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父の人生を変えた『一日』 その5 ~英語の勉強~

その5 ~英語の勉強~
 その学生は日本いる時、外人と会うとどんな人にも声をかけていた。英語で話しかけていた。まるで英語を学ぶに羞恥心など考えなかった。無料で生きた英語、英会話が勉強できるただ、それだけで外人に英語で話しかけた。生きた英語の勉強だった。相手の言う事が完全に解るまで話しかけた。
 枕元・便所の中・自転車の中・ポケットの中・机の中全てに英語の辞書がおいてあった。自分の廻りは英語の世界になった。何冊も英語の辞書を喰っていった。単語を覚えるために喰っていったのである。通常の英和辞典つまり英語でひいて日本語の訳がでている辞書からEE辞書に変わっていった。英英辞書つまりEnglish English Dictionaryである。この辞書には日本語は無く全て英語であった。(日本語の辞書と同じで英語で英語の訳がある)
 例えばDog犬を辞書でひくとa faithful friendly pet kept in house or family. This
animal barks-bow wow-。と書いてあり―犬は家や家族で飼われる。忠実な人懐っこいペットである。この動物はワンワンと鳴く。全てが英語であった。田舎の少年はこの英英辞書をむさぼるように活用した。そしてアメリカへの道を間違いなく歩いていた。


~倅の解釈~
私が6歳からアメリカに滞在していたため、英語を勉強する苦労はまったくなく、母国語のごとく、活用出来ている。父のように猛勉強して培ったものでは無いので気が付くと英語がさび付いていることを忘れてしまう。語学は使わないとさび付く。Rustyになる。見る番組、記事、ネット、SNSなどは極力英語をと心がけているが、父やアメリカにて大活躍した先人たちの情熱にはまだまだ勝てない。
懐かしいエピソードがある。父は大衆の前でも大声を出せる勇気があった人。ある日、獨協大学の英語の教授に英語で話しかけたという。ある意味挑戦状。
その教授から帰ってきた言葉が。

『茨城弁の英語は通用せんぞ』

思わず大爆笑してしまった。この先生のゼミに父や母は入り、妹も同じ獨協大学で同じ是非に入った。アメリカへの夢を後押ししてくれたこのゼミの先生には私もあったことがあるが、すさまじい方だった。父が尊敬する人の一人。今は天国で父はその教授から英語のスパルタ教育を受けているんではないかと考えると、思わず微笑んでしまう。

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