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0002 人間の条件

【2日目】

 右手を開く。
 五指を広げて、地面に向け、俺は意識を強く強く集中させた。

 そしてイメージを練った。
 頭の中で、言葉で概念を汲み出し、そこに五大感覚を組み込んでいくように、練り込む。
 第六感をも想像して、あるいは夢想して――空気の中から、望むものが染み・・出してくるかのような有様を幻視する。

 この意思が、このうつつの有り様を、自在に塗り替え超克することができるように。
 そう在れと、我が望むが如くに世界よ変われ、と念ずるかのように。

 すると、鍾乳洞を包む青と白の仄光そくこうに変化が現れた。
 光が明滅しつつ――確かな脈動となって、俺の右の手のひらに集まってくる、そんなイメージを眼前に叩きつけながら、俺自身の五指を睨みつける。

 青い光は【魔素まそ】を成し、
 白い光は【命素めいそ】を成す。

 五つの指の先端に、まるで小さな炎が灯ったように熱く感じられてから10分。
 初めは方向感すらわからず、手指が千切れそうになるような奔流だった。素手で暴れ川を治水するかのような荒々しい試行錯誤を続けた。そうして、ようやくそいつを乗りこなす・・・・・コツを掴んでから、さらに10分。

 ついに俺は、魔素と命素と呼ばれる二つの脈打つエネルギーを、球状に掌の中に集めることに成功したのだった。

 ――さすがに27・・回も挑戦した甲斐があった、というところか。
 今度ばかりは、この半日の試行錯誤で一番、良い具合に感じられた。

 この魔素と命素という、粒子だか波動だか物理的な存在であるかすら定かではないエネルギーから成る混合物はとてもデリケートだ。
 わずかでも集中が乱れて形が――俺の、魔素と命素を集める流れのイメージや流量・・が崩れると、途端に元の青と白の淡い光に溶けて霧散してしまう。それはもう、この半日で嫌というほど思い知らされていた。

 だが、いい加減に、この新しい体・・・・の勝手にも慣れてきたところだった。
 今度という今度は、今やっている"実験"を最後まで完遂させてみたい。そんな思いで俺は集中を保つ。

 青白の混合物たる光の球は、まるで俺の精神を反映したかのように鳴動していた。
 その表面は不安定に波打っていたが――俺の心が鎮まってくるのと比例するように、徐々に、真球に近づいていく。

 今回は、いける。そんな静かな確信が訪れた。
 俺は迷わず、脳内に直接・・・・・焼き付けられた知識である、その『自在を成す言葉』をそらんじた。

幼蟲の創生クリエイト・ラルヴァ

 詠唱した直後。
 全身の筋繊維という筋繊維からごっそりと活力を、細胞という細胞からごっそりと気力を抜き取られたかのような強い虚脱の感覚が一気に押し寄せてきた。
 思わず片膝をついてしまう。だが、これでまた失敗なんてごめんだ、とばかりに俺は歯を食いしばり、針金で雁字搦めに縛ったかのように手のひらの形を崩さず、意地でも目を逸らさなかった。

 果たして、光球はゆっくりと手から離れ、目の前の地面に舞い降りたった。
 そして、歪み一つ許さぬような真球の表面を、まるで命が宿った生き物のように震わせ、蠢かせた。

 見る間に、そこに物理的な存在と形状と実在が与えられるように変化していく。

 俺は両腕をついてへたりこんだ。
 祈るような思いで、そいつの行末を見守ること30秒。

 やがて光の球は収縮し、仄かな輝きを徐々に失っていき、その生物然とした肉々しい形状を少しずつ露わにした。

 果たして現れたのは、薄黄色い膜に覆われ、赤と青の血管のような"脈"が表面に浮かび上がった、縦長の「卵」のような肉塊だった。

「……ん?」

 思わず疲労も忘れて、俺は先ほど諳んじた『技能スキル』を頭の中に思い起こした。

幼蟲の創生クリエイト・ラルヴァ

 「蟲」は「虫」の旧字体だから、つまり幼虫。

 つい、口から「は?」という声を漏らしてしまった。

 え、いや。
 幼蟲ラルヴァ創生クリエイトするって、まさか卵状態そこからなのか……?

