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十代最後の日に思うこと

みなさんこんばんは。 珍しく二日連続での投稿です。

タイトルにもあるように今日が僕にとって十代最後の日です。
年齢的にはただいつもと同じように一歳としをとるだけですが、
十代から二十代への節目。
十代を少し振り返ってみようと思います。

始めに申し上げると、この文章はとても長く退屈してしまうものかもしれません。(笑) ですので、最後まで読んでいただけると幸いですが、この内容を次の投稿でまとめたのでそちらもご覧いただけたらと思います。
それでは、、、



十代での出来事

十代の出来事をざっと振り返ってみると、「学校」と「野球」この二つにつきます。
高校受験と大学受験二つの受験を経験し、野球も小学生、中学生、高校生とずっと続けてきた。何から振り返ればいいのか分からないのでとりあえず時系列的に振り返ってみることにしよう。

~小学生~

小学生の頃の世界は狭く、運動神経がいい人にあこがれを抱いていた。水泳で泳ぐのが早い人、走るのが早い人、野球がうまい人。
そんな人がかっこ良かったなという記憶がある。 今思えば小学生らしいエピソードだなと思いますが。(笑) 

僕は小学生の頃は、くもん、水泳、習字、野球と多くの習い事に通っていた。(これだけ多くの習い事に通わせてもらったのは、今の自分にとってもいい経験であるし、両親には感謝しかないです。)

それぞれにそれぞれの思い出があるが、
そんな小学校生活でも少年野球の思い出が一番強い。 
少年野球は、厳しい野球ではなく、楽しい野球だったなと思う。 

あそこまで飛ばしたらみんなにガリガリ君買ってやるとコーチが言うと、みんな必死になって打球を飛ばそうとしたり、買ってもらったガリガリ君をみんなであたりがないかと騒いだり。朝早い出発で朝のチャイムを聞きながら試合会場に向かったり、いろんな思いであるがつらい思い出はあまりない。 

そして、少年野球が終わりに差し掛かってきたときに、僕はクラブチームで野球を続けるという選択を決めた。

そのまま中学校で部活を続けるか、それともみんなとは一緒に野球ができないがクラブチームへと進むのか。その二つの選択肢があった。

みんなともう一緒に野球をすることができなくなってしまうのはさみしいという気持ちもあったが、父の勧めもあり、あまり迷うことなクラブチームへと進むことを決めた。

~中学生~

そんなことでクラブチームへと進むことを決めた。今思えばこの選択は、大正解で今でも良かったと本気で思える。

クラブチームでは、同じ中学校だけではなく、県内のバラバラの中学校から集まってチームを作る。そのため、本来であれば出会うこともなかったような人たちとも出会うことができた。

そして何より監督やコーチとの出会いが大きかった。

コーチや監督は真摯になって指導してくれ、信頼をしてくれ、時には物凄く怒られることもあった。しかし、愛情を感じた。 

そんな大人と中学生のうちに出会うことができたのはとても大きな出来事であった。決して強いチームではなかったが、少ない人数で一致団結し、三年生の夏の大会で県内で一番強いチームに勝った時はとてもうれしかったことを覚えている。  

この中学校の野球というのが僕の中の野球観の軸となっていることは、間違いない。

学校生活でも、塾に通わせてもらい勉強もそれなりに頑張っていた。
そして、中学一年生の時に、担任の先生に生徒会(委員会)に入ったらと勧められ生徒会へと進み、人数の少ない学校であったのでそのままほぼ自動的に生徒会長になってしまった。(笑)

けれどこの時の経験は大きく、毎月原稿用紙にお便りに掲載する文書を書いたり、生徒朝礼で発表する内容を考えたりと確実に文章力は上がり、卒業式や入学式で式辞を読んだりと人前で話すことはあまり苦ではなくなった。
この経験もまた、今の自分を形成するものだと強く感じる。

また、野球の話に戻るが、中学校は人数が少なく、野球部もまた、人数が少なかった。そして、秋の大会に出る人数が足りずに助っ人として参加してくれないかと頼まれた。これは、正直うれしかった。

クラブチームへ進むことを決めた僕にとってはもうみんなと野球を一緒にすることはないだろうと思っていたが、またみんなと一緒に野球をするチャンスを与えてもらった。そのことがとてもうれしかった。

そして、一緒に練習をし、試合に挑んだ。もう何年も一緒に野球をやっていなかったのに、小学生のころみんなでやっていたあの頃と変わらない。
「ああ、野球って素晴らしいな」と素直に思った。そして、僕を受け入れてくれたみんなにも感謝しかない。

そんなこんなで中学生は過ぎ去り、第一志望としていた高校へも合格し中学生活を終えた。


~高校生~

高校生を一言で表すのなら「挫折」これに尽きる。 

これまで、続けてきた野球でも挫折を味わった。これについては、また今度詳しく書こうと思う。

そして、例外なく勉強においてもだ。結論から言うと、僕は第一志望の大学に落ちた。これは、大きな挫折であった。野球を引退してから、僕は三月に受験が終わったので約九か月間、毎日十時間近く勉強をした。
今まで勉強をさぼってきたことのつけであることは間違いないのだが、これだけやっても駄目かという気持ちにはさせられた。

では、高校生活は楽しくなかったのか?
いや、めちゃくちゃ楽しかった。

すべてが楽しかった。毎日の学校生活、定演や研修、文化祭、体育祭といったイベント。
バカみたいに騒いで、バカみたいに笑って、ふざけて。
まさに青春を過ごした。高校生活は全力で楽しんだ自信がある。

そして何より、友達に恵まれた。自分のことを自分以上に理解してくれる人や、支えてくれる人。苦しい時に支えてくれるこの存在の心強さは計り知れないものであった。
この出会いは、宝物である。そして、キラキラした高校での思い出もまた宝物です。

まとめ

そして、大学生の今へと続くわけであるが、大学生になってからも高校生で感じたことは大きく影響している。

大学で学びたいと思うようになった学問も高校時代の野球での挫折があるから。英語を頑張ろうと思っているのも大学受験で興味を持ったから。

すべては繋がっている。そう感じます。

そして、ありがたいことに周りの人に恵まれてここまでやってきました。
数えきれないほどの人と出会い、支えてもらいここまでやってきました。
感謝しかないです。

今までの挫折やうまくいかなかったことは、人生のどこかで必ず役に立つ。
「あの挫折はこの時のためだったのだ」とわかるときは、すぐかもしれないし十年後、二十年後、それ以降かもしれない。
今はまだ、折り合いを付けれない出来事にも時間をかけて、この時のためと言えるようにゆっくり向き合っていきたいと思います。

また、二十代を振り返った時に人間的に成長でき、充実した人生を歩んでいることを期待して終わりにしたいと思います。

ここまで、付き合っていただきありがとうございました。


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