとうございます」

 私たちは少し歩いてチェーン店のカフェに入り、カフェラテを二つ注文した。もちろん、私の奢りだ。ただ、武田くんは遠慮してしまい、「僕が誘ったわけですから、せめて百円だけでも受け取ってください」と言うから、それは誠意だと思って受け取った。

「改めまして、私はミレイです。苗字も言った方がいい?」
「いえ、大丈夫です。あ、僕は武田です。〇〇高校に通っています」
「〇〇高校って、たしか千葉だっけ?」
「そうですね。サッカーが強いことで有名ですかね。まあ、僕は文化部ですけど」
「何部なの?」

 私が訊くと、武田くんは恥ずかしそうにしながら「演劇部です」と答えた。

「へえ、立派だね」
「いや、そんなことはないです」
 手を横に振って、謙遜する。中身も控えめみたいだ。

「なんで演劇部に入ったの?」
「それは、何というか、何かを演じてみたかったからですね」
「何かを演じてみたい。なるほどね」

 彼から出ている清涼感を活かすなら、やっぱり青春ドラマだろうか。主人公っぽい顔だし、などと思いながら、私は本題に入った。

「それで、お話というのは具体的に何かな?」

 武田くんは短い前髪をかき分けてから答えた。

「実は龍神ガールズに在籍している志賀咲さくらのことで、ちょっと相談してみたいといいますか、女性的な意見を聞かせてほしいといいますか」
「女性的な意見、ね」
「そうですね」

 武田くんは志賀咲さくらとは幼馴染みだと教えてくれた。それを踏まえて「女性的な意見」となれば、内容はだいたい想像できた。

「もしかして、恋愛的なこと?」

 武田くんは「まあ、そうですね」とかすれるような小さい声で言って、控えめにカフェラテを飲んだ。

「僕とさくらは、小学校の頃からの付き合いでした。昔は男女って区別することもなく、一緒に遊んだりする仲でした。お互いの家に行ったりして、何と言うか、親友みたいな関係だった気がします。だから、小学校六年生のバレンタインのとき、さくらから告白されるとは思ってもいませんでした」
「なるほどね」

 典型的な気持ちのすれ違いだ。武田くんは志賀咲さくらのことを友達だと思っていたけど、志賀咲さくらは武田くんに対して一途な恋心を抱き続けていた。なかなか気づいてもらえないからなのか、自分から行くべきだと決心したのか、小学校六年のタイミングで彼女は自分の想いを伝えた。ただ、武田くんは突然の告白に戸惑ってしまった。

 ここまで聞いて、私は実に可愛らしくて微笑ましいエピソードだと思った。そして子供らしくて甘酸っぱい。まるでジュースみたいな話は嫌いじゃなかった。

「それで、二人は付き合ったの?」

 武田くんは照れくさそうにしながら、「はい、そうですね」と答えた。

「正直、当時の僕は恋愛というものがわかりませんでしたが、その辺りはさくらがリードしてくれました。ほら、女性の方が精神年齢が大人って言うじゃないですか」
「言うね」
「だから、何と言うか、僕はさくらに身を委ねていました。もちろん、僕もさくらのことが好きだったから、できることはやりました。友人としてだろうが、恋人になろうが、彼女を大事にしたいって気持ちはずっとあったと思います」

 しかし、十五歳の夏に志賀咲さくらにとって転機が訪れたという。

「さくらは、もともとアイドルって職業に興味があったらしくて、たまたま龍神ガールズの一期生オーディション募集を知って、誰にも相談せずに応募したようです。ダメもとで、受かったらいいなくらいの気持ちだったらしいです」
「そして、さくらちゃんはオーディションを勝ち抜いて、見事龍神ガールズのメンバーになった」
「はい。しかも、デビュー曲からセンターに立って、とびきりの笑顔で歌って踊っている姿をテレビで見たとき正直、僕は何が起こったのか全然わかりませんでした。それまで、彼女がアイドルになっていることを知らなかったので」
「え、さくらちゃんがアイドルになるとき、何一つ相談とか受けなかったの?」

 私が訊くと一言、「はい」と言って武田くんは露骨に俯いた。

「応募したことさえ話してくれませんでした。アイドルになってから、初めて全てを知った感じです」
「アイドルになる途中とか、なった後とか、デートはしなかったの?」
「いえ、時々していました。でも、何も話してくれませんでした。何なら今でもデートはしています」

 嘘でしょ!? 