   ***

 時を半日戻そう。
 俺自身が、あの青く輝く正八面体に触れて気を失った後、何があったのかについて、まず話そうと思う。

 結論から言うと、俺は改造・・された。

 件の青い正八面体の結晶は――今や俺の心臓と同化しているが――それ自身が一体どういう存在であるのか、俺の身に何が起きたのかということや、そして俺が今いるこの場所がどういう場所であるのかなどについて、最低限の知識を与えてくれたのだった。

 まず、この"世界"は、俺がもと居た世界とは異なる。
 いわゆる「異世界」や「隔世かくよ」の類だ。
 しかし、あの世だとかパラレル・ワールド、タイムスリップなどとは似て非なるもので、俺は物理的な手段では直接行くことのできない、全く「別の世界」に迷い込んでしまったようだった。

 名は『シースーア』。
 そして、ここからが少しややこしいのだが、この世界シースーアは"二重世界"という状態で、簡単に言えば「2つの異世界」が隣接した状態になっている世界、だという。

 片方を【人世】。
 もう片方を【闇世】と呼ぷ。
 相互に直接移動ができない、という点では別々の世界同士だが――『異界の裂け目』と呼ばれる特殊な空間的断裂によって、ところどころが地点ごとに接続されていて、そこを通ることで、離れた場所や物理的に繋がっていない場所同士であっても行き来ができてしまう仕組みのようなのだ。
 某国民的青狸の代表的な道具である、桃色の扉の形状をした空間転移装置が、2つの世界のあちこちに設置されている、とでもイメージすればよいだろうか。

 故に【人世】と【闇世】は隣接した"二重世界"。
 どうしてそうなったのかについては、色々と経緯があるらしく、この世界にはなんと本当に「世界を創造した神々」がいるらしいのだが、そいつらが二派に分かれて大戦争をやらかした。付き従う「人間」達も二派に分かれ、それはもう、凄惨な闘争を繰り広げたらしい。
 そして負けた方の一派が、力技で「世界の中にもう一つの世界」を生み出したのが【闇世】の始まりである、ということのようだった。

 そんな、"改造"される前の俺だったら、にわかには信じられなかったような「知識」ばかりだった。

 俺が今いるのは、そんな世界の片割れであるうち、【闇世】の方の洞窟であった。
 だが、ただの洞窟ではない。
 【人世】へ続く特殊な門でもある『異界の裂け目』に続く道につながる場所、だと思われる。

 ……どうしてそう推測するのかと言うと、俺の身に何があったのか、に直接関係してくる話だからであり、ここからが本題だからだ。

 世界が2つに分かれた後も、神々と人間同士の争いは続いているというのだ。
 そうなってくると、2つの世界の結び目たる『異界の裂け目』とは――要するに相手の世界に攻め込んだり逆に侵入を防いだりするための「要衝」というやつなのだと言える。

 つまり、砦なり城なりが作られて要塞化・拠点化されるのが当たり前のような場所。
 そういう多分に漏れず、敗れて引きこもった【闇世】こちら側では、【人世】あちらからの侵入を防ぐための「秘密兵器」が神の御業によって生み出されることとなった。

 それが、例の正八面体の結晶というわけだ。
 正式名称を【迷宮核ダンジョンコア】と呼び、異界の裂け目の守護を任された者を迷宮領主ダンジョンマスターという存在に作り変えてしまう。その代わりに【迷宮ダンジョン】という名の強力な防衛の領域を生み出し、【人世】からの侵入者を防ぎ、狩るための力を迷宮領主に与える存在だったらしい。

