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父の人生を変えた『一日』 その4 ~アメリカへの第一歩~

その4 ~アメリカへの第一歩~
 田舎出身の青年は大学2年生で万円の金をためた。しっかりと働いてお母さんに小遣いをあげた後に残ったお金であった。そのままアメリカを歩いてこようかと思った。待てよ、もう少し待てよ。その少年は考えた。大学3年生で単位4年分をすべて取得して、勉強を終わりにしようと考えた。4年生の分も含め授業を受けた。結果4年生では演習ゼミの1科目だけで全ての単位を3年生で終了した。4年生は毎週水曜日1限だけで授業は終わりであった。彼は働き続けた。
 演習ゼミの先生が好きなだけアメリカを歩いてこいと行ってくれた。うれしくなった。
よし、いよいよアメリカだと思った。新婚旅行のカップルの団体旅行があった。一部病気になった人が行けなくなった。半額でその団体に潜り込んでまずはアメリカからハワイに到着した。熱々の新婚さん達の末席に田舎出身の青年は乗っていた。そして、ハワイ空港でキャンセル待ち、もしくは欠員の座席を探して本土アメリカに乗り込む算段をしていた。英語は充分通じるぞ!よーし、アメリカ横断ヒッチハイクだと思った。将に水を得た魚のように青年の心は熱く成っていた。


~倅の解釈~
ヨシダソース創設者の吉田潤喜会長やジャーナリストの落合信彦。大学生時代、「アメリカ」という共通点があり、両名の書籍を読みまくった。読んでいくと「アメリカ」という共通点のみならず、「空手道」という共通点をも発見して、感動したことを今でも覚えている。父も同じようにアメリカを夢見て苦労して渡米したことは幼少期から聞いており自分自身の中で、何かこの共通点にすごく力をもらい今に至る。
私自身は父の駐在というきっかけでアメリカにて暮らす経験をさせて頂いた。そういう意味ではまったく持って苦労の無い、経験。ただ、日本に戻り、どこか物足りなさを感じ中学2年生で決意して、中学3年生で私自身も単身留学。シアトルの空手道場の師範と先生のご自宅にホームステイ。この3年間で得た経験は今につながっている。

『アメリカ。大国アメリカ。』

魅了された日本人は多くいるかと思うが、水澤家は少なからずこの魅力を代々継承している。


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