日本語の曖昧さこそ、日本的な美しさ
こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112)
日本語を勉強し始めた僕にとって「曖昧な日本語」に興味があったけど、イタリアの文化と全く違うからわからないことが多いせいで混乱した思い出ばかりだ。諦めず、言葉と文法を勉強しながら日本の社会と歴史の学びに力を入れてたら、十数年かけてやっと気がついてことがあった。今日はその内容を書きたいと思う。
曖昧な日本語というのははっきり話さず、色んな選択肢と意味が出てくることが多い。頭の中でも複数の選択肢と意味を考えるようになる。入ってきた曖昧なことを曖昧なことで返事することもできる。このやり取りの中で色んなプランを考えてどんなことになってもすぐ対策できるようにすれば、日本の社会にやっと入れると気が付いてきた。
この「曖昧さ」の考え方をビジネス面で当てはめてみる。日本の企業はAプラン、Bプラン、Cプランを作るために力と時間をかけていて、それは果たして必要なのか?と外国人として思っていた。だけど長く日本人と働いて毎日日本語を勉強したら、僕も自然に複数のプランを考えて行動できるようになった。「トラブルの時に考えればいい」より「様々なトラブルになったらこうすればいい」の方がコスパが良くなる。曖昧な日本語のように色んな結論が出てくる。
イタリアの場合、一つのプランを考えて何かあったらその時に考える。はっきりとしたイタリア語で話しても困ったら止まる。逆に曖昧な日本語から生まれた行動はどんなことあっても既に考えてることがあって合わせるだけの話になる。
曖昧な表現のメリットは
相手に嫌な思いをさせずに会話できる
相手を気遣いながら自分も気遣ってもらいながらスムーズな会話になる
出た色んなプランの中で一番良いものを一緒に選べる
実は、曖昧な日本語は意外に表現が多くて例えば、「そうですね」「また今度」「そのうち」「いいです」「大丈夫です」「結構です」など。初めて曖昧な壁に当たった時は、相手が言いたいことが分からなくて困る。ここまで書くとネガティブに思われがちだけど、実はそうではない。
日本語の曖昧さは、優しさだ。いつも相手を思いやって心を感じて、言いたいことを先回りすることで会話はスムーズにいくし、不快な思いをしない。否定的な言葉がストレートに来ると心が痛むけど、そうならないように遠回りな会話でワンクッションおく。こんな優しさを言葉の使い方だけで表現できるなんて、本当に日本語は面白くて美しい。
ある日、ついに僕も曖昧な表現で話した日が来た。自分でも知らないうちに話していたのでびっくりだ。相手は「これが良いと思う?」と聞いてきたけど、日本語の美しさに気がつく前の僕は「それは良くないね」と言っていたと思う。今の僕ならこう答える。「良い感じ!こっちにもっと良いの見つけたけど、どう?」
多くの日本人はこの優しさや美しさに対して若干ネガティブに捉えがちだけど、僕が声を大にして日本語の魅力を伝えたいのはこの「曖昧さ」の部分。ビジネスでもプライベートでも、日本の心を学んで優しさや美しさを理解した僕は確実に成長できてるし、うまく行ってることが多い。言語というのは繊細だからこそ、日本的な美しさで包んで扱ったらいいんじゃないかな、と日々思っている。とは言え、まだまだこの曖昧さは勉強中なので勘違いしながら失敗しながら楽しく前向きに学んでいこうと思う。
Massi
みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。