 俺は衝動に突き動かされて、そんなものに触れてしまったのだ。
 知識の長い反芻を終えて、俺は再び、先ほどのものとは別の『技能スキル』を諳んじた。

「『情報閲覧』対象、俺」

 再び体の内側から何かエネルギーが吸い取られるような虚脱を覚えた。
 すると俺の眼前、青と白の光の粒子が寄り集まっていき、ちょうどA3サイズほどの長方形を為していく。それは、まるでコンピュータの画面を切り取ったかのような、あるいはホログラフのような、光の石板だった。
 表面には、様々な情報の羅列が並んでいた。

 それを見て、俺はこう思った。
 まるで『ステータス画面』みたいだな、と。
 並んでいたのは、こんな情報だった。

【基本情報】
名前:※※未設定※※
種族:迷宮領主(人族[異人系]<侵種:ルフェアの血裔>)
職業:※※選択不可※※
爵位:郷爵バロン
位階:1
状態:健康

技能スキル一覧】~簡易表示
(種族技能)
・情報閲覧(弱):1
・魔素操作:1
・命素操作:1
・欲望の解放:2
・強靭なる精神:1
(称号技能)
・体内時計:3
・言語習得(強):2
・経験点倍化:1
幼蟲の創生クリエイト・ラルヴァ:1
因子の解析ジーン・アナライズ:1

【称号】
客人まろうど』『蟲?使い』

 ――なぜか、その文字は全て俺のわかる言葉日本語だった。だが、その理由はさすがに今考えても現状把握には役立ちそうもなかったので、俺はこのことは一旦捨て置いた。そもそも、迷宮核に触れた時に脳内に響いたあの音声も「日本語」だったわけだが……。

 それよりも、俺が気になったのは「種族」の項のところだった。

『種族:迷宮領主(人族[異人系]<侵種:ルフェアの血裔>)』

 ……どうやら俺のこの世界シースーアでの生物学的な身分は「人族」である前に・・・・・迷宮領主ダンジョンマスター」となってしまったようであった。
 例の正八面体――迷宮核ダンジョンコアに触れた時に、機械的な音声にも人間的な肉声にも聞こえるあのシステム音で、何かいろいろ不穏な単語を聞かされたことを、俺はうっすらと覚えていた。

 だが、人間ではない何かにされてしまうとはな。
 悪い冗談だ、ひどく悪い冗談だ、と俺は乾いた笑いでも上げたい気分になった。

 「迷宮領主ダンジョンマスター」は、【人世】からの侵入者を防ぎ、【闇世】を防衛する役目を負わされていて、そのための罠と仕掛けと魔物の蔓延る迷宮ダンジョンを生み出す力を与えられているのは、さっき言った通り。そして、その迷宮がどのような性質となるかは、迷宮領主ごとに違うらしい。
 多分、軍事的な意味でも多様性ってやつが大事だったから、そういう仕組にでもなっているんだろう。

 そしてその"多様性"は、ステータスの『称号』の項に「○○使い」という形で表されている。

 ……俺はというと。

 【蟲?使い】と書かれている。

 再度、俺は「は?」という声を漏らしていた。

   ***

 それから俺はしばらく、思考を放棄してくだらない夢想に耽っていた。
 だが、現実逃避ばかりしていても仕方が無いので、改めて、自分自身が何者になってしまったのかということに意識を戻す。

 気が進まなかったが、改めて全身をくまなく確認してみた。
 パっと見て目立った変化は無かった。筋肉が隆起したり骨格が異常発達して、肌着のTシャツが破けた、ということもなかった。

 その意味では「迷宮領主」とは"種族"であると同時に"役割"であるような、特殊な存在なのではないだろうか? 強大な力を与えはするが、その生物としての根本から何か別の存在に作り変えるような類のものではないように思われた。
 そう考えると幾分気が楽になってきた。

 ……ただ、俺がまだ人間なら人間であるとして――色々と"条件付き"であるような「情報」が今度は気になった。

『人族[異人系]<侵種:ルフェアの血裔>』

 「人族」、これはわかる。そのまんまだ。
 「異人系」、これはよくわからない――だが、これがあえて「日本語」だということを重視すると、字義通りに受け止めれば、どうにも俺が「異世界」の出身者であることを表しているように思われてならなかった。
 そういう視点で見れば――『称号』の項の【客人】を「まろうど」と呼ばせるのだって同じことだ。

