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0014 反骨者は憎悪に嗤う[視点:半魔]

【4日目】

 ル・ベリにとっては非常に意外なことだったが、すわ『竜神の生贄』にされるか、とまで思われた拘束は数夜で解かれた。
 それでも両腕は縄で縛られたままだが、その縛り方もキツいものではなく、いくらか余裕が持たされていた。監視として戦士階級の小醜鬼ゴブリンが1匹ついていたが、それを差し引いても「災厄を運びこんだ者」への待遇としては破格だと思えた。

 無論、許されたわけではない。
 しかし、ただならぬ出来事があって、どうしてもル・ベリの知識と技術が必要になったので呼び出された――そういうことだろう。

 氏族長バズ・レレーの小屋にル・ベリは連れてこられた。
 そこには、氏族の主だった者が集まっており、まるでナムン=ダ・カの毒草で香を炊いたかのような、緊張して張り詰めた空気が漂っていた。小屋の周りにも、広場の方まで氏族の雌や幼体、老いた者まで集まって心配そうに様子をうかがっていたのだ。

 彼らを突き飛ばしながら、監視役の戦士が先導していく。ル・ベリを見て敵意を向けてくるゴブリンもいた。
 しかしル・ベリには、そんなことなど全く気にならなかった。やはり何か変事があったか、とル・ベリは内心の昂りを抑えるのに必死だったのだ

 果たして、氏族長の小屋の中には5体の遺骸が横たえられていた。
 どれも酷く損傷しており、食い荒らされており、衣服を剥ぎ取られ、頭部の無い者もあった。
 ――それが難き仇敵であるグ・ザウとゲ・レレーであることがかろうじてわかったのは、ル・ベリが母リーデロットから受け継いだ医術の賜物であったか。氏族の薬師としても働いており、ル・ベリは両名が喧嘩や過去の狩りや他氏族との戦いで負った古傷などを覚えていた。

 だがそれは、バズ・レレーも同じだったようで、少なくともどれが自分の長男であり、どれが相談役の祭司ドルイドであったかは認識できたようだった……愚かなるゴブリンの知性ではそれが限界でもあるらしく、ル・ベリと違って、他の3体についてはどれが誰だか区別できていないようだったが。

 死体の検分と、原因の特定が自分への用事だろう。
 しかもおそらくは、この『最果ての島』に住む獣の手によるもの。
 他氏族との争いでこうなったのならば、自分を呼ぶ理由が無い。おそらく、誰も、グ・ザウとゲ・レレーの身に何があったかわからなかったのだろう。

 ル・ベリは再度、心の中の狂喜を努めて隠した。
 ――表情を"殺す"術は、母リーデロットから何度も教え込まれた技の一つだった。

 遺骸を取り囲むゴブリン達のうち、数名の戦士が言い争いをしていた。
 そのうちの大柄な一体は、ゲ・レレーの弟である。連中は足りない脳みそをなんとか駆使しながら、それがどの獣によるものであるのか、意味も無い怒鳴り合いをしているのだった。

 内心の呆れを隠そうともせず、ル・ベリはぽつりと告げる。

「これハ……根喰い熊ルートイーターの仕業じゃ無いナ」

 自分自身の"声"は、喉を絞めたくなるほど大嫌いだったので、話すという行為をル・ベリは最低限しか行ってこなかった。だが、今はそれが気にならないぐらいの高揚に満たされていた。
 自分の渾身の呪詛が、17年の呪詛がとうとう通じたか。あるいは辺獄リンボにいる母の魂が、何らかの手助けでもしてくれたのか。

 ゲ・レレーの狩猟部隊の全滅。
 ル・ベリは改めて、甘美なる復讐の悦びを噛み締めていた。
 無惨な遺体の傷跡を1つ1つ丹念に観察し、母リーデロットから受け継いだ「人体」に関する知識と照らし合わせ、グ・ザウやゲ・レレーがどのように殺されたかを想像するだけでも、笑みを抑えきれなくなってしまう。

