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怒り。『転がる石』




「革命が起きました。令和革命です。おっと、あそこにいる青年、散弾銃を持っています。それを今、放ちました。たちまち政府軍が倒れていきます。混乱の最中、群衆は次々と押し寄せて政治家たちをとっ捕まえています。政府軍が抑えるが、いや、散弾銃を持った青年の隣で、若い女性が拡声器を持って叫んでいます。降参せよ、そんな言葉に聞こえます。あ、今再び銃声が聞こえました。今度は群衆も巻き込まれました。子供もいます。老夫婦もいます。なんということでしょう。正義とは、いったいなんでしょうか」


 怒り。人間は常にその感情をどこかに秘めている。それに火がつくタイミングは、人それぞれだ。ただし、それは平常時に限っての話だ。緊急事態になってしまえば、人間はたちまち怒りの感情を爆発させる。そして、混乱を引き起こす。それが巨大化すれば、僕らは革命を起こそうとする。マスメディアも煽りに煽って、今ならインフルエンサーも沸き立てる。

 怒り。その感情に乗せた正義は、容赦ない。自らの正義を貫くこと、それは大事なことだ。ただし、それも平常時に限っての話だ。革命なんて起きている状態で正義を振りかざせば、間違いなく暴力が生まれてしまう。正義が人を殺すことを助長する。そんなこと、わかっている。だが、人間は止まることを忘れることがある。都合よく、正義を押し通すがために。

 怒り。人間は時々、その感情によって生死を彷徨う。いや、限りなく死を体験する。そしてそれが正しかったかのように認識する。正義とはいったい何か、考えることさえ諦めてしまう。たくさんの人間が死のうが、革命によって世が変わればそれでいいと認識する。正義がもたらす鉄槌が全てであり、あらゆる暴力が容認される。血が、幸福の水にさえ見えるのだろう。

 怒り。そんな時代、いったい誰が望む? ただし、それは平常時に限っての話だ。緊急事態になってしまえば、人間なんてたちまち変わってしまう。平和を謳うやつだって、愛を語るやつだって、みんな身勝手なくらい正義を貫く。そして、また人が死んでいく。嫌だと言っても、泣いても、苦しいと叫んでも、怒りは止まらない。それが人間である。

 怒り。だからせめて、僕らくらいは加害者にならないように生きたいね。って話をしていたのに、君は散弾銃を持ってたくさんの人を殺した。それもまた、人間である。

 

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