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父の人生を変えた『一日』その65 ~商売に対する執念~

その65 ~商売に対する執念~
 アメリカの会社のサプライヤー(木材供給会社)に米栂の細丸太の日本での状況を事細かく説明し、ライオンの求める米栂の細丸太の出材を要請した。あるアメリカ人はその時のライオンの迫力はただものでなく尋常には見えなかったと言う。殺気さえ感じる姿勢であったという。あるアメリカ人は『ライオンがenthusiastic情熱的であった』と言った。
来る日も来る日もアメリカ人と丸太を検品した。ヘリコプターやら車で走りまくった。あるシッパーはトーメンとニチメンと住友商事3社にしか丸太を販売しない会社があった。クラウンゼラバックと言う会社であった。そこにジム・パスカルと言う販売部長がいた。その後ライオンこのジムとは何度も大きな商売をしてライオンと『刎頸の友』になったアメリカ人の1人であった。皆が羨ましがるほどの間柄であった。奥様のジャンとも本当に親しくなった。ジムの子供たちにもライオンさん、ライオンさんと慕われる家族付き合いの間柄になった。
 このクラウンと言う会社が無尽蔵といるほど天竜川の製材工場に適する丸太を所有していたのである。ジム・パスカルに台風の話しから製材工場の状況をしっかりと説明しこの工場の再建をお願いした。男、中村氏を本当の男にするために必死であった。伊勢湾の名古屋港・豊橋港・蒲郡港に㈱トーメンの細丸太がどんどん入荷していく夢を考えていた。商売の基本は『需要と供給』であり材木は『挽いてつまり製材して採算あえばどんどん儲かる』のである。そうすれば工場は活気がでて生き返ったような忙しさになるのであった。中村氏は誰がやっても出来なかった工場の再建を成し遂げようとしていた。そして軌道に乗り出し工場は再建に向けてまっしぐらであった。江間忠木材本社から中村氏取締役に抜擢重役昇進の話がでてきたのである。岩手の田舎の高校卒業の真面目な田舎者が東京本社の重役候補になったのである。


~倅の解釈~
 親父は物事に対するこだわりが凄かった。気に入ったレストランがあると数か月は毎日通う。気に入った服があったら、同じ色、同じ物を何着も購入する。気に入った飲み物、食べ物、生活リズムはすべて『こだわり』の塊であった。時にはこれが大迷惑の場合もあったが、今になっては懐かしい思い出である。特に商売に対する執念はすさまじかった。なんとしても成し遂げると決めたらあらゆる手を尽くし絶対に成功させる。絶対に妥協しない。
 昔はこういう方が多かった気がする。今や頑固者と称されてしまうが、実はこの『頑固さ』に物凄い経営のヒントがあるのではと感じる。今や習得出来ていないが、様々な経営者の方々とお会いするが、そこには必ず『頑固』としか表現できない『こだわり』がある。
 親父は、中村氏の会社再生に命を懸けていたわけではないと思う。中村氏の情熱を応援することに命を懸けていた。中村氏の頑張りに命を懸けていた。共感できたのである。
 私自身ももっともっと人脈を広げ、深め、このように『命をかけれる』戦友と共に商売がしたい。


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