 目の前に広がる遺体の、酷く損傷した有様を見ながら、ル・ベリは独り言を重ねながら熟考した。それを邪魔しようとする戦士もあったが、バズ・レレーの一睨みで動きを止めた。

 小屋の外も含めれば、実に総勢100ものゴブリンが集まって、ことの行方を見守っていたのだ。
 戦士階級や斥候レンジャー階級も含め、戦うことのできる雄の半数が集っていた。それは、大規模な抗争前夜であるかのような、並々ならぬ警戒であった。

 この事態はレレー氏族全体の危難であったのだ。
 だが、その只中にあって、薬師にして"獣調教師ビーストテイマー"ル・ベリは、仇の死という至福に酔いつつも、本能の冷静な部分が強い警告を発するのを感じていた。

根喰い熊ルートイーターの爪じゃこんな傷はつかないはず。しかもあいつらの牙は意外なほど小さいから、この食い荒らし方はあいつらの仕業じゃない)

 心話では、ゴブリン混じりの舌足らずさや潰れた声は消え失せており、まるで凛とした母の声が耳の奥に蘇ったかのような感覚に陥る。それがル・ベリをますます冷静にさせていた。

 『最果ての島』を覆う森の生態系で、捕食者として第一に挙がる獣は根喰い熊ルートイーター
 実際に木の根を喰らうわけではないが、巣を作る際に削った木の根を敷き詰める習性を持つ。それは冬眠する時に少しでも暖かくするためのもので、また同時に爪や牙を研ぐためでもあるとル・ベリは知っていたが、ゴブリン達からは"根を喰う"と誤解され、この呼び名がつけられていた。

 『根喰い熊ルートイーター』自体が、非常に重くて太い骨をした重厚な体躯であったが、その好物は、骨である。それも亥象や、そして特に小醜鬼ゴブリンの骨を好物としており、噛み砕いて髄をすするための、すり鉢のような牙をしているのであった。
 そのことを知っていたル・ベリであるため、無残に食い荒らされつつも、骨が引きずり出された形跡が無いことから、根喰い熊がやったのではないと看破していた。

(それにそもそも、こんな中途半端に食い荒らされた状態で放置するなど――"獣"のすることではないな。連中の道具まで持っていく、なんてあり得ないことだろう。そんなこともこいつらはわからないのか……だが、まさか、な)

 ル・ベリは、とある可能性に行き着いていた。
 それは、リーデロットの息子である彼だけがたどり着くことのできる可能性だった。しかし逡巡と、心の深い部分での驚きの感情が、汚らしい"ゴブリン語"によって邪魔される。

「ドウシタ、続ケロ!」

「牢デ糞漏ラシ過ギテ、自慢ノ鼻ニ蛆ガ湧イタカ!」

ハーフゴブリンノ貧弱野郎メ! 俺タチノ機嫌ヲ損ネタラドウナルカ、知ッテンダロ?」

 ふっと湧き上がる激情を、へつらいの笑みを浮かべてやり過ごす。
 ゴブリンの知性では母リーデロットの技も、ル・ベリ自身の能力も特技も理解しろという方が困難なのだ。彼らには、ル・ベリの特技は「鼻が良いから」程度のものとしか認識されていなかった。

 だから、薬師として戦士を何人も救っても感謝されることはなかった。
 赤子や老個体を生きながらえさせても、そもそも弱い者は死ぬだけ、と考える脳みそまで野獣と変わらない連中ばかり。それがここ数年でレレー氏族全体が頭一つ抜け始めた理由だと気づく者は、わずかにバズ・レレーだけであったのだ。

 だが、同時にル・ベリは小醜鬼ゴブリンという"種族"において、侮辱しまた侮辱されることが、序列を構築する重要なコミュニケーション形態の一つであることを、十分な意味では理解していなかった。

