見出し画像

父の人生を変えた『一日』その3 ~大学時代の学生生活~

その3 ~大学時代の学生生活~
 朝は5時に起きて電車に飛乗り、日暮里駅前の薬屋さんの息子の家庭教師。そして終わったら大学へ。大学の授業が終わったら埼玉、東京、千葉とアルバイトをこなし、茨城の自宅に戻って夜11時まで塾を経営。そして自分の勉強から就寝。行き帰りの電車1時間ずつ睡眠不足を解消する。そんな息の抜けない毎日であった。
 夏休みや休日はすべてアルバイト。東急プラザホテルのベルボーイ、銀座飯店の給仕係、
洋食レストランのコック、土木工事の労働者、深夜地下鉄の工事とありとあらゆるアルバイトをして働きずくめであった。全て―アメリカへの道―の実現の為であった。今、考えるとよく身体が持ったと思う。
気分的には精神的には何をやっても―私の本文は大学生―である点を忘れずに仕事に流されないように心がけた。あの大地アメリカへ行きたくて、行きたくて無性に働いた。必ずその道を実現するという執念は将に―鬼気迫る―形相であった。そしていよいよアメリカの一歩が実現したのである。


~倅の解釈~
大学の入学金から授業料すべてを自分で稼ぎ出した父。ここで大事なのは、大学費用だけのためにアルバイトをしていたかった事。そのさらに先、大地アメリカに行くことの夢があった事。そのためだったら、なんでも乗り越えられる。そんな情熱的な大学時代だったのではと思う。私も同様、両親から入学と同時に色々とあり仕送りをもらうことが出来ずアルバイトに明け暮れた日々を過ごしました。でも私の場合は生活をするため。でも親子だと、あらためて思う。私もウェイター、スターバックス、土木工事、佐川急便の仕分け、コックとアルバイトの職種がかぶっている。でも父の場合は「アメリカ」という夢に向かっていた。私はただ単に生活するため。この差は歴然。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?