「え、今でもデートをしているの?」
「まあ、はい。家が近所なので、その辺りだけですけど」

 たしか、龍神ガールズは恋愛禁止だ。それでも二人は相変わらず付き合っているらしい。

「それで、アイドルになろうとしたこと、実際にアイドルになれたことを僕にも話してほしかったと言っても、さくらはごめんねの一言で終わらせてしまうんです。だから、僕もそれ以上何も言えなくて。なんか怖いんですよ。彼女が何を考えているのか全くわからなくて」

 わからない。武田くんは迷路に迷ったような困惑と不安を表情に出していて、救わずにはいられなかった。それから、彼が私に何を相談したいのか、だいたい想像できた。

「もしかして、相談ってさくらちゃんが何を考えているのか教えてほしいってこと?」

 武田くんはコクリと力なくうなずいた。

「そうですね。女性的な意見を聞けば、何か掴めるかなって思ったので。ごめんなさい。でも、僕にはどうしてもわからないので」

 そう。武田くんにはさくらちゃんの気持ちはわからない。しかし、それは私も一緒だった。女性的な意見で解決するのかさえわからない。彼を救いたい気持ちもあるし、彼が私を頼ってくれていることもわかる。だけど、わからん。そんな身勝手な彼女の気持ちなんて、誰にもわからん。

「うーんっと、なんだろうなあ」

 でも、せっかく勇気を出して私にダイレクトメッセージを送った武田くんに寄り添いたい。彼のためになる言葉、何かあるだろうか。

 陽気なBGM、人間たちの談笑、カラコロ響くカフェラテ。武田くんは俯き、渋い顔をしている。その中で、私は考える。考えて、考えて、ようやく口を開く。

「多分だけどね、これは男女とか関係なく、さくらちゃんは武田くんとアイドル、その二つとも大事なんじゃないかな」
「二つとも、ですか?」
「うん。つまりね、捨てられないんだよ」

 考えて、考えて、これだけは言い切れることがある。さくらちゃんはわがままだ。私はそのことをできるだけマイルドに、武田くんを傷つけないように教えてあげる。

「うん。さくらちゃんはアイドルのことも武田くんのことも、どっちも大事だったんだよ。悪く言えば欲張りさんだけど、良く言えば諦めない心を持っているというか。どっちも心から好きだから、切り捨てることができないんだよ。夢も、好きな人も」
「だからアイドルになったことも言いづらかったのかな。僕のことが好きだったから、余計な気を遣ったのかもしれない」

 それはわからん。でも、そういうことにしておけばいい。

「うん。きっとそうだよ。近しい仲だからこそ言いづらいこともあるでしょう。ほら、実際武田くんだって、親とか友人じゃなくて、初対面の私に相談しているでしょう。こういう話って、もっと関係性の深い人と話すべきだけど、あなたは私を選んだ。それにも、きっと意味があるんだと思う」

 わからないけど、きっとそうだと思う。

「そうですよね。僕だって話しづらいことがあるんだから、さくらだって話しづらいことがある。そこに男女は関係ない。そういうことですね!」
「うん。そういうことだと思う」
「ああ、なんかスッキリしました。ありがとうございます」

 なんだかんだでまとまったらしく、武田くんはたしかに明るく清々しい顔をしていた。よかった、どうやら上手くいったらしい。

「やっぱり、客観的な意見って大事ですね。よかったです、ミレイさんに会うことができて。ありがとうございます」
「力になれたならよかったよ」

 でも、本当によかったのだろうか。トップアイドルの志賀咲さくらが恋愛していることがバレたら、龍神ガールズは間違いなく大打撃を受ける。人気だって落ちるだろうし、下手すりゃ解散だってあるかもしれない。私が応援しているグループが一瞬で壊れてしまうかもしれない。

 だけど、私の目の前にいる青年の心を傷つけるようなことはできなかった。志賀咲さくらはアイドルになった今も本気で彼を愛しているらしい。そして、彼も彼女の気持ちに応えようという姿勢が伝わってくる。そんな二人を引き離せるほど、私は悪魔じゃない。

 なんか、ふくざつだなあ。そう思いつつも、武田くんのさっぱりした表情には叶わず、私は彼らの幸運を祈ることしかできなかった。


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