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父の人生を変えた『一日』

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父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
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#アメリカ

父の人生を変えた『一日』その65 ~商売に対する執念~

その65 ~商売に対する執念~  アメリカの会社のサプライヤー(木材供給会社)に米栂の細…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その64 ~世のために人のために~

その64 ~世のため人のため~  頭が角刈りヘアースタイルの真面目そうな東北弁を話す東海…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その63 ~改革~

その63 ~改革~  アメリカから帰って商売に専念した。福島県の小名浜の米材製材協同組合…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その62 ~商売の暖簾(のれん)と仁義~

その62 ~商売の暖簾(のれん)と仁義~  ㈱トーメン時代もライオンニュースを手書きのフ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その54 ~商売の師匠~

その54 ~商売の師匠~  萬(まん)玉(ぎょく)本部長は言った。 「ライオン米材で何とか3億…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その53 ~商機~

その53 ~商機~  大阪のお客様でニチメン、日商、三井物産、丸紅、住友商事が販売してい…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その52 ~日本に帰国~

その52 ~日本に帰国~  米国トーメン社から辞令が出る前にライオンは何処に帰るのだろうと色々と噂が聞こえ得てきた。大阪のお客様は是非、大阪へとの声が大きかった。ところが誰か偉いさんが東京の本社に返すと言っているとの噂が流れてきた。誰だろうと思ったが解らなかった。結果は東京の本社になった。お世話になった大江シアトル支店長にしっかり挨拶してもちろんニューヨーク本社にもしっかりと挨拶して帰路についた。東京本社。全国の仕入を任される大事な部署である。しっかりと身を引き締めて飛行機に

父の人生を変えた『一日』その51 ~別れ~

その51 ~別れ~  シアトルタマコ空港には沢山の人がお別れに来ていた。家族はハワイで数…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その50 ~国際結婚~

その50 ~国際結婚~  ㈱トーメンのシアトル支店とカナダトーメン社の木材部の合同ゴルフ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その49 ~さらばアメリカ~

その49 ~さらばアメリカ~  アメリカからの帰国する日が近づいてきた。アメリカの友人達…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その46 ~ヒンショー本田~

その46 ヒンショー本田  ㈱トーメンの船が木材を積んで日本に向けて出港する前に船に行っ…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その45 ~祖父祖母のトーメン訪問~

その45 ~祖父祖母のトーメン訪問~  米国に行って4年が経った。日本の本社の木材本部長…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その44 ~ロールズロイスで検品~

その44 ~ロールズロイスで検品~  オレゴン州ポートランドの空港近くのレンタカー屋にレ…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その43 ~訴訟大国アメリカ~

その43 ~訴訟大国アメリカ~  ㈱トーメンのアメリカの各支店長は「sue」と言う英語を聞くと非常にびびるのでる。「Sue」は「スー」と読むが裁判で訴えるという意味であった。ある日westcoast longshoreman association西海岸荷役協会の理事長から電話があった。ライオンとアポイントしたいと言う。 「何の用事ですか?」と聞いた。私は㈱トーメンシアトル支店木材部を訴えたいと理事長は言う。支店長は真っ青になった。ライオンと会いたいという。そして、面談した。