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ギャル男や中国人が着ればダサいについての考察

「あのブランドはもはやギャル男か中国人しか着ていないからダサいよ。」そんな発言がSNS他、ファッショニスタ達の間で頻繁にあがる。

一昨年、よくこの手の会話のやり玉に上がっているのはSupreamだ。今だとバレンシアガやバーバリーだろうか?

今回はSupreamを例に進めていこうと思う。

Supream?となる人は、そもそもファッションに興味など無いのだろうとも思うが、原宿界隈を歩けば必ず1人は着用してる人を見かける、長方形にSupreamと書いたロゴが目印のブランドと言っておこう。おそらく一度や二度ぐらいは見たことはあるだろう。

まず「Supreamが人気かどうか?」は、メルカリやヤフオクででもSupremeの代表作のボックスロゴTシャツを検索して欲しい。

定価は7,000円程度と少しTシャツにしては値がはる程度だが、種類によっても違うが数万円〜十数万円を超す値段で売られているものもある。少なくとも中古にも関わらず、定価以下で販売されているものの方が少ない。これを見れば明らかに人気があると言えるだろう。


ではなぜ、一般的に人気があるのにファッショニスタに言わせるとダサいとなるのだろう。それが今回の問題の論点、つまりギャル男、中国人が着るとダサいという箇所、それが正しいのかどうか?

今日はこの考察を深めていく。

中国人のファッション

中国人が着るとダサいのか?結論から言うとそんな事は当然ない。差別でしかないので、理知的な人間は使わない事をおすすめする。

ではなぜ、その様に言われるのかを中国のファッション事情から考えよう。

ボクの知り得る限りだが「TPOをわきまえた服装」はまだ中国では一般的に浸透していない様に感じる。
日本でそんな事をすれば、10年も20年もいじり倒されそうだが、デニムや短パンで結婚式に出席することも中国では珍しくない。

これは一例で、未成熟なファッション文化に関してのエピソードは他にも存在するが、そんな環境下でも特に消費力の高いYoung Richと呼ばれる若い世代もいる。

彼らは自分の父親の世代のようなダサい服(おそらく日本人が中国人でいちばんよく思い浮かべる鮮やかな色のTシャツやロゴがドーンなTopsにデニム、スラックス、短パン、スニーカー、サンダルなど)を着たくないと随分おしゃれに敏感なっている。

だいたい、日本人が見ている中国人と言っても10億人以上いる中国人全体の中ではほんのごく一部の人々でしかない。

つまり、こんな事を言わなくとも明らかだが、中国人が着る=ダサいという方程式はまったく成り立たない。

ギャル男の定義について

次に、「ギャル男が着るとダサい」という疑問にもアプローチしよう。

そもそもギャル男とはなんだ?

少々調べたところギャル男については定義とまでは言えないものの、wikipediaによって一定の解釈が存在した。

それによると、ファッション雑誌「Men's egg」の創刊に伴い、Men's eggが提案したファッションを受け入れた男性たちを指すそうだ。

感のいい方はお気づきだろうが、Men's eggは既に現代には存在しない。そうなると、Men's eggが無き今明確に特定の人物がギャル男かどうかなんて判別することはできない。

では少し解釈を広げ、ギャル・ギャル男を中心に熱狂的なファンを持つと言われるEXILEを摸したスタイルをしている若者達をギャル男と呼べばいいか?いや、それも無理があるだろう。

それどころかEXILE好き=ギャル男なんて公に言えば、狂信的なファンが怖くておちおち夜道も歩けなくなりそうだ。

EXILEのスタリングを主に担当しているMASAH氏にしてもギャル男の要素など皆無だ。

ここまでの情報だけでも、現代社会においてはギャル男などそもそも存在しない、したとしてもMen's egg無き今、特定のブランドとギャル男を関連つける事は困難と考えていいだろう。

よってギャル男が着るとダサいという点においても、立証することはできない。

人間のもつ忘却機能

既にギャル男にしても、中国人にしても、=ダサいと定義つける事ができなかったが、広域に準ずるものが存在する可能性、なぜそういった発言が生まれるかについても考えてみる。

いくら論理的にギャル男が絶滅してる、中国人皆がダサい訳がないとは言え、一般的にはそういった認知がされている事も事実だ。

それは、人が耳で聞いた内容を三日後に記憶している割合は10%程度であり、同じ内容を視覚的に感じた場合は35%まで飛躍する事と関係がありそうだ。

だからこそ一概に発言者を断罪することも出来ないかもしれないが、問題になるのは、ギャル男、中国人が特定のブランドを着るとダサいかである。

過去、ギャル男と呼ばれた人間、日本に観光に来ていた中国人においては、粗暴でルールを守らない人間が多かった。

何を参考にすればその様なスタイルが完成するのか、検討がつかない様な人々もいたのは事実だ。

そして、ギャル男という定義が無い現代においては、ギャル男の特徴でもあった全体的に痩身、細身(タイト)な服装、極端に焼けた肌、馬鹿デカいサングラス、派手で痛んだ頭髪といった点を片鱗でも残す人間を今でもギャル男と認識しているのだろう。

とはいえ、それが服装のダサいと関係があるか?

基本的に違反行為を行ったり、粗暴で乱暴な言動のマジョリティーであるがゆえに行動がダサいと断罪されてしまっているだけではないか?

行動は確かにダサいかもしれないがファッションにフォーカスすれば、それらはなんの関係もない。また彼らの陰に隠れた本当にダサい人間達が着ている可能性は考慮されていない様にもとれる。

そう考えると、やはり冒頭の発言は些か乱暴な発言であり、情報時差を食い扶持にするファッション業界の人間による「ポジショントークのための犠牲」とされてしまっている様にも取れ、ギャル男や中国人に申し訳ない様にも感じられる。

情報時差など現代にはないのだから

ここまで読んでいる人は、これを書いている様なボクになど絶対に言われたくないだろうが、よっぽど暇なのではと思う。

それか呆れるくらいの忍耐力でもあるのだろう。

結論に向かう前にはっきり言うと、ボクは冒頭の発言をする様な人間を心の底からバカにしている。

だって、そもそもこんなにダラダラと書き綴らなくとも、そんな訳ないからだ。一体何様の立場からの意見なのだ。

しかし、では結局何がダサいのかどうかいう問いには、真摯に考え、回答を用意する必要も感じる。

答えは、デザインがダサいのかどうかなどは個人の主観であり、その人の体型、目の色、髪の色、体の色、年齢など着る者によって、どんなブランドもダサいと取られる可能性はあるだ。

どんな格好をするのも自由だとはいえ、オーバーサイズに着る事を美徳した上で設計された洋服を豆タンクの様な体型の人間がピタピタで着ていてはさすがにおしゃれとは言えないし、ダサいと言われるのも無理はないだろう。

その様にどんなブランドでも着る者によってはダサいとなり、ブランドもダサいと巻き添えを食らう事はある。

反対に言えば、極論かもしれないが、この世に誰にでも似合う服などないのだ。

現代において業界と消費者間においての情報時差など既に消滅し、ブランドやクリエーター、ファッショニスタなどギョーカイに対する消費者側の'憧れ’はほとんど無くなっている。

そんな現状でも、こういった不用意な発言をする様な人間がファッション業界の化石と呼ばれ、業界の足を引っ張っている。

そんな人間少しでもいなくなればいいのになと星に願う事にして結びにかえる。

おしまい。

最近、VLOG始めましたのでそちらもご覧下さい。

Youtube→shun-talow

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