 そして、そんな異人にして客人な「人族」である俺は、「ルフェアの血裔」というものによって「侵された種」である、と。

 この単語については、迷宮核の知識にどんな意味であるかが記されていた。
 俺は、意識を俺の体内、ちょうど心臓のあたりに融合した迷宮核ダンジョンコアにつなげるイメージをして、その中に眠る様々な知識の海に意識を投じた。迷宮核の「知識」から、今俺が欲する、目指す知識を探し当てるのだ。
 ちょうど、脳内でインターネットブラウザを操作している感覚にかなり近かった。
 それか、思考の大海に深く潜っていくような、瞑想にも近い感覚であった。

 そうして得た、人族のある一派に関する知識は、次の通り。
 『ルフェアの血裔』とは、神々の大戦の時に【闇世】の側の神に付き従った「人族」の一派を表す固有名詞である。ただし、この言い方をするのはかなり格式ばった場面であり古語に近いらしい。

 より一般的に【闇世】の民を表す通称は―― "魔人"。
 それは元は【人世】に住まう「人族」からの蔑称だったようだが、蔑称から、その蔑称への対抗意識によって"自称"に昇華したものであるとのこと。
 彼らはむしろ誇りをもって己を「魔人」と称するらしい。

 そして、結論はこういうことだ。

 異世界から迷い込んだ人族扱いの俺だったが、どうも迷宮領主として認定されるには色々と不足と不具合があった。それで、迷宮核が俺を迷宮領主ダンジョンマスターに認定するにあたり、その不足を補うために、【闇世】では最も一般的な「人族」である"魔人"の遺伝子だか因子だかによって改造を施した、ということだったようだ。

 この異常事態に気持ちが順応するのが早かったのは、それが理由だったのかもしれない。
 技能――魔素と命素によって生み出す自在の技――の一つである【強靭なる精神】の影響で、我ながら元々の楽観さに磨きがかかっているとでもいうことだろうか。
 俺は辛気臭くなりそうな自分の考えをわざと笑い飛ばそうとした。

 だが、無理にでも前向きに考えることはできた。
 事実、身体もいくらか頑健になったような感触があった。くじいていた足が早々に癒えてきており、また、長年悩まされ続けてきた皮膚の弱さが、今はほとんど気にならなくなっていた。
 ビル火災に飲み込まれて焼け死にそうになっていた、ほんの1日半も前の俺自身からは考えられないほど、精神が高揚し、充実していた。
 体の奥から力が溢れてくるような、活力がこみ上げてくるような、昂りが満ちていたのだ。

 ――この、生まれ変わって得た力で、何をしようか?
 不敵な心地に思わず笑みを作りつつ……染みのような感情がわずか、心に浮かぶ。
 もし、こんな力が「もっと前から」俺にあったなら、俺は上手くやれていただろうか、と。

 だが、俺はゆっくりと首を振った。

 ――ここはもう、元いた世界ですらない。
 どうやってここに来てしまったのかもわからなければ、どうやって戻ればいいのか、そもそも戻ることなんてできるのかどうかすら、わからなかった。

 そういう"知識"は、迷宮核の中には、いくら探しても見つからなかった。


 ――馬鹿だね、せんせ。そういう時は、できることを、探すんだよ――


 懐かしい幻聴。
 まるで本当に鼓膜が震わせられたかのように、音の波が耳の中に浮かび上がってくる。
 「それその声」が聞こえた、ということは、俺は、まだ人間以外の存在に完全に成り果てたわけではない……そう思ってよいのかもしれない。

「それでも、何かできることはある、か」

 だったら、その「できること」をまずは確かめる必要があるんだろう。
 そう考えて俺は、まだかろうじて「人間」だと自分を思えた俺は、彼を知り己を知るために、行動を開始した。

 それで、話は冒頭の"実験"に至る、というわけだった。

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