 「半ゴブリン」であるが故の腕力の無さから、生き残るために、内心の憎悪を隠したままにへつらい、へりくだり、表面的に媚びを売ることばかり上達したのは、やむを得ないことではあった。だが、そのために彼は、氏族の食糧事情を安定させ、また医術によって結果的に戦士の数を増やしたという功績を、自らの序列向上に十分には繋げられていなかった。
 自己に功績あればこそ、他者を貶めねばそれは日の目を見ぬのがゴブリン社会の掟である。故に、バズ・レレーからは重用されつつも、グ・ザウに陥れられたのであった。

 ――しかし、そもそもル・ベリには、心身ともに「ゴブリンになる」という選択肢など最初ハナから皆無であった。

 母リーデロットの今際の願い。
 彼女に、毒による"慈悲の一撃"を与えたその時に、彼女は『最果ての島』の大きな秘密をル・ベリに伝え残して、死んでいったのだ。

(この島には、母様の……"ルフェアの血裔"に神の恩寵を与えるものが眠っている……その力があれば、自分は――)

 『最果ての島』の獣でグ・ザウ達を殺した他の候補としては、樹上から集団でゴブリンを襲う『葉隠れ狼リーフゥルフ』が挙がる。しかし、これも噛み傷の形が合わず、また数体のゴブリンの体をばっさりと切り裂いた巨大な傷をつけられるような、巨大な爪を持つような獣でない。

 食い荒らし方から見ても。
 襲撃の仕方から見ても、また襲撃場所からしても。
 しかもその後の処理から見ても、この『襲撃者』は、ル・ベリの知識にあるような存在ではなかった。

 例えばであったが、何者か、自分以外の獣調教師ビーストテイマーのような存在に率いられた"獣の群れ"の仕業と考えた方が、まだル・ベリにとっては合点がいくのであった。

(もし同じことをやるなら、どうする……)

 亥象ボアファントの次に、ル・ベリが手懐けようとしていたのが、『葉隠れ狼リーフゥルフ』であった。6~7匹の葉隠れ狼を樹上に潜ませて、たとえば、狩猟部隊が亥象と取っ組み合い初め、グ・ザウが「風の技」を繰り出そうとする瞬間を狙えば、不意打ちができるかもしれない。
 だが、相手は氏族の勇士であり氏族長の長男であったゲ・レレーとその側近達である。こちら側にも相当な被害が出るかもしれず、卑劣なグ・ザウには逃げられるかもしれなかった。

 ――この襲撃者はそれをやってのけたのである。少なくとも葉隠れ狼リーフゥルフの死体は転がっていなかったという話だ。

(手に入れられるなら、貴方が手に入れなさい、と母様は言ったのだ……)

 だが同時に母リーデロットは、こうも言っていた。
 それを手に入れた者が現れたなら、全霊でその人に仕えなさい、と。
 その者こそが貴方を"救う"存在なのだから、と。

 それが母の最後の言葉であり、願いであった。
 その意味について、ル・ベリはそれ以上問うことはできなかった。

 だから代わりに、必死でレレー氏族内での己の地位を向上させ、積極的に島内の探索を進めていたのだった。

 "恩寵を得た何者か"の存在をル・ベリは察知していた。
 それは母リーデロットの愛か、はたまた執念が、ル・ベリ自身の執念と入り混じった直感であったか。もはや、小醜鬼ゴブリン達にこびへつらい、その臭い息を嗅ぎながら顔色をうかがう必要が無くなったことをル・ベリは直感していた。

 故に、ル・ベリは心の底で暗く笑い、温め続けていたある一つの計画の実行を前倒しにすることを決めた。
 それは、レレー氏族を破滅に誘うための甘言であった。

「よく見ロ。こんな食い荒らし方ハ、葉隠れ狼リーフゥルフの仕業に違いなイ」

「阿呆ガ! 若大将ガりーふるふナンゾに後レヲ取ルモノカヨ!」

「戦イヲ知ラナイクズハ、コレダカラ! 今ココデ俺ガ教エテヤロウカ!?」

「話を最後まで聞け。おかしくないカ? なんで若大将モ、祭司モ、武器も着物モ奪われているんダ? リーフゥルフが持ってくわけ無いだロう? 食ウのかよ、あいツらが」

「……ドウイウコトダ?」

 興味を示したように、わめく護衛達を抑え氏族長バズ・レレーが重々しく口を開いた。
 ゴブリン達にとっては威厳ある声色らしいが、ル・ベリには他のゴブリンとの違いがよく分からなかった。

「氏族長。若大将達ハ"ムウド氏"に殺されたんダ」

 氏族長が顔をしかめ、周囲のゴブリン達が一瞬静まり返った。

(意外と上手な演技だな、バズ・レレーめ)

 "謎の襲撃者"のことを抜きにしても、ル・ベリは実は、戦士達がいやに多く集まっていたことと、そしてバズ・レレーの様子から、彼の狙いを読んでいた。

 ムウド氏族は、レレー氏族と縄張りを隣接する氏族の一つである。
 だが、他の争っている隣接氏族達と比較して、実際に小競り合いになることは少ない。哨戒隊同士が軽く鞘当てし合う程度の「仲」でしかなく、婚姻による交流もまた皆無であった。
 なぜなら、お互いの縄張りの間には亥象ボアファントの餌場がいくつもあり、互いが互いを本気で攻めようとした場合、どうしても亥象を刺激してしまうことが避けられない。よほどのことが無ければ、暗黙のうちに不干渉でいることが、ここ十数年の両氏族間の了解であったのだ。

 ――その「よほどのこと」を、バズ・レレーは求めていたに違いない。

 ル・ベリの貢献によって、レレー氏族では死ぬ個体よりも生まれて生き延びる個体が増えるようになり、集落は手狭となっていた。小醜鬼ゴブリンは数年で成体となるため、周囲との小競り合いは確実に増えており、拡張の時が訪れていたのである。

 大規模な抗争となれば、多くの雄が死ぬ。しかし、ムウド氏族の雌を丸ごと奪うことができる。雌がいれば子供が増え、ル・ベリがいれば子供が育つ。広がった縄張りを守る戦力もすぐに回復するだろう。
 バズ・レレーはその好機を探っていたに違いなかったのだ。
 そして、だからこその亥象ボアファントを操る技を持つル・ベリなのであろう。亥象ボアファントの生息地という壁があるため、レレー氏族は本気では攻めてこない――そう油断しているムウド氏族に、痛烈な奇襲を仕掛けることができるのだ。

 ル・ベリは、その思惑に乗ってやることにしたのだった。
 彼は言葉巧みにゲ・レレーの死に方の不自然さを語り、また獣ではあり得ない・・・・・・・・傷痕のある死体を一つ示した。
 レレー氏族が狩りで使う「毒槍」が全て盗られていること。
 そしてグ・ザウが衣服を剥ぎ取られ、祭司ドルイドの証たる"杖"を奪われていることまで指摘すれば、さすがにそれが獣ではなく知性ある者の仕業である、とゴブリン達も理解できたようだった。

 ル・ベリの論法にいぶかる者も数名はいた。
 だが、彼らが反論を言うよりも早く、バズ・レレーが怒りの咆哮を上げたことで、戦士達の間に報復の気炎が巻き上がった。

「皆も知っているようニ、俺にはボアファントを操る技があるゾ? ムウド氏のヤツラにも"災い"を運び込んでやル! どうダ、貴様ラにこの俺の"災い"ヲ使う度量があるカ!?」

 手懐けることを目的とせず、狙った方角へ誘導する程度であれば、今のル・ベリには造作もないことであった。

 ――この段に及んで、つまり「半ゴブリン」としての己を捨てる決意を固めたことで、ル・ベリは結果的に、彼の人生で初めてゴブリン達の歓心を買うような態度を取った。
 ゴブリンの文化では、他者を貶めることもせず、自己の技を誇張することもしない者は酷く見下されるのである。本人にとっては真に意外なことであったが、この啖呵を切っ掛けとして、ル・ベリはレレー氏族内で急速に序列を上げた。

 バズ・レレーはただちにル・ベリの縄を解くように命じ、ムウド氏への報復のための準備を始めたのであった。

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