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父の人生を変えた『一日』その33 ~言葉の苦労~

その33 ~言葉の苦労~
 シアトル支店には食料部の駐在員もいた。ある時、東京の食料本部の部長がシアトルに出張にこられてレンタカーを借りられ、営業活動をしていた。その車がパンクした。ガソリンスタンドに運んでパンクチュアルの「パンク」と言ったが通じてない。困って支店にでんわをかけてきた。私が対応した。「Punctual」は時間通りの意味で全然駄目です。
英語で「I got flat tire」つまり私の車のタイヤが平らになった。と言うと日本語のパンクの意味になると教えてあげた。その部長、大変喜んで英語の表現の深さも理解したのである。
 大阪外国語大学ロシア語学科を卒業した先輩が駐在できた。食事が終わった。その先輩曰く
「ライオン、普通食事の精算の時check チェックと言うがbill ビルと言う英語も精算の意味がある。」と得意げに私に言った。そして10人で食事している時食事が終わり先輩は
「bill please」と言った。わたしは??????であった。外人は通じていないと先輩に言った。何の事か驚いた事にビールが10個運ばれてきた。先輩は皆の前で恥をかいてしまった。このように失敗談はいくらでもあるが外国アメリカであり言葉の苦労をするのである。


~倅の解釈~
 アメリカに駐在する前線で戦う企業戦士の皆様の言葉の苦労を親父からよく聞かされていた。幼少期から私と妹はアメリカにいたため、当初は意味が分からなかった。いわゆる日本語発音の英語の存在を知らなかったのである。親父とお袋の英語だけがおかしいと思っていた。英語が単に下手だと思っていた。
 今や、スマホや翻訳機があるので、便利だがこの時代はそんなものはなかった。父はあまり口にしないが、車の中、カバンの中、あらゆるところに辞書を隠し持っていた。何があってもすぐ調べるため。
 文化の言葉の壁は私は正直、幼少期渡米したので経験していない。最初に覚えた文化はどちらかというとアメリは文化。イースターには卵探しをして、ハロウィーン前は仮装の準備でワクワクし、サンクスギビングが近づくと長期休暇を楽しみにしていた。食事はテーブルと椅子。給食でなく、カフェテリアでランチ。生活的文化と伝統的文化は私のベースにはアメリカがある。なので、節分、年末年始、七五三、などなど幼少期は経験が少ないため、自分が実際親になって子どものために開催する伝統文化は家内から教えてもらっている。
 いまだに疑問が残るのが、中学校、高校とビッチリ英語を最低でも6年間学ぶ日本の教育制度。なのにしゃべれない。発音が悪い。この根底には何があるのだろうか?不思議である。隣国の韓国人は発音が非常にいい。なぜなのか?大きな日本の教育制度の課題だと感